第35話:赤龍の影響3

 海の匂いが風に乗って漂う。優里は今、一人で砂浜に立っていた。

 将斗や七海、イーストプレイン家の使用人やサウスポート家の使用人は皆屋敷の窓から優里を見ている状態だ。そうして欲しいと優里がお願いした。何故か、この場所に複数人で立っていたら赤龍が呼べない気がしたのだ。その理由は自分でも分からない。

「赤龍様、私は東の平野イーストプレインより参りました、優里・イーストプレインです。どうか姿をお見せください」

 手を組んで空を仰げば何かが近づいてくる気配を感じた。おそらく龍の言葉が聞こえる将斗や七海も気が付いているだろう。どこかで木々が揺れるような音がする。

「あなたが混乱している理由を教えてください。何故民に暴力を授けるようなことをしてしまったのでしょうか」

 再び声をかけると、砂を巻き上げるような強い風が吹いた。渦を巻くような風に波が大きな音を立てる。

「教えてください、そしてぜひ力にならせてください」

 必死に声をかける。すると太陽の光が一層強くなり、一瞬目を瞑ってしまったその直後……どこからきたのだろう、巨大な胴体を持つ赤い龍が一瞬のうちにすぐ目の前まで迫っていた。長いひげが風にゆれ、ぎょろりと大きな目玉が恐ろしい。しかしその反面悲しそうにも見えた。

「どうしてあなたは……そんなに悲しそうなのですか」

 手を伸ばせば龍の目元に触れることもできた。炎天下の地面のように熱を持っている。

 龍の姿を見るのは黒龍以来だが、不思議と恐怖はない。尋ねると龍は弱々しい鳴き声を上げ、それから胴体を大きくくねくねと動かす。そして、

『我が片割れが消えたのだ』

 と、悲痛に満ちた声を出した。

「片割れとは……黒龍のことでしょうか」

『そうだ。あれがいなければ力のバランスがとれない』

 龍の声は優里の正面から聞こえてくるというよりも、脳内に直接伝わってくるかのようだった。

 北と南……正反対の場所にあるノースキャニオンとサウスポートは互いに影響し合うものがあるのだろうか。それは分からないが……黒龍が戻らない限りは赤龍も落ち着くことができないようだ。

「黒龍は今……私の体内に封印されています。しかし早く解放する術を探しますので……それまでは耐えていただけませんか?」

 優里は自分の腹をそっと撫でた。ドラゴンテイルまでは近づけたのだ……後少しで何かが掴めるはず……そんな手ごたえは抱いていた。

 けれど赤龍の反応は思う様にはいかない。

『この中に、我が片割れが?』

 と言って、急に声色を変えてきた。

「はい、封印されています」

『出せ』

「しかし、まだ出し方が分からなくて……」

『早く出せ』

 また、龍が混乱しはじめたのが分かった。同時に屋敷の表側……民衆の騒ぎも大きくなったような気がする。

 強い風に後ずさりそうになるのを必死に堪え、優里はもう片方の手も龍の方に伸ばして、その顔を抱きしめた。

 この龍は怒っているのではない。ただ、混乱しているだけだ。それが分かっているから、余計に身を引いてはならないと思った。

「ごめんなさい、まだ出し方が分からないんです。だから一生懸命出す方法を調べています」

 どうか伝わってほしい。そう願う優里とは裏腹に、龍は大きく身体をくねらせて対抗する。

「お願いします、どうか……」

「赤龍、お前が楽になる方法を教えてやる」

 優里が再度お願いをしていると、背後から声がかかった。それは、室内で様子を見ているはずの将斗だった。

「こいつの身体に入ればいい。そうすれば黒龍と一緒になれる。出す方法はこいつらが必死に探してくれるらしいし、それまでの辛抱じゃないか?」 

「そんな……」

 将斗は最初から……赤龍との対話を本気にしていなかったのか……優里は軽く眩暈を覚える。どう考えても今の自分に勝ち目はない。

 そう思って思わず目を瞑ると、

「そこまでよ!」

 と、聞いたことのある幼い声が聞こえた。


「これ以上優里さんに苦しい思いをさせるのは、この舞紗・ノースキャニオンが許さないんだから」

 赤い頭巾を被った少女が拳銃を構えて将斗を狙っている。その背後には猟銃を持った男もいた。

 舞紗と虎徹。彼らも何故かサウスポートへと来ていたらしい。

「はっ、誰かと思えば不祥事を起こして非難囂々のノースキャニオン家のお嬢様かよ。また随分と小さいガキが来たもんだ。俺を撃つのか? そうしたら不敬罪でお前の家の面目も丸つぶれどころじゃない」

「うっ」

 やはりこの威勢のいい舞紗でも立場上将斗に歯向かうことはできないらしい。銃を構える手が下がっていく。

「それを言うならあなたも同じです」

 すると、今度は優里の腰に誰かが手を回した。

「奏人さん……」

 室内で見ていてもらう予定だった奏人もまた優里の元へ駆けつけたらしい。

「イーストプレイン家の跡取りとなる優里お嬢様に危害を加えるようなことがあればあなたもただではすみませんよ」

「赤龍が暴走してやむなく行ったこと……サウスポート家がそう宣言すればどんな家も異論は出せまい。俺はそれくらい偉いんだよ」

 貴族の上下関係は非常にシビアで守らなければならないしきたりだ……優里は詩織からそう学んでいる。

 将斗は本当にそれだけの地位を築いていて、優里も、舞紗も、輝夜すら反発はできない。

 だとすれば今自分にできることは何か。

「赤龍様は、どうされたいですか?」

 優里は赤龍に向き合った。この件の当事者は将斗でも優里でもない。赤龍だ。

 今尊重すべきは一番苦しんでいる赤龍の意志だった。

『苦しい……休ませろ……お前の中で』

 優里の中に入りたい……結局、それが赤龍の意志らしい。

 優里は奏人の方を見る。彼はきっと何も聞こえていない。それでも辛そうな顔をしているのは何かを察しているからか。

 もしかしたらドラゴンテイルはこの状況も読んでいたのかもしれない。

 将斗が優里を呼んで優里が七海の代わりに犠牲になる。その筋書きも彼女の読み通りだったという可能性がある。ただ、そうだったからといってこの選択をどう変えろというのだ。

「では……」

 黒龍の時は仰々しい儀式があったが、もう赤龍は目の前で、あとは優里が受け入れさえすれば赤龍は入ってくると……本能的な部分で察することができた。だから頷こうとすれば、

「だめ! それは絶対あかんから!」

 と、また止めるような声が聞こえた。

「そんなことをしたら優里の身体が持たない。そうしたら黒龍も赤龍も出るに出られなくなる……その選択だけは絶対にしたらだめ」

 振り返れば、白衣を着た輝夜の姿があった。その隣には月彦と、さらに舞紗の父……玲生・ノースキャニオン伯爵の姿もある。

 さらに気づけば隣には音も立てずに愛子が立っていた。将斗の思い通りにはさせない……皆の表情からそんな意思が見られる。

 しかし、苦しんでいる赤龍をどうしたらいいのか。

「大丈夫ですから……少しの間、お休みください」

 赤龍の顔を抱きしめる手に力を入れる。その途端、急に優里の胸の辺りが熱くなり、何かに弾かれるように赤龍の身体が離れた。

「な……」

 優里の胸元で熱く……光を放っているそれは、奏人と共に街で買ったネックレスだった。

 真ん中にはめられた青い光沢のある石が眩しい光を放って赤龍の侵入を防いだのだ。

『この子を信じてください。彼女は必ずあなたの片割れを救います。それまであなたはあなたの責務を果たしなさい』

 石からは、そんな声が聞こえてくる。どうやら龍の声が聞こえるものはその声も聞こえているらしく、優里の近くでは将斗や舞紗が動揺していた。

 赤龍はじっと石を見つめていたが、やがて大きな咆哮を上げると、そのまま天へと昇っていってしまった。この石が、赤龍の暴走を食い止めたのだ。


 今の声を、優里はどこかで聞いたことがあった。強く、優しい……青空のように寛容な声。それなのに、思い出そうとすればするほど記憶には靄のような物がかかる。

「優里お嬢様?」

 身体が熱い。そして、寒い。周囲の音が聞こえなくなり身体の力も抜けていく。

 発作の時ともまた違う感覚で、苦しみの中に眠気のようなものが押し寄せて抗えない。

「優里お嬢様!」

「優里!」

 悲痛そうな声は奏人と……それから近づいてきた輝夜だろうか。

「かなとさ……ん、ごめんなさい」

 優里は掠れた声でそう言うとそのまま意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る