第10話:ノースキャニオンからの使者3

 奏人の部屋は現在屋敷の3階、優里の部屋と同じフロアにある。それは彼女に何かあった際真っ先に駆けつけるためで、サイレンが鳴った時も三十秒で彼女の部屋に辿り着くことができた。

 優里の両親がいない今、このフロアには奏人と優里しかいない。優里を起こさないよう、廊下の電気を片側だけつけてゆっくりと歩いていたが、ふと気になって優里の部屋を覗こうと思った。

 勿論、変な意味はない。

 緊急事態で雑に寝かしつけてしまったのが気がかりなだけで、いわばこれは巡回だ。

 何故か心の中でそう言い訳をして、彼女の部屋の扉を開いた。


 優里の部屋は幼い頃から変わらない。入って正面、西側の壁に窓があり、そこから庭の様子が一望できる。

 窓際にベッドがあり、サイドテーブルには分厚い本が置かれている。ベッドの正面にある壁にはピンクの鏡台があり、詩織が優里の身支度を手伝う際に使っていた。

 電気はつけず、月明かりだけを頼りにベッドに近づく。

 広いベッドで眠る優里の表情はどこか血の気がなく……少し、不安になった。

 元々肌は白い方だと思うが、疲れている時は余計に顔が青白く見える。

 ふと蘇るのは十年前の忘れられない日の記憶だ。

 彼女は龍に青襲われた奏人のことを「大切な人」と言った。そして奏人の大切な人になりたいと。

 それは幼い少女の戯言のようなものかと思った。けれど……違う。

 初めて共に食卓を囲んだ際も、彼女は「みんなの大切な人になりたい」と言ったのだ。彼女にとって、大切な人とはどのような意味を持つのだろう。

 奏人が優里に服従したいと言うその思いでは……やはり足りないのだろうか。

 未だに、優里と共に青龍を見たあの日をつい最近のように感じることがある。守りたいと思った直後に彼女は連れ去られ深く傷ついた。ただ、他の者が優里の生存を諦める中奏人だけは優里は生きているのだと言う確信を持っていたのだ。

 もし本当に優里が命を落としているのなら……きっと青龍は優里の叔母や守れなかった奏人のことを攻撃しにくるだろう。けれど、それがない。

 ならばどこかで生きているのだ……言葉には出せずとも、そう確信しており……やがてまた再会することができたのだ。

 あの頃と変わらない優里に。

「いや……変わらないってわけじゃないか」

 小さく呟く。

 あの時よりさらに謙虚になってしまったし、どこか遠慮がちなところもあって昔の通りとはいかない。

 自分たちにも敬語ではなく使用人に対する態度で話しかけて欲しいのに一切そうしてはもらえないし、あまつさえ奏人に敬語はやめて欲しいなどと言ってくる。

 それに、容姿も五歳の頃と同じとは言えない。

 華奢な体型ではありるが、それでも確実に女性へと変貌を遂げるその途中だ。たまに、その白い四肢に触れることを躊躇してしまうこともあった。

 大事な主人を一女性として見ることなどできないのに……彼女の笑顔を見るたびに、楽しそうに本を読んでいるところを見るたびに、胸が締め付けられるような思いがする。

 これは再会への喜びや安堵か……それとも……

「って、何しているんだろ、俺」

 何故優里の寝顔をいつまでも見つめているのか分からない。愛子が二時間監視をした後は詩織が監視を担当し、その次が自分だ。だから少しでも仮眠を取る必要があるというのに。

 時計を見て、そろそろ部屋に居座るのもやめようと踵を返そうとすると、

「……いや」

 と、微かな声がした。

「優里お嬢様?」

 どうやら寝言のようだが……そのの顔は苦しそうに歪められている。息も何故だか苦しそうだ。

 どうも悪い夢を見ているらしい。

「こわい……やめ、て」 

 一体いつの夢だろうか。あの儀式の時の夢? それともどこかの家で使役されていた時の夢?

 いずれにしても、うなされているのを見るのは辛い。

「大丈夫です、もうここは安全ですから」

 額に触れて、そう囁く。

 許可なしに主人の身体に触れることなど、執事としてあまり褒められる行いとは言えないが、人に触れられること……人肌に包まれること……それらは一般的に人の心を落ち着かせると言われている。 

 だから、そっと頭を撫でてみれば、優里は悪夢から逃れられたのか、穏やかな表情を浮かべた。

 彼女にはこれからも様々な試練があるだろう。できれば共に乗り越えたいが、王が彼女を否定するのであれば共に亡命する覚悟だってある。

 十年分の気持ちは強い。勿論それは主君への忠誠、という意味で。

 できれば一晩見守りたいが、やはり交代監視のこともありそれはできない。

 少し名残惜しく感じながら、奏人は優里の部屋を後にした。

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