第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その588
―――あなたが生まれる日になった、病院にいたのは私だけ。
お父さんとほかの団員たちは、しっかりと公演をしてから来てくれる。
そんな予定だったの、悲しい物語になるわ。
知っているでしょうけれど、地獄みたいな目に遭うの……。
―――でも、幸か不幸かヒトには未来が見れないのだから。
夢に頼るだけよ、良い夢だったり悪い夢だったり。
私は良い夢を信じるようにしているの、アーティストを目指したいならそうするべきよ。
世界のすぐれた部分を見て、苦痛や憎しみゆがんだ部分に囚われるのは我々ではない……。
―――サーカスのアーティストなら、ちゃんと優れた目を養うの。
世界の汚い部分や、恐ろしい部分だけではなくてね。
あなたに見て欲しいのは、本当は人々の善良な心。
差別や怒りに満ちてあふれた世界じゃなくて、もっと……。
「助けて、助けて!どうして、こんなことをするのよお!?」
「殺さないで、我々が、何をしたというんだ!?」
「逃げるんだ!こいつはら、み、みんなを殺す気だ!!」
「ひどいわ。こんなことをして、どうして笑っていられるのよ!?」
―――世界はね、それでもちゃんと美しいの。
悲しくて、怒るべきこともあったとしても。
悲劇の雨が血塗られて、ぬかるむ大地は二度と潔白にならないとしても。
恐ろしいことが起きたとしても、あなたは良き夢を信じていてね……。
―――お腹をなでた、痛みが始まる直前に。
アーティストらしく、予感については優れているものよ。
世界はあらゆる部分で、つながっているのだから。
生まれようとする命は、お母さんに問いかけてくれる……。
―――「もう、生まれてもいいの?」。
そんな声だって、サーカスの天幕の下で踊った人魚の心には届いてくれる。
たくさんの世界を見た、とても美しくて楽しい日々を送れたの。
世界を信じられる愛する夫と、勇敢で素晴らしいアーティストたちがいてくれたから……。
「殺してやれ!壊してやるんだ!!」
「惑わすだけだぞ、こいつらなんて!!」
「生きている意味も、生きている価値もない!!」
「お前らはたぶらかしていやがるんだ、亜人種の芸で人間族は笑うべきじゃない!!」
―――命はお母さんに、教えて欲しがっていたから。
私はお腹をなでて、合図を返したの。
「いいよ。世界は、あなたを待っていたんだから」。
十か月と十日は、お母さんにはとても長い旅路なの……。
「何が、そんなに気に入らないのよ!?」
「我々は、ただサーカスをしているだけです!!」
「か、帰れよ!!見たくないなら、見なきゃいいだろ!!」
「芸を鍛えただけだ。強制なんてしちゃいない、お前らと違って!!」
―――命ってね、叫ぶものなのよ。
大きな声で主張する、生きたい生きたいって主張するの。
痛みといっしょに、血まみれになって生まれてくるのが命の本質。
死にいくときも、血まみれになりながらも主張するのが真のアーティスト……。
「サーカスを、見て下さい。ボクたちの、創ったものが何なのか。本当に、心の底から作り上げたかったものが何なのか。ボクたちは、何をやり遂げたのかを―――」
―――とっても痛い、痛みだったのよ。
命をこの世に生み出すのは、あまりにも大きな仕事だからね。
こんなに痛いだなんて、思っていなかったのに。
強がることなく、あのひとにいっしょにいてもらえば良かった……。
―――ねだっても、良かったはずだったの。
毎日のようにしている、たった一度の公演を。
わがままな私のために、休んで欲しいと願っても良かったはずだから。
もしも、魔法のように時間を遡れるのならどうしたと思うかしら……。
「ボクたちは、サーカスをしているんだ」
―――悲しいけれど、運命なんて変えられないの。
誰かに与えられた運命なら、変わってしまうことだってあるでしょう。
でもね、本当の運命はそんな軽薄なものじゃないのよ。
自分自身の心と意志で選び、自分自身の命のすべてを燃やし尽くす……。
―――それが本物の運命、それ以外の運命なんてものはくだらないから無視しなさい。
あのひとの息子として生まれ、あのひとから名前をもらったの。
あなたの命が何たるか、選び抜いて勝ち取った運命と共に生きなさい。
世界がたとえどんな姿であったとしても、笑顔でいてね……。
「痛い、痛いっ。想像していた以上にっ。で、でも……ユーリ。ユーリっ。もうすぐ、あなたに会えるよ」
―――サーカスをしていたでしょう、たとえ今日この日でなかったとしても。
明日でも明後日だったとしても、あのひとと私たちが自らの意志で選んだ運命は。
まったくもって揺らぐことはなく、ただこの天幕の下ですべてを捧げるだけだもの。
雨の日だろうが風の日だろうが、公演が休みだったとしても技巧を鍛えて備えたわ……。
―――お客さんの笑顔にね、私たちは会いたいものだから。
そこにどれだけ多くの意味と価値を見つけられるかが、アーティストの力を決めるの。
偉大なる我々の子よ、あなたは誇りを持って行きなさい。
私たちは、いつだってサーカスをしていて運命から逃げることはないの……。
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