第37話:ドラゴンテイルの思惑2
「……っ」
激しい胸の痛みに目を覚ます。周囲を確認すると自分の部屋よりもやや狭い部屋のベッドに寝ていたようで、右隣には奏人の姿があった。
ずっと手を握られていたようで温もりが心地いい。
「あの……」
「優里お嬢様……起きられたのですね」
心のそこから安心するような声を出されて、また胸が痛む。
眠っている間に見たもの……それはきっと単なる夢ではないだろう。消えてしまった記憶の奥底にあるものだ。
「奏人さん……は、お仕事だから私のことを守っているのですか?」
「え?」
「……あの日、青龍を見た日……奏人さんにそう言われて……私……」
まだ、頭の中が混乱している。どうして起き掛けにそんな質問をしてしまったのか分からない。すると奏人は優里の手をさらに強く握り、
「確かにあの日まではそうでした」
と告げた。
「今でも記憶に残っています。あの時まで俺は何故自分が使用人なんて仕事をしなければならないのか分からずやさぐれていた。でも、優里お嬢様はそんな俺でも守ると、大切な人なのだといってくださった……今は心の底から大事だと、大切な人だと思っています」
泣きそうな声を聞いて優里もまた泣きたくなった。
幼い頃の優里は奏人にそう言ってもらいたくて、しかし否定されるのも怖くて、そんな心を銀髪の女性に利用されてしまったのだ。
屋敷で過ごした記憶、両親の温もり、青龍の声……そういったものが蘇ってくる。
「思い出しました……いろんなことを……銀髪の女性のことについても、全部。何故自分が選ばれたのかも……このネックレスが教えてくれた」
「やはり……それは」
「青龍の鱗、です」
商店街でたまたま見つけた青く艶やかな石。それは石ではなく青龍の鱗の欠片だったらしい。
その欠片が優里を守り、そしてかつての出来事を夢として見せてきた。
「ドラゴンテイルは……青龍のことを厄介な存在だと思っていた。だから、青龍に好かれている私を真っ先にノースキャニオンに移すことにした……みたいです。きっと同じ龍でも対立関係だったりすることもあるのでしょう」
「そう……だったんですね」
ようやく、十年前の謎が解けた。感情が封印された理由も、自分が当時奏人をどう思っていたかも分かった。
しかし……当時の感情が帰ってきたわけでもない。当時の優里が抱いていた愛情というものは、やはり理解することができなかった。
「あ……えっとここは?」
「使われていない使用人用の部屋らしいです。一通りお身体を輝夜様にも見ていただきましたが異常はないようで……」
「優里! 起きたんやね」
言われた側から輝夜が入ってきた。その顔を見てまた泣きそうになる。
「輝夜さん……私……」
いろいろと話したいことがあるのに言葉がつっかえる。輝夜はそんな優里を抱きしめた。
「ゆっくりでいい。青龍のこともあって混乱も大きいだろうし、慌てなくてええんよ」
「え……なんで青龍のことを……」
「私の能力は手を触れたものの情報を得ること……やからね」
輝夜は触れたものの情報を得ることがウェストデザート家の能力だと言っていた。やはりこれが青龍の鱗で間違いないのだろう。
「夢で見たんです。自分が感情を封印された時のこと……そしたら急に自分が自分じゃないような感覚になって……」
気が付いたら灰被りと呼ばれて生活していた……その人生の前にはちゃんと皆に愛され五歳まで育ってきた過程があった。人を愛し愛されてきた日々があった。そのことに心と頭がついていかない。
「あの、赤龍は?」
とにかく現状を把握したいと尋ねる。
「赤龍は青龍に注意を受け天上に戻りました。そのお陰か今は人々も落ち着いています」
「じゃあ……将斗様も七海様も無事なんですね」
「……そうです。無事ではないのは優里お嬢様くらいですよ」
安堵する優里に、奏人は不満げに告げた。自分以外……といっても優里だってこうして意識があるのだから無事といっていいだろう。
「みんなに話さないと……いや、みんなが持っている情報を共有したいです」
まだ、何故舞紗たちがここへ来たのかも聞いていない。七海もドラゴンテイルに会っているというなら、何かを知っているかもしれない。
「それなら今日の夕食の時……集まろうか」
輝夜はそう言って立ち上がる。気が付けばもう日も暮れかけていた。食卓を囲むのはいい案だ。
「お願いします」
優里は胸を押さえ、輝夜に頭を下げた。
分かってはいたが、夕食の席に着けたのは貴族の人間だけだった。
奏人たちは優里の後ろで静かに立っている。それがしきたりだと知りつつも、優里は少し物足りなく感じながら、上座に座ってワインを飲む将斗を見つめた。
夕食の内容は殆どが魚介類で、見事に盛り付けられた刺身の他、見たことのない赤い甲羅の生き物もいる。テーブルマナーを間違えればまた庶民といって馬鹿にされるのだから、優里は机を挟んで向かい側にいる輝夜の食べ方を見ながら慎重に食べ進めることにした。
「それで、集まれと言ったのはお前だが一体何を始めようっていうんだ? 輝夜・ウェストデザート」
将斗の言葉に、輝夜は一度フォークやナイフを置いて口を拭きつつ上品に微笑む。
「ドラゴンテイルに関する情報交換です」
現在の輝夜はいつもと違う色気があって、優里は何故かドキリとした。
「別に俺はそんなことをする必要は感じないが」
「是非、将斗様の見解もお聞きしたいのです。どうか下々の者の雑談にお付き合いください」
「ふん、調子のいい奴だ」
優里はここまでへりくだった輝夜を始めてみたが、これも彼女が貴族という界隈で生き残るための術なのだろう。誰もが認めるであろう上品な所作に、自分との違いを実感した。
「ではまず私から現在分かっている事実をお伝えしましょう」
早速輝夜が本題に入る。
将斗や七海はともかく、優里やノースキャニオン伯爵と舞紗は息をのんで話に集中した。
「現在、優里・イーストプレイン様の体内にはノースキャニオンに豊かな自然をもたらす黒龍が棲みついています。医者としてそれを調べた結果、黒龍は消化器官と一体化して栄養を吸収していることが分かりました。さらに優里様の首には黒色の原因不明の痣があります。それについても私の能力で調べたところ、彼女の感情の一部がそこに封印されていることに気が付きました。おそらく次の優里様の話で明かされると思いますが、これは感情を操るドラゴンテイルの仕業だと推測できます。ドラゴンテイルが彼女の感情を封印し、それが儀式の際に栓として機能するようになった。時折起きる発作も封印された感情が栓に拒まれていることが原因のようです」
輝夜の話は大方聞いていたが、改めて聞くとますます自分のおかれている状況が恐ろしくなる。
感情が高ぶってはならないというのは非常に厄介な呪いだ。
「ほお。で、どうしてドラゴンテイルはそんなことをしたんだ?」
「それに関しては私が」
一度、ネックレスについた青龍の鱗に触れた後、優里は静かに手を上げる。
何故そんなことをされたのか、ずっと疑問に思っていた。しかし消されたはずの記憶が戻った時、ようやく答えを語ることができる。
「私がドラゴンテイルに初めて会ったのは五歳の頃でした。叔母に連れられ向かった古い木の小屋に銀髪で赤い瞳の女性が待ち構えていた。そこで告げられた言葉を今やっと思い出すことができました。どうやら東の地にいる青龍はドラゴンテイルに抗う意思があるようで、ドラゴンテイルにとって厄介な存在だったようです。後々一体化する予定でも当時の段階ではとても敵わない。そこで、まずは青龍の声が聞こえる私を排除するため、青龍が関与できない北の地へと連れ出し、黒龍の器として利用することにした。感情を利用したのは当時の私につけ入れられるほどの心の乱れがあったからです」
信じがたい話だが、おそらくそれが確かな記憶だ。
「そしてそれを思い出させてくれたのが街で買ったこのネックレスです。ここにはめられているのは石ではなく青龍の鱗。はっきりとはしませんが青龍はドラゴンテイルに歯向かう意思があり、こうして私の元へきて守ってくれている。今日赤龍を天に戻したのも青龍です」
商店街で偶然見つけたネックレス。しかしその偶然も青龍が作り出したものかもしれない。いたるところに自分の鱗を落とし、優里が拾うのを待っていた可能性もある。
「さて、次は私かな」
将斗に訝しげな眼で見つめられていることが怖く視線を落としていると、玲生・ノースキャニオン伯爵が手を上げた。
「私は自分の不届きのせいで黒龍を悲しませ封印されるに至ってしまった最低な伯爵だ。とにかく封印を誘導した銀髪で赤い瞳の女性を探して文献を漁っていたところでドラゴンテイルの存在を見つけた。そこで優里さんたちを追って優秀な娘たちと共にサウスポートへ来たんだ。ここまでドラゴンテイルについて触れられていないから調べたことを纏めるが、ドラゴンテイルはかつてこの国を支配していた五つの頭を持つ龍の尻尾の部分で、当時の王が龍を分断した際に切り落とされた部分になる。切り落とされた瞬間ドラゴンテイルは意思を持ち銀髪で赤い瞳の女性の姿に変化した。そして人の心を操り龍を集めようとしたため王によってテイル王国の裏側……鏡の中へと封印された」
一伯爵が喋っているというのに将斗の態度は変わらず頬杖をついて聞いている。まるで自分の方が地位が上かのように振る舞っているし、実際に龍を失って統治力もなくした伯爵よりもサウスポートの跡継ぎの方が偉いのかもしれない。
「鏡の中にいる……ねえ。そんな証拠がどこにある?」
「それは私たちがこの目で見たわ。今朝、ノースキャニオンの屋敷にある鏡に銀髪の女性が現れた。けれどその女性を銃で撃った途端に消えてしまったの。多分ドラゴンテイルは各地の鏡を経由してみんなを見張っている。そして龍をその地から連れ出すことを目論んでいるのよ。全ては自分の力を取り戻すために」
傲慢な態度が気に入らないのか攻撃的になりそうな舞紗を父が押さえている。
ワインを飲みながら舞紗の話を聞いた将斗は知っているとばかりに退屈そうな顔で欠伸をした。
「それで……あなたの知っていることも教えてくださらないかしら。将斗様」
赤い甲羅の海産物から綺麗に中身だけを取り出して食べる輝夜は、おしとやかに将斗に尋ねる。
優里はふと七海の方を見た。彼女は先ほどから黙々と食事をしてはいるが、時折そわそわとしながら兄の方を見ている。
「俺は三年前にドラゴンテイルに会っている」
「え?」
優里は思わず驚きの声を出してしまった。七海の件があるのでそうかとは思っていたが本当に会っているとは。
「あいつは三年後に黒龍が封印されること、そして対となる赤龍が暴れ出すことを俺に告げ、七海をその器に仕立てたとも伝えた」
七海は声を栓として封印され赤龍が封印されるための器になっていた。やはりそれは事実だったのだ。
「最初は七海を器にするしかないと思っていたがこの庶民の話を聞いて気が変わった。こいつを呼んだのは七海の代わりに器にするためだ」
やはり……治療は口実であり本来の目的はそれだったのか。驚きで食事の手など進まない。
「そんなことしたら赤龍自身も……いや、あなたの望みには一致するのでしょうね」
「流石西の眠り姫、察しがいい。そう、俺は最初から赤龍を殺すつもりだ。赤龍がこいつの体内に入ったまま死んでくれるならそれも結構」
将斗は手の中でワイングラスを転がしながら平然と言ってのける。彼の背後に立っているメイドも、七海も何の反応もしない。最初から彼の思惑は知っていたのかもしれない。
「しかし、そんなことをすれば国王からの評価も下がるのではないか?」
ノースキャニオン伯爵は怯える舞紗の背を撫でながらそう尋ねる。すると、将斗は急に笑い出した。
「ははははは、万年劣等生のお前たちじゃあ国王の本当の意向は知らないんだろうなあ。知っているか? 王はな、本当は龍を殺したがっているんだよ」
国王は龍を殺したがっている……? 彼はセントラルランドの金龍を守護するために君臨しているのではないのか。伯爵家にそれぞれの土地の龍を守ることを命じているのではないのだろうか。
「龍がいなくなればドラゴンテイルは永遠に復活できない。その方がいいに決まっているだろう。今の国王は少なくともそう思っている」
確かにそれも一理ある。自然や文化は一部衰退してしまうかもしれないが、龍のいない他の国と同等になるだけだという将斗の言葉を借りれば、必ずしも不都合がある訳ではない。
「俺の父親、サウスポートの現伯爵は既に寝たきりのジジイだ。既に統治からメイドの衣装まで全ての権限を俺が握っているし、一週間後のパーティーでは正式に伯爵として君臨する。その時には赤龍が邪魔なんだよ」
どうりで伯爵の姿を一度も見ないはずだ。また彼が偉そうに振る舞う理由も分かった。最早サウスポートの実権を握っているのは将斗なのだ。
「その……誰も傷つかず、龍もドラゴンテイルも人と共存できる……そんな方法はないのでしょうか」
優里が初めてドラゴンテイルに会った時、彼女は誰にも理解されない苦しみが分かると言っていた。
鏡の中に何百年も囚われられた彼女は一体どのような心境なのだろう。確かに龍が復活されてしまうのは困るが、思いが報われないのは悲しいと思った。
「あるわけがないだろう」
将斗が眉をしかめる。
「ドラゴンテイルだけを殺す方法なら探れるかもしれない。でも生かすなんて甘い考えをしていたらきっと……その心に付け込まれます」
輝夜も不安そうな顔で優里を見た。
「私たちは最も平穏な方法で黒龍を取り戻す。そのためには敵に情けはかけられない」
「そうよ。黒龍は殺させない。殺すならむしろドラゴンテイルの方なの。そうしたら王も許してくれるでしょう?」
ノースキャニオンの二人は黒龍を取り戻したい。そのためにはドラゴンテイルは殺してもいいと思っている。
輝夜はより安全な方法で黒龍を取り出して医者として優里を救いたい。そのためには他の要因は排除してもいいと思っている。
将斗は今後のために龍もドラゴンテイル殺したい。
優里は……一つたりとも犠牲を生みたくない。
虎徹や月彦は自分のお嬢様の安全が一番だと思っているだろう。イーストプレイン家の皆も優里のことを大事に思っている。
七海は兄の意見に同意しているのだろうか。
この会席の場だけで様々な思惑が交差している。
結局、その後は会話も生まれずただ黙々と食事の時間が過ぎていった。
しかし、食事を終えて部屋に戻る時になって、将斗は優里にそっと耳打ちをした。
耳に息を吹きかけられるような喋り声にゾクリとし、そしてその声が耳に残って離れなかった。
「優里お嬢様……どうされましたか?」
「いえ、なんでもありません」
不安そうな奏人の前で優里は笑ってみせる。ただ、それがちゃんと笑顔になっていたかどうかは自信がなかった。
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