第一章

第一章 ~『辺境に送られた令嬢』~


 婚約破棄を言い渡されたクラリスは着の身着のまま、宮廷を追放された。王子からプレゼントされたドレスや思い出の品は手元にない。すべてをリーシャに奪われてしまった。


 畦道を荷馬車が進む。窓から見える景色は一面黄金の麦畑だ。普段ならその美しさに感動できたのだろうが、半ば売られるに等しい形で辺境に送られる彼女にその余裕はなかった。


「私はこれから会ったこともない人と結婚するのですね……」


 公爵は王族の血を引く分家筋の者たちだが、ハラルド王子の弟は分家の出身ではない。血の繋がった宗家の王族だ。


 それにも関わらず、顔があまりに醜いため、子供のいない公爵家へと養子に出されてしまったのだ。今では両親から当主の座を引き継いでおり、公爵領を治めているという。


「いったいどんな人なのでしょうか」


 その顔は見る者を不快にさせるほどに醜悪なのだという。今までも嫁候補として、貴族の令嬢が何人も送り込まれたが、そのすべてが耐えられずに逃げ出している。


「王子の弟なのですから……きっと優しい人ですよね……」


 裏切られても尚、クラリスはハラルド王子のことを愛していた。瞼を閉じると鮮明に彼との思い出が浮かんでくる。


 剣舞をお披露目したいと呼び出された日のことだ。麦畑で剣を華麗に操る姿は、まるで武神のようだった。


 才能だけでできることではない。その証拠に彼の剣を握る手は切り傷で痛んでいた。自分のために血の滲むような努力をしてくれたのだと知る。


「ここが公爵様のお屋敷ですか……」


 荷馬車から降りると、目の前には全体像が掴み切れないほどに広大な屋敷が待ち構えていた。だが広さに反して、手入れが行き届いていないのか、庭は荒れ放題で、建物も傷んでいる。


「本当にここに人が住んでいるのでしょうか?」

「ええ。間違いなく」


 声をかけたのは荷馬車を引いていた老人だ。白髭を撫でながら、茫洋とした眼を向ける。


「あなたは?」

「私はグラン。王に雇われている召使いの一人です。そして王宮から多くの令嬢を公爵様の元へと送った荷馬車乗りでもあります」

「私以外にも大勢の女性が逃げたのですよね?」

「両手で数え切れぬほどに。それほどにアルト公爵の顔は醜いのです」

「内面はどうなのですか?」

「昔は体調の悪い召使いがいれば、お休みを与えてくれるような人格者でした……ですが今は周囲からの冷遇で性格も歪み、お世辞にも接しやすい人間とはいえません」

「昔は優しかったのなら、きっと性根は善き人です……」


 その言葉は願いだ。ハラルド王子も性根は優しい人で、婚約破棄は気の迷いに違いないと期待するための誤魔化しだ。


 いつかきっと正気を取り戻した王子が迎えに来てくれる。夢のような淡い希望を胸に、公爵家の屋敷へ足を踏み入れる覚悟を決める。


「聖女様、どうかお幸せに!」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 礼を伝えると、グランは荷馬車を引いて、その場を後にする。頼れるものは誰もいない。自分の力だけでこれからは生きていかなければならない。


「ふぅ、ごめんくださーい」


 屋敷の玄関扉の前で声を張り上げる。しかし反応は返ってこない。仕方ないと、扉を開けて、中へと足を踏み入れた。


「……この家に嫁ぐのですから、不法侵入ではありませんよね」


 恐る恐る中の様子を伺う。天井に浮かぶシャンデリアには蜘蛛の糸が張り、敷かれた赤絨毯も色が濁っている。人のいる気配を感じなかった。


「あのぉ、誰かいませんかー」


 再度呼びかけてみるが、自分の声が反響するだけ。本当に無人なのかもしれないと、屋敷の探索を開始する。


「さすが公爵様の屋敷ですね。外から見た印象よりも遥かに広いです」


 大理石の廊下を歩くが突き当りが見えないほどに広い。これほどの屋敷なら使用人が少なくとも十名は必要だ。だが誰も雇っていないと主張するように、埃が宙を舞っていた。


「まるで廃屋ですね。魔物が住み着いていそうな雰囲気です」


 特に公爵が統治するアルト領は魔物が活動的で有名な場所だ。凶悪なゴブリンやオークが人里に現れることも珍しくない。廃屋を根城にしている魔物がいても不思議ではなかった。


「そこの君はいったい誰だ?」


 背中から声をかけられる。公爵かと思い振り返ると、そこには化け物としか表現できない顔の男がいた。


 悲鳴をあげそうになるのを必死に抑え込む。男の顔はオークのような豚顔や、王宮の大臣のように下卑た顔でもない。


 一言で表現するなら歪んだ顔だった。両目が本来あるはずの位置になく、鼻先の隣にある。その鼻も曲がり、数字の6のような形をしていた。


 キメ細かな透明な肌と絹のような美しい黒髪をしているだけに、その醜さは強調されていた。背が高いことも本来なら魅力の一つなのだろうが、醜すぎる顔のせいで、不気味さを増している。


「私の顔が可笑しいなら笑いたまえ。公爵だからと遠慮することはない」

「笑ったりなんてしません」

「外面だけは優しいタイプか。今までもいたよ。三日で私の元から去ったがね」


 皮肉な言動は強がっている証拠だ。婚約者が逃げ出す度に、彼の心が傷ついてきたからこそ、性根も曲がってしまったのだ。


 だからこそ正面からアルト公爵を見据える。醜すぎる顔からも視線を逸らさない。


「私は逃げたりしません。他に行く当てなんてありませんから」

「最初は皆そういうのさ。だがこの屋敷を見てみなよ。婚約者だけじゃない。使用人たちまで逃げ出したんだ。それほどに私の顔は醜いのさ」

「でも私は逃げません」

「だが……」

「約束しましょう。指切りです」

「そんな子供騙しで」

「やってみれば分かりますよ。ほら」

「……今回だけだぞ」


 クラリスが小指を差し出すと、アルト公爵は戸惑いながらも小指を絡める。約束の言葉を口にして、指を離した。


「私に触れるのを嫌がらないのだな……」

「どうして嫌がるのですか?」

「……こんな顔をしている男に普通の女は触れたがらないものだろ」

「なら私は普通ではないのかもしれませんね」


 貴族の令嬢たちは周囲に美しいモノが溢れている。宝石や美術品、異性も貴族の血を引く者には美男子が多い。だからこそ醜いことに忌避感を抱く。


 だが顔を火傷した者や、剣で鼻を切り落とされた者など、瀕死の怪我人を治療してきたクラリスにとって、顔が醜いことには些末な問題でしかなかった。


「……私は君を束縛する気はない。この屋敷にいる間は自由に過ごしてくれていい」

「それなら私、人助けがしたいです」

「人助け?」

「こう見えても聖女ですから」


 クラリスは裏切られた悲しみを一旦忘れ、前向きに生きて行こうと胸を張る。その瞳には希望の輝きが宿っていた。


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