第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その593


―――青く静かに燃える怒りもあって、それがキケの目の前にいたよ。

レイチェルは、彼からすると不機嫌そうに見えた。

無表情であったとしても、レイチェルは最高の表現者なのだから。

どうしたって、心の内側を相手に伝えてしまえるんだよ……。




「……私に、どんなことをお望みなのかしら。あれだけの悲劇を、生き抜いているの。つまり、私は死んでいった彼らの命を、背負っている。どうして、背負わずにいられるでしょうか。あれほど残酷に殺されて、引きちぎられて、串刺しにされて、未来も命も、夢も、何もかもを奪われて、踏みにじられた人たちを見てきたのに……」




―――ゾロ島のキケも、レイチェルの絶望を帯びた双眸ににらまれると。

さすがに凍えてしまいそうになったが、彼は震えもしなかったんだ。

殺されたっていいと、さっさと覚悟を決めてしまっているからね。

そうなった人物は強いよ、レイチェルに引き裂かれたとしても彼は恨み言もないさ……。




「私に、どうしろと。あの帝国人どもが、恐怖と絶望で死んでいくのは、当然の報い。帝国軍に属した者は、今ではすべてが志願者。私の夫と、あのサーカス団を否定した人間族第一主義の化身ども。私たちの物語を聞いて、あの死に方をするのは、何か間違っているの?どう間違っていると、あなたは言うのかしら」

「何が、どう間違っているのかは、こっちにも分からん」

「……ああ、おどろいた。なんて、身勝手なのかしらね。私の聖なる復讐を、邪魔しようとしておいて、どうして、そんな……分からないですって」

「ただ、そう思うだけだ。心の底から、これでいいのかと、ただしてみたい。怒っているな。それは、当然だろう。まさに海より深い怒りだろう。だが、それも当然だ。ワシは、ムチャクチャなことを言っている。きっと、間違っている部分も大いにあるはずだ。それでも、お嬢ちゃん。人魚の踊り子さん。世界でいちばん強いかもしれない、復讐者よ。これで、本当に、いいのか?」




―――感情が違うと言っているわけでもないだろう、知性もきっと復讐を支持している。

でもね、ゾロ島のキケの意志はそれらに反発しているんだよ。

どういう理屈なのかは、誰にも分らないかもしれない。

無意識の衝動かもしれないし、もっと別の何かかもしれない……。




「めちゃくちゃなことを言っているのも、百も承知だ。お嬢ちゃんにとって、腹立たしい態度だろう。悲しい瞳で、海に飛び込んで死んでいく、みじめな泣き顔の帝国の若造どもを、見続けている最中に、とんでもない邪魔をしているのは、こっちだって分かっているんだ。だが、それでも、言わずにいられんかった」

「その結果、私が、何か変わるとでも言うのかしら?私が、歩んだ物語と、時間が、悲しみと、怒りと、絶望が、変えられると?このすべてが、永遠に変わらないものよ。罰をもってしか、罪はゆるされない。ゆるしたくない。ゆるせないのよ」

「だろうな。気分を、害したと言うのなら、ワシをぶん殴ってもいい」

「それじゃ、足らないとしたら」




「殺してくれても、かまわん」

「あら……私が、あなたを殺すと思っているの?そこまで、見境のない女だと?」

「好きにしていい。煮るなり焼くなりな」

「そうなの。じゃあ、どうしてやろうかしらね」




―――『諸刃の戦輪』が、ギチギチと鳴いて。

キケの太くて赤い潮焼けの首へと、近づいた。

ピッタリとうごめく刃の歯の列が、彼の皮膚にほんのわずかに触れそうで。

でも、ゾロ島のキケは逃げることはない……。




「試さんでもいいよ、嬢ちゃん。ワシは、竜や君に、助けられたような立場だ。信じたい未来を、感じさせてもらっている。とても、強い力だ。怒りであり、憎しみであり、絶望。だが、それらのすべては、ワシが心の底から願った場所へと、力強く、続いているのが分かる。ワシは、『狭間』の子たちが罰せられない未来が来ると、今日、赤い竜を見て確信したんだ」

「未来に、生きたくないの?」

「生きたいさ。見届けたいが、それは、きっと、君らによって成し遂げられる。それが、分かっているから、問題がないだけさ。ワシが生きていようがいまいが、君が、怒りの道を進み続けるだけでも、きっと勝利を得るだろう。それでも、なお、問うのだ」

「また、敵が海へと落ちた」




「嬉しいかな、それで」

「少なくとも、満足だわ」

「本当にそうなら、もっといい笑顔だと思うが」

「うるさい。何もかも、分かっているはずなのに。私に、何を期待しているの」




「そいつは、たぶん。ここに、君の愛する夫がいたら、願うことだ」

「いるわ。心のなかに。ずっと、こびりついた悲劇が、私を解放してくれると思うの?」

「悲劇が、あらゆるものに勝るとは、信じられんだけだろうな」

「……私を、試そうとするな。本来の私は、とても気まぐれで、感情的なの」




「いいぞ。殺してくれても、かまわんと言っているだろう。だが、もう一度だけ、考えてくれ。君の夫なら、何を願う?人魚の踊り子、サーカスの姫、レイチェル・ミルラ。最強の復讐者と、無敵の猟兵、母であり、妻であり、恋する乙女であった君だけが。串刺しになって死んだ男の言葉を、今でも聞けるんだ」



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