恨み、晴らします(三)

 蘭二は、壱助の手を引いて階段を上がって行く。お互い、一言も話そうとはしなかった。重苦しい空気が、両者の間に流れている。

 その沈黙を破ったのは、壱助だった。


「蘭二さん、手数かけさせてすまなかったですね。じゃあ、また来ますぜ」


 普段と同じ口調で言いながら、壱助は頭を下げる。すると、蘭次の表情も和んできた。


「お安い御用さ。壱助さん、あんたが、私たちをどう思っているかは知らん。それに、どう思おうがあんたの自由だ。だが私は、あんたのことを大切な仲間だと思っている。それだけは、忘れないでくれ」


 蘭二の言葉は、優しさに満ちていた。壱助は微笑みながら頷く。


「ああ、わかったよ」




 壱助を見送った後、蘭二は地下室に降りて行った。部屋を覗くと、お禄は椅子に座ったまま、南京豆をぽりぽり食べている。


「お禄さん、次の仕事はどうなっているんだい?」


 尋ねると、彼女は首を振った。


「いいや、まだ依頼は来てないよ。仕方ないから、今のところは大人しく蕎麦屋に精を出すとしようかね。とりあえずは、明日の仕込みだよ」


 そう言うお禄の表情は、若干ではあるが不機嫌そうだった。先ほどの、壱助とのやり取りのせいかもしれない。


「そうかい。元締もとじめも大変だね」


 その言葉に、お禄は顔をしかめて見せる。


「よしなよ。あたしゃ、元締なんて柄じゃない。蛇次じゃあるまいし」


 吐き捨てるような口調で言ってのけた。その反応を見て、蘭二は苦笑する。

 蛇次へびじとは、江戸の裏社会でも屈指の大組織である『の会』の総元締である。お禄たちなど、人数も規模も比較にならないのだ。

 お禄は、蛇次や巳の会とはそれなりに上手くやっており、お互いの商売がかち合ったりしないよう気を配っていた。もっとも彼女は、内心では蛇次を毛嫌いしている。蘭二もまた、蛇次や巳の会のことは好きではない。やり方があまりにも強引で、残忍だからだ。


「ところでさ、壱助とお美代のことなんだけど、あんたはどう思う? あたしは今後も、奴らを信用して仕事を任せていいのかね?」


 不意に、お禄が聞いてきた。


「うーん……それについては私なんかより、本職のあんたの方が確かな判断が出来ると思うよ。どだい、私たちのやっているのは人殺しだ。自慢できる稼業じゃない。まともな付き合いを求めるのは、どう考えても無理があるよ」


「なんだい、その言い方。すかしやがって。蘭学者くずれのくせに、気取ってんじゃないよ」


 冗談めいた口調で言いながら、お禄は豆の殻を投げつける。蘭二は苦笑しながら、飛んできた殻をかわした。


 ・・・


 その頃、壱助は杖を突きながら剣呑横町を通り過ぎて行った。

 さらに歩いて行き、町外れにある古い廃寺へと入って行く。そこはかつて刃傷沙汰があったとかで、誰も近寄らなくなってしまった場所なのだ。周囲は雑草が伸び放題で、虫や小動物の蠢く音が聞こえる。

 そんな中を、壱助は慎重に進んで行く。やがて、崩れかけた境内の前で立ち止まった。


「お美代、いるか?」


「ああ、いるよ」


 言いながら、廃寺の中から姿を現したのは、とても不気味な外見の女だった。長く伸びたざんばら髪、鋭い目、曲がった鼻。唇は歪んでおり、さらに顔全体には、太い線のようなぎざぎざの傷痕が何本も張り付いている。子供が見たら、恐怖のあまり腰を抜かし震え出すだろう。

 だが、壱助は全く怯まなかった。杖を頼りに、慎重に歩いていく。

 女の前に来ると、壱助は懐から小判を一枚取り出した。彼女に、そっと差し出す。


「ほい、お前の取り分だぜ」


「ありがとさん」


 そう言うと、お美代と呼ばれた女は小判を受け取り懐に入れた。壱助は、その場に腰を下ろす。傍らに杖を置き、口を開く。


「なあ、お美代。お前の竹鉄砲だがな、弾丸が飛ぶのは二間にけん(約三・六メートル)までなのか?」


 その言葉に、お美代は首を捻った。


「うーん、三間(約五・四メートル)くらいまでなら飛ばせると思うけど……確実に殺すとなると、二間あたりまでかな。遠くに飛ばそうと火薬を増やせば、こっちまで吹っ飛んじまう。下手すりゃ、あんたと同じめくらになっちまうだろうね。ま、面の方はこれ以上は崩れようがないけどさ」


 そう言って、お美代は自嘲の笑みを洩らす。

 彼女の使う武器は、竹製の火縄銃である。だが、射程距離は二間から三間までだ。しかも一発撃つと、火薬で銃身が砕けて使い物にならなくなるのである。分厚い毛皮の手袋をはめた状態でないと、撃った直後に自分の手が弾け飛んでしまうくらいの破壊力だ。

 したがって、お美代が仕事を行なう場合は、標的となる相手に二間の距離まで近づき、銃を構えて一発で仕留めなくてはならないのだ。

 もっとも、お美代の銃の腕は確かである。先の大場にしても、その気になれば一発で仕留めることは出来たのだ。

 それをしなかったのは、壱助の意思だった。


(野郎には、刀の痛さを思い知らせてやりてえんだ)


 この一言により、最期のとどめは壱助が刺したのである。


「あんた、飯食うかい? それとも、後にする?」


 お美代の言葉に、壱助は微笑んだ。


「ありがてえ。いただこうか」





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