第2話:灰かぶりと呼ばれた少女2

 どうやら人柱の話は見事通ったらしい。

 少女は集落の中心にある大木に鎖で繋がれて拘束されていた。

 集落の人々は灰被りがどうなろうと同情する素振りは見せずに、むしろ見せ物小屋でも眺めているような気楽な表情で集まっている。

 少女を育てた継母も同じだった。多少抵抗はしたが報酬として金を貰えばあっさりと少女を売った。姉たちも呑気にビスケットを食べながら観覧している。

 また、不快な雨もこの時を待ち望んでいたかのようにピタリと止み、湿った空気だけが漂っていた。 

「ここ最近続いた嵐や地響きはこのノースキャニオンに住む黒龍が暴れたために起きたこと。これが続けば作物は育たず狩りもできず、我々の生活は衰退してやがてこの土地に住めなくなる。この土地を統治する伯爵家に見捨てられた今、我々ができることはただ一つ」

 この集落の者ではない見知らぬ男が朗々と説明を始める。長い顎髭を撫ぜた後、男は少女を指差した。

「この人柱に災害の神、黒龍を降ろす。そしたらすかさずこの娘を殺すのだ。害悪な神と共にな。幸いノースキャニオンには古来から続く呪術が根強く残っている。守備良く儀式を執り行うことはできるだろう」

「殺す……?」

 人柱を捧げて怒りを鎮める……そういった儀式を行うのだと勝手に思っていた。

 しかし実際は……少女を餌におびき寄せ龍そのものを殺してしまう算段らしい。

 ぞわり、と身の毛がよだつような気味の悪い感覚がした。そんなこと……片田舎の一般庶民が行ってしまっていいものなのだろうか。

 おそらくどこかの集落の長らしい男の言葉と同時に、先端に鈴のついた棒状の道具を持った男たちが七人、大木の周りに並ぶ。その合間を縫うようにして銃を持った屈強な男たちがも整列した。

 まず、少女の丁度正面に立つ男が何やら呪文を唱え始める。するとそれに合わせて鈴の音が不規則に鳴り出した。

 まるで……どこか遠くにいる人を呼ぶ子どもの声のような響きだ。

 数分間それが繰り返されると、一際大きな雷鳴が鳴り響き……強い風が辺りを包み込んだかと思えば、彼らの頭上を覆い尽くしていた雲が二つに割れた。

 それでも呪文や鈴の音は止まらない。より一層激しく音を立てて何かを呼び出す。

「なんだあれは!」

 と、誰かが叫んだ。

 大きな蛇のような動態に真っ黒な鱗。黒い目玉をギョロリと煌めかせるそれは、長老たちが言う黒龍に間違いないのだろう。

 口元から、長い金色の髭が暴風で揺らめいていた。

 最初は鈴の音と同じくらいの歓声が上が上がったものの、現れた巨体の恐ろしさからか、皆一気に静まり返ってしまった。

 その龍は雲の間を泳いでいたが、おびき寄せられるように……何か見えない力に引っ張られるようにこちらへと降りていく。

 5メートル……10メートル……20メートルほどはあるのだろうか。恐ろしく長い巨体が力に抗おうとのたうちまわる。

 少女は大木に縛られたままじっと上空を見つめた。

「やっぱり……」

 あの龍は怒り狂って暴れているわけではない。悲しんでいる。龍の目を見てそう確信しても、この状態でそれを誰かに伝えることはできない。

 龍の方もじっと少女の方を見つめており、突然大きな咆哮をあげると、

『お前じゃない』

 と、大声で唸った。

 それは、少女にしか聞こえないことだったのかもしれない。七人の男たちは未だに儀式を続け、長老たちは固唾を飲んで見守っている。

『お前じゃない、お前じゃない、お前じゃ……』

 龍は引き寄せる何か強い力に抗おうとするが、呪術はそれを逃しはしないようだ。

 その身体は一本の柱のように真っ直ぐに伸ばされ、大木に縛り付けられた少女に向かって一直線に降りてくる。

 呪術のリズムが変わり、龍は長い蛇のようになって少女に巻きついた。足を、胴体を、首を、締め付けるようにグルグルと渦巻いて、やがて体内へと入り込んでいく。

 その時初めて少女に「怖い」という感情が芽生えた。

 思えば、彼女はもう随分と恐怖というものを感じてこなかった。虐げられても、叩かれても、もう仕方がないことなのだと心のどこかで諦めていたのだ。

 そのため、自分の中に明らかな異物が入ってきた時、初めて感じる恐怖に震え上がった。

 恐ろしくて、吐きそうで、しかし何かが次々に押し入ってくるせいで吐こうにも吐けない。それどころか息もできず、悶えようにも鎖が邪魔をして苦しみをどこかに逃すことができない。

 痛い。苦しい。怖い。

 様々な感情がせめぎ合い、周囲を伺う様子も龍を気遣うこともできない。

 このまま龍と身体が一体化したら、龍もろとも殺されてしまう……それがとてつもなく怖かった。

 こんな惨めなままで終わるのは……どうしようもなく辛くて、悲しかった。

「……て」

 助けて、と叫びたくても声が擦れてしまう。

 身体の表面が焼けるように熱くて、けれど芯の方は氷に浸かっているように冷たくて。手足が千切れそうくらいに苦しくて、息を吸うどころでない。

 やがて少女の身体に絡みついていたものがすっかり体内に収まるのを感じて……このまま神の生贄として死んでしまうのか……という絶望も競り上がる。

 目を瞑ることも忘れて、ただ目の前の光景を見つめていると、

「邪魔です」

 黒いワンピースに白のエプロンを着た短髪の少女が目の前を横切り、銃を持つ屈強な男たちを次々と蹴り倒してゆく。

「はああぁっ」

 もう一人同じような服を着たツインテールの少女が鉄の棒らしきもので片っ端から男たちの頭を殴ってゆく。

「……え」

 少女には何が起きているのか分からない。今は儀式の最中で……鈴を持った男たちが龍を誘き出し、最後は銃を持った男たちが少女を殺してしまう……そんな予定だったはずだ。

 しかし、目の前にあるのは儀式に関わる男たちが一斉に襲われ、次々に倒れていく光景。

「見ないでください」

 先ほどまでとは違う恐怖に固まっていると、不意に視界がふさがれた。

 そのまま身体が何かに包まれ、すぐ側に心地のいい匂いを感じる。あまりに場違いな……太陽の日差しのような匂いだ。

「……やっと、見つけた」

「……え」

 この時初めて、少女は誰かに抱きしめられているのだと分かった。

 大きな手が震える背中をしっかりと押さえつけていて、そこから温かな体温が伝わってくる。

「もう、大丈夫です」

 大丈夫……とは、一体何がだろうか。分からない、が、ゆっくりと言い聞かせるような低い声は少女の中の抵抗する気力を奪ってしまう。

 そもそも、抵抗しようにもこのような状態ではどうにもできないが。

 呆気にとられていると……急に心臓がドクンと大きく脈打って、身体中が熱くなって、四肢が千切れてしまうそうな感覚に襲われる。

 龍が入ってくるときよりも遥かに激しい痛みであることには間違いない。

「…………っ」

 ぎゅっと目を瞑り、声の出ない悲鳴を上げると、

「耐えてください!」

 と、その男は少女を抱きしめる手の力を強めた。

 何かが身体の中で暴れているのは分かる。しかし、意識を手放すこともできない。意識を手放してしまったら……もう元には戻れない、そんな気がして。

「辛い思いをさせてしまい申し訳ございません……でも、それでも……俺はあなたと生きたいんです」

「……生き、たい?」

「散々辛い思いをしてきたでしょう……だから、今度はとびっきり温かくて幸せな日々をあなたに贈ります」

「え……」

 言葉を理解しようとしていると、やがて凄まじい痛みは薄れていき、今度は身体の力が急速に抜けてゆくのを感じる。

「もう、大丈夫です」

 と、その男は僅かに腕の力を緩め、少女の頬を指でそっとなぞった。顔を上げれば見たこともないような端正な顔がある。しかし、その顔は今にも泣きそうで。

「……あ、の」

 何かを尋ねようとするも、言葉にならない。

「お話は後で……今は、少しお休みになってください。ね?」

 男は割れ物を扱うかのようにそっと少女の頭に触れて……それからゆっくりと撫で始めた。

「……あ」

 まず、全身が痺れたように動かなくなる。それから感じたことのない心地よさに気づく。

 誰かに優しく触れられたのは初めてだ。彼女に触れる手はいつだって嬲って痛めつけるためにあるようなもので。

 身体の力が抜けてゆき、周りの音なんてもう聞こえない。ただ、自分を抱きしめた男の心臓の音だけが響いて、それから……

 少女の意識は、ふわりと消えていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る