ナツメグ-無敵の人の倒し方-

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

第1話 グッバイなつめホームラン

「これでサヨナラホームラン!」


 そんな掛け声と共に幼馴染のナツメちゃんは鳩阪先生の頭をホームランした。

 金属バットでフルスイング。

 ほんの少しの迷いもない見事なフルスイング。

 あの当たり方だと弾道は少しライナー気味かもしれない。

 それでも白球ならばレフトスタンドに一直線。美しい線を描いて飛び込んでいく。そんな光景が目に浮かぶほど、綺麗なバッティングフォームで芯を捉えていた。


 人間の頭の芯を完璧に。


 噴き出す鮮血。飛び出る眼球。漏れ出る脳漿。

 疑う余地のない即死だった。

 変態淫行教師鳩阪ここに死す。

 私の脳裏にそんな言葉が浮かび、なんとなく乱れていた制服を直した。


 肉体関係のあった男性の死。

 怒りも悲しみもない。嬉しさもなかった。

 警察を呼ぶべきか。

 少し迷ったが呼ばなかった。どうでもいい。どうせ手遅れだ。もう私の人生は手遅れだ。殺害現場に相席しても心が動かない。愛情はない。憎しみも枯れていた。感情が動かない。

 だから涙も流れなかった。

 鳩阪の死で地獄は終わる。

 でもその前に私が終わっていた。だからなにも思わない。

 ぼんやりと眺めていたら、ナツメが予告ホームランのポーズを取った。


「ねえメグミちゃん。もう一振りスイングが必要? 今なら二本目のホームランを打ってもいいよ」


 次にホームランされるのは私の頭だろう。

 それもいい。

 ナツメちゃんは子供の頃と変わらず優しかった。

 このままホームランされるのも幸せかもしれない。

 そんな思考とは裏腹に、別の答えが口から出ていた。


「……さっきサヨナラホームランって言ったよね。なら二本目はおかしくない?」


「あっ……はは! そっか。そうだね」


 ナツメちゃんはとても綺麗に笑った。

 空虚なのに。嬉しくも悲しくもないのに。笑わずにはいられない。

 他の人がからすれば痛々しい笑顔かもしれない。でも今の私にはそんなナツメちゃんの笑顔が魅力的に見えた。つられて笑ってしまうくらいに。

 もう無邪気に笑えない。子供の頃は笑えたのにもう笑えない。それがわかっているから。もうどうしようもないから。

 私も笑った。

 久しぶりに心から笑った。


 ナツメちゃんはたぶん知っている。

 私と鳩阪先生がどんな関係だったかを知っている。

 今日この場で何をされようとしていたかを知っている。

 だから待ち構えていたのだと思う。


 最初は大人への憧れで。恋と錯覚して。写真を撮られて脅された。


 気付けば誰にも相談できなくて。取り返しがつかなくて。絶望した。

 心が死んだあとにヒーローは颯爽と現れた。

 フルスイングで全てを吹き飛ばした。

 遅いよ。

 なんて傲慢なことは言わない。悪いのは私だから。被害者面して、全ての責任を他人に押し付けるところまで堕ちたくない。

 私に残された最後のプライドだ。


 ナツメちゃんは昔から私のヒーローだった。

 鈍臭い私は子供の頃はよく助けられた。

 疎遠になったけど、ずっと覚えていた幼馴染だ。

 けれどそのヒーローはたぶん私よりも壊れている。

 躊躇なく人の頭をホームランできるくらい壊れている。


 月日は流れた。

 お互い成長した。

 大人になった。

 なんて言えない。認められない。私はどうしようもなく汚れていて。ナツメちゃんはどうしようもなく壊れている。

 これが大人になることならば、こんな汚れた世界こそ壊れてしまえ。

 

 ひとしきり笑った後、ナツメちゃんは鳩阪先生の死体を漁った。

 財布から取り出されたのはいくつかの鍵。

 そして鳩阪先生のスマートフォンを見つけ出して、死体の指でスマートフォンのロックを外した。


「……あっ」


 少しだけ私の心が動いた。

 だって鳩阪先生ののスマートフォンだ。ずっと取り返したかったモノ。私の恥ずかしい写真が保存されている。奪い返したかったはずなのに。

 こんなにも簡単なことだったんだ。

 さすが私のヒーロー。バット一振りで解決だ。


「うん……メグミちゃんセクシー。凄く成長してるね。着痩せするタイプなんだ。羨ましいぞコンチクショー」


「みっ、見ないでっ! お願いだからナツメちゃん!」


 自分でも驚くぐらい声が出た。

 最近動かなかった感情が溢れる。羞恥だ。

 とっくに感情は死んだと思っていた。自嘲して笑ったつもりだった。それなのに恥ずかしい。子供の頃みたいに騒いでいる。ナツメちゃんに引き出されていく。

 自分で自分がわからない。


「わかったわかった。見ないからあんまり喚くな」


「消せ! 今すぐ消せ!」


「今すぐはムリ。大元を断たないといけないし。さて私の指紋を登録完了っと。あとついでにパターン認証を上書きして。これでロックがかかっても大丈夫」


 ナツメちゃんはなにかをしようとしている。

 まだ終わっていない。

 目的があって動いている。

 サヨナラホームランを見て、私は終わったと思っていたのに。


「ねえ。メグミちゃんも来る?」


「来るって……ナツメちゃんどこに行くの?」


「このどうしようもなく腐った世界を燃やし尽くしに」


 始まったのだ。

 まるで遊びに誘うように。

 差し出された手は子供の頃のように無邪気だった。

 だから懐かしくてついその手を取ってしまう。

 多分ろくでもないことが起こる。

 まだ汚れてなかった頃に戻ったようにワクワクした。


 ナツメちゃんに引っ張られて床から立ち上がる。

 ずっとへたり込んでいたので足が上手く動かない。

 ポフッとナツメちゃんの胸元に飛び込む形になった。

 ……胸の大きさは態度と比例しない。お互い成長したけれど私の勝ちみたいだ。


「なにを考えているのかな? こんにゃろう」


「べーつーにー。いい香りだったから」


 香水をつけているのかナツメちゃんの香りは少し甘くてスパイシーだった。

 心が落ち着く香り。

 どこか懐かしい香り。

 汚れ切った私の生々しい肉の臭いも。教室中にむせ返るような血の臭いも。全てを打ち消すような。ナツメグの香り。


 ナツメとメグミでナツメグ。

 私達を結ぶ香りだ。

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