第三章 ~『町から消えた食料』~


 商業都市リアはいつでも活気に満ちている。それが当たり前の日常であり、常識にさえなっていた。


 しかしクラリスの目の前に広がる街の光景には常識が通用しない。目抜き通りを歩く人影は数えるほどしかおらず、客引きの声も聞こえてこない。


「街の皆さんはどうしたのでしょうか……」

「覚悟していた時が来たということだ」

「原因をご存じなのですか?」

「おおよそはな」


 隣を歩くアルトは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。その顔を見ていると、深く追求することができなくなる。


「ゼノ様の店が見えてきましたよ」


 聖女グッズの販売店は変わらずに営業していた。店員の少年が、ニコリと微笑みかけてくれる。


「聖女様、商品を買ってくれませんか!」

「私の顔が書いてあるクッキーですよね。それはちょっと……」

「残念です。久しぶりに売れると思ったのですが……」

「私の顔に皆さん飽きられたのです。もっと魅力的な人を採用すれば、きっと売り上げも回復するはずです」

「いえ、聖女様が原因ではありません。問題は値段です」

「値段?」

「聖女様クッキーの価格が、ここ数日で十倍に値上がりしたんです」

「ぎ、銀貨三枚もするのですかっ!」


 元々は銅貨三枚で販売されていたクッキーが、銀貨三枚に値上がりしたのだ。売れないのも無理はない。


「どうしてこれほど高額に?」

「小麦の値段が高騰しているそうなのです」

「不作だったのでしょうか?」

「理由までは知りません。大人の人なら知っているかも」


 少年の視線の先には果物屋の老婆がいた。詳しい話を聞くために、彼女の元へと向かうと、鋭い視線で、クラリスたちを射抜いた。


「何の用だい?」

「あの、その……」


 怒気が混じった声にたじろいでしまう。その様子がさらに怒りを募らせたのか、視線の鋭さが増した。


「果物はここにあるだけだよ。どうせ買わないだろうけどね」

「この果物は?」

「アルト領で採れた果物だよ。マズそうだろ?」

「それはその……はい……」


 取り繕うことができないほど、店頭に並ぶ果物は酷かった。枯れたリンゴに、細いバナナ、ミカンは通常のサイズより二回り小さい。


「どうしてこのような果物を販売しているのですか?」

「フーリエ領から仕入れができなくなったからねぇ。それで仕方なく、アルト領の荒れた土地で育った果物を販売しているのさ」

「どうして仕入れができないのですか?」

「あんた、貴族のくせにそんなことも知らないのかい? これだから貴族は嫌いなんだよ」


 老婆の鋭い言葉に、クラリスは肩を落とす。そんな彼女を庇うように、アルトが前に出た。


「クラリスは悪くない。悪いのはすべて私だ」

「アルト様は事情を知っているのですか?」

「……知っている」

「なら教えてください。私も知っておきたいです」


 だがアルトは答えない。気まずい空気が流れる。そんな空気を掻き消すように、人影が近づいてくる。


「これは聖女様と公爵様。お久しぶりです」

「エリス様!」


 人影の正体はエリスだった。アルトが教えてくれないなら、事情通である彼女に聞けばいい。真っ直ぐな瞳を彼女に向ける。


「あの、フーリエ領から食料の仕入れができなくなったとお聞きしたのですが、本当のことなのですか?」

「ええ。街から活気が消えたのもそれが理由ですから」

「で、ですが、屋敷には食料がありましたよ」

「魔物肉や他の領地からの食料は手に入りますから。価格は高騰していますが、貴族なら問題ないでしょう。しかし平民たちにとっては死活問題です。現状は食べていくのがやっとの状況なのですよ」


 街の活気は余暇に費やせる金と時間があるからこそ生まれていたのだ。食費だけで生活がカツカツなら、生きるためだけに働く毎日になる。街で遊ぶ余裕など生まれるはずもない。


「アルト様、もしかしてこれは、私のせいですか?」

「いいや、クラリスに非はない。原因は私にある」


 フーリエ公爵が食料の輸出を止めた理由に二人は心当たりがあった。彼が屋敷を訪れた時に、クラリスを侮辱されたことをアルトが激怒したのだ。


「原因は私にある。だが私はフーリエ公爵を殴ったことを後悔していない」

「で、ですが……そのせいで領地の皆さんが……」

「だから私に考えがある。エリスも街の皆も聞いてくれ!」


 遠くまで聞こえるように声量をあげる。注意が集まり、通り行く人々が、彼の前で足を止めた。


「領内で生産された果物や野菜、それに魔物肉を購入する場合に補助金を出そう。遠くから仕入れた食料も輸送費を負担する。すべて私に請求してくれ。皆が今まで通りの生活を過ごせるようにしてみせる!」


 アルトの言葉を聞いていた人たちは黙り込むことしかできなかった。領民の食費を領主が負担するなど前代未聞だったからだ。


「悪いな、クラリス。これからは貧しい暮らしをさせることになる」

「構いません。私はあなたと共に暮らせるなら、それだけで十分ですから」


 自分たちのために身を切ろうとしている公爵と聖女に、人々は肩を震わせる。目尻には涙が浮かび、嗚咽が聞こえてきた。


「……っ……あ、あの……」


 老婆が震える声で呼びかける。乾いた頬を涙が伝っている。


「さっきは失礼なことをしたね。謝らせておくれ」

「私は気にしていません。それよりも皆で、この苦難を乗り越えましょう」

「ああ。そうだね……」


 老婆の手をギュッと握る。優しさが皺くちゃの手を温めた。


「本当に、あんたは良い娘だね。これは詫びの品だよ。枯れたリンゴだけど、私の精一杯の気持ちさ。受け取っておくれ」

「ありがとうございます」


 クラリスが枯れたリンゴを受け取ると、その光景を見ていた観客たちは拍手で喝采する。感動を生む光景が広がる中、彼女はピタッと静止して動かなくなった。


「どうかしたのかい?」

「私、試してみたいことがあります」


 クラリスは全身から魔力を放ち、輝きを纏う。神々しさを感じさせながら、続くように奇跡が体現する。


 掌に握られていたリンゴが、回復魔法の力によって、みずみずしさを取り戻したのだ。大きさも二回り以上大きくなり、フーリエ領から輸入していたモノよりも立派な姿へと変わる。


「やはり回復魔法は果物にも有効でした!」

「馬にも効果があったからな。野菜や果物に効いても不思議ではないが……」


 だが費用対効果が悪すぎる。果物を大きくするのに、魔力を消費しては割に合わない。一時しのぎにしかならないのだ。


 だがクラリスの瞳に絶望は浮かんでいない。将来への希望でキラキラと輝いていた。


「アルト様、私に付いてきてください!」

「どこへ行くんだ?」

「皆を救いに。この領地を食料でいっぱいにしましょう」


 クラリスは目抜き通りを走り出す。彼女は皆を救う手段を思いついたのだった。

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