闇に裁いて、仕上げます(二)

 その頃、壱助は住み家にしている廃寺へと向かっていた。杖を突きながら、慎重に歩いていく。

 雑草が伸び放題になっている野原を抜け、今にも崩れそうな塀をくぐり抜けた。

 廃寺の前に立ち、そっと声をかける。


「お美代、いるかい」


「ああ、いるよ」


 お美代の声がした。壱助は笑みを浮かべ、寺の中に入って行く。


「買って来たぜ」


 そう言うと、壱助は小さな布袋を差し出す。お美代はそれを受け取った。


「ありがとさん。だけど、今日は遅かったねえ。何かあったんじゃないかと思って心配したよ」


「ああ、そうなんだよ。出先で、ちょいと面倒なことになってな……」


 壱助は、先ほどの出来事を話し始めた。




 話を聞き終えると、お美代の表情が変わる。いかにも不快そうな顔つきだ。


「まったく、権太の奴は本当に馬鹿だね。てめえが下手を打って町方に捕まるのは勝手だけどさ、こっちまで巻き込まないでもらいたいよ」


 吐き捨てるように言うと、お美代は袋の口を開け、中身を確かめる。


「ああ、そうだな。ところで、その火薬なんだが……もっと安く手に入るんじゃねえのか?」


 壱助が尋ねると、お美代は首を振った。


「いいや、駄目だよ。花火師に掛け合えば、安く手に入るよ。けどさ、足が付く危険もあるだろ。少しくらい高くても、闇で仕入れた方がいいんだよ」


 そう言って、お美代は慎重に袋の口を結わく。この廃寺には、他にも火薬が閉まってあるのだ。万が一、引火でもしたら……お美代は吹き飛んでしまう。

 背中を向け、火薬の入った袋を片付けているお美代に、壱助は軽く声をかけた。


「お美代、たまには一緒に、御天道様おてんとさまの下を歩かねえか?」


 壱助のその言葉に対し、お美代は顔をしかめる。


「嫌だね」


「そうか、そりゃあ残念だな。俺はめくらだけどな、御天道様の光ってのはいいもんだって分かるんだよ。体がぽかぽかしてくる。本当に暖かいんだよな。お前もたまには、昼間に外に──」


「あんたが目あきで、あたしの顔が見えていたら、そんなことは絶対に言わないよ。それどころか、昼間にあたしと出歩こうなんて、考えもしないだろうさ」


 お美代の声の奥には、深い怒りと悲しみがあった。壱助はうろたえながらも、言葉をかける。


「いや、でも顔を隠せば──」


「あんたには、わからないだろうね。餓鬼に化け物って言われながら、石だのごみだの投げられる気持ちが。あたしは嫌なんだよ、外を歩くのが……」


「少しはわかるつもりだよ。俺も昼間は、餓鬼に石を投げられたしな」


 言いながら、壱助はお美代の肩を叩く。


「嫌なこと思い出させて、すまなかったな。だったら、今夜はふたりで、夜の散歩と洒落込もうや」


 ・・・


 要心鬼道流柔術……その道場は、さほど大きなものでなかった。門下生も、他の剣術や柔術の道場に比べれば、それほど多いわけではない。

 しかし今は、子の刻だというのに人が出入りしていた。

 その上、道場内では柔術道場らしからぬ声が飛び交っている。


「半方ないか? 半方」


「じゃあ、半に張るぜ」


 さらに賽子さいころを振る音や、歓声なども聞こえていた。

 そう、この道場は……夜になると賭場と化していたのだ。道場の奥では、花田ともうひとり、人相の悪い男が並んで座っていた。男は花田より、年齢は上だろう。体はさほど大きくはないが、頬に付いている刃物の傷痕が、男のこれまでの人生を物語っていた。


「先生、昼間はお手柄だったそうですねえ。気違い浪人をぶちのめしたそうじゃござんせんか。あちこちで噂になってますよ。この、青天せいてん由五郎よしごろうも鼻が高いってもんです」


 言いながら、由五郎は下卑た笑みを浮かべる。すると、花田はふんと鼻を鳴らした。


「何を言っている。俺は、大したことはしていない。あんな痩せ浪人ごとき、何人たばになろうが俺の相手ではない。片手で捻り潰せる」


「いやいや、大したもんですよ。ところで先生、急で申し訳ないんですが……今からあっしらの家に来てもらえませんかね。ひとつ、お願いしたいことがあるんですよ」


 由五郎の言葉に、花田は頷いた。


「親分さんの頼みとあれば、断ることはできんよ。俺は何をすればいい?」


「さすが先生、そう言ってくださると助かります。実はですね、言うことを聞かない女がいるんですよ……で、お仕置きが必要かと思いましてね。先生、是非お願いします」


「お仕置きだと? 前と同じやり方でいいのか?」


 尋ねる花田に向かい、由五郎はにたりと笑った。


「ええ、そうです。では早速、お願いします」


 その言葉の直後、由五郎は立ち上がった。それを見て、花田も立ち上がる。

 ふたりは、道場を出て行った。




 ここは、由五郎の営む料亭である。もっとも料亭とは名ばかりで、裏では売春もやっている店なのだ。

 そんな店の奥座敷にて、数人の女とふたりの男が向き合っている。

  

「だから、やんないとは言ってないだろ!」


 気の強そうなひとりの女が、ふたりに怒鳴りつける。だが、花田と由五郎には、怯む気配はない。


「お文、おめえはどうしても嫌だと言うんだな」


 由五郎が言うと、お文と呼ばれた女は彼を睨み、怒鳴りつけた。


「あたしは、あんな安い金で狸親父に抱かれるなんて、まっぴらなんだよ! あんただって儲けてんだろ! もっと、あたしたちに金を寄越しなよ! でないと、あたしたちはお上に訴えるよ!」


「そうかい、俺を脅そうってのか。お前も、本当に馬鹿な奴だ。先生、お願いします」


 由五郎の言葉に、花田は頷いた。直後、お文の右腕を無造作に掴む。

 花田が、一瞬のうちに動く。お文の右肘を伸ばしたかと思うと、関節を極める。その動きは速く自然で、かつ力強い。お文は抵抗すら出来なかった。

 次の瞬間、不気味な音が響き、お文は悲鳴を上げる。彼女の右肘は伸びきった状態で、ぶらぶらと垂れ下がっていた──

 だが、花田の動きは止まらない。その手が、今度はお文の左腕へと伸びる。

 またしても、嫌な音が響く。今度は、お文の左腕が垂れ下がっている。まるで、壊れた人形のようだ。

 お文は叫びながら、必死の形相で花田の手から逃れようとする。だが、花田は容赦しなかった。今度は、お文の足へと手を伸ばす。

 一瞬で、膝の関節を外した──

 その光景を、由五郎と女たちはじっと見つめている。両者の表情は対照的だった。由五郎は残忍な笑みを浮かべているが、女たちは恐怖の表情を浮かべている。


「よく見ておけ。俺の言うことが聞けねえ奴は、みんなああなるんだ。見ろよ、あいつの両手は動かねえ……ぶっ壊れた人形みたいなもんだ」


 そんな由五郎と女たちの目の前で、花田は動き続ける。まるで流れ作業でも行なうように淡々とした表情で、花田はお文の両膝を外した。




 女たちを帰らせた後、花田と由五郎はふたりして楽しそうに笑っていた。先ほど、ひとりの人間の体を「壊した」ことに対する罪悪感など、欠片ほどもないらしい。


「先生、ありがとうございやす。うちの若い者たちに任せると、加減が分からなくてね。顔に傷なんか付けられたら、売り物になりませんから」


 言いながら、由五郎はそっと小判を渡す。花田はにやりと笑い、小判を懐にしまった。


「お安い御用だ。ところで、前にも言ったと思うが……あの女の手足は、時が経てば一応は治る。だが、元のようには動かんぞ。動かす度に痛みが伴うだろう。もしかしたら、一生歩けなくなるかもしれん。それでも、構わんのだな?」


「客を取るのに支障なけりゃあ、構やしませんよ。他の女たちへの、いい見せしめにもなりましたしね。下手に殺したりすると、後が厄介ですから」




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