第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その219


―――罪深い生き方をして来た男には、懺悔すべき事実を多く抱えている。


カニンガムは人生を振り返り、勝利と暴力と罪深さを思い出した。


彼は実に商人的であり、マフィアであったのさ。


誰かを騙して陥れたことも数多く、それは常人の数とはけた違いである……。




「罪とは、背中に抱き着いてくるものです。振りほどこうとしても、それはしつこくて。貴方を必ずや虜にしてしまう。それらは自分の魂の価値を、いついかなるときも損ねてしまうの。貴方は、自分の罪科をしっかりと知っているのよ」




―――リュドミナの言葉は、汗ばむ暗がりのなかでよく響いた。


カニンガムの心の奥底まで、記憶の井戸の底の底まで。


猟兵に追いかけられる今となっては、過去と向き合うのも悪い選択ではない。


遠からず、破滅が訪れる運命なのだから……。




「……罪を、貴方に告白し。そして、悔い改められたなら……私は、女神イースに今よりも許してもらえるのでしょうか?」


「もちろんです。貴方は、自分を女神イースの御許の前にさらけ出すことで、深く女神イースとつながれる。その真摯な信仰がもたらす充足は、貴方に死後より永劫につづく安らぎを与えるでしょう」




「では、懺悔をお聞きください。美しく聡明な、リュドミナ詠唱長よ」




「ええ。迷える魂の悲しさを、私にお聞かせください。クリア・カニンガム」


「……罪は、そう、多いのです。何から、話せばよいものか……」


「始まりの罪を教えてください。人生で、初めての罪を」


「……盗み、ですなあ。両親を亡くしてから……しばらくは、ろくにメシを食べられなかったのです」




「生きるために、食事を盗んだのですね」


「ええ。年寄りがやっている露店でしたよ。老婦人でした。人の良さそうな顔をしておられて、焼き立てとは言えない、やや古くなり始めたパンを売っておられた」


「彼女に、『甘えた』のですね。やさしい方だと、判断したから」


「そうですなあ。まだ、当時は小さなガキでしたから、私も。奪い取ることも、不慣れでしてね。そして、どうにも若造らしく自分勝手で……」




「恐ろしく屈強な商人から奪おうとするのは、怖くてやれなかった」


「……ですなあ。こん棒を持ったいかつい大男よりも、あのばあさんの方がやさしそうだった。やさしいヤツには、つけ込めるものです」


「貴方は自分の状況に、大きな不満を抱えていたのですね」


「そう、ですな。不満があった。自分だけが、どうしてこんなに不幸なのかと。ばあさんは独りぼっちでしたが、笑顔。こちらは、何日も笑えていない。笑顔が……あの笑顔は……」




「許せなかった。自分は苦しくてさみしくて、辛くて、お腹が空いているというのに。彼女は、心に余裕を持っていた。おそらく、貴方にはない……『信仰心』も」




―――クリア・カニンガムの大きな体が、鞭でも打たれたかのように揺れる。


本人さえも忘れていたはずの記憶に、リュドミナが踏み込んでみせたからだ。


この商人は、自分の信仰心が不完全である理由の一つを自覚していく。


信心深いイース教徒の老婦人に対して、そのやさしさと慈悲に冒涜で挑んだ……。




「……イース教徒の、ばあさんでしたよ。あそこの通りでは、少数派でしたなあ。ばあさんは、とても余裕そうでした。あちらも、不幸なはずなのに。老いさらばえて、腰は曲がっていた。目も病んでいて、膝なんて真っ直ぐ伸びていたのは何十年前のことだというのか……」


「その彼女が、女神イースの慈悲を帯びていた。貴方は、甘えたのです。子供らしい粗暴さも混じっていたでしょうけれど」


「ガキでした。ガキだったから、奪うことに……自分が、空腹を満たすことに。正当性があるかのようにさえ、考えていたんですよ。飢えているガキは、かわいそうでしょう?飢えておらず、商いをして信心深い笑顔を持っているばあさんよりも、ずっと……」


「彼女は、許したでしょう。真なるイース教徒は、その態度を選びますから。それに、そういう方を、選んだはず」




「……ええ。もしも、盗みがばれても、泣いて謝って、私自身の不幸を主張すれば、許してくれるであろう人物を、私は初めての盗みの相手として選んだのです」


「賢さを、実利に使う。それが、貴方という人物だったのね」


「ええ。実に、計算高い選択でもありましたよ。思えば、そう……あのとき、私は本当の自分を理解した。自分のためになら、ゾッとするほど下品で、矮小で……ヒトらしくなれた。物語に謳われる英雄とはあまりにも違いますが、私は本当に迷える子羊でしたよ」


「幼かったからです。でも、それが貴方の人生を縛り付ける最初の鎖になった」




「奪って、逃げたんです。上手くやりましたよ。ばあさんがね、他の客の相手をしている隙を上手に突いて、私は……パンを盗んだ。小さくて、古くて……石のようにカチカチだった。いいや、あれは、まるで……」


「死体のように、カチカチだった」


「どうして、見破られてしまうのでしょうかなあ」


「貴方は、母性を求めているからです」




「……そう、ですなあ。死んだ母に、泣きながら抱き着いた。あのときね。硬かったんです。いわゆる死後硬直ですよ。死とは、硬さなのだと教わりました。冷たく、硬く……あの安っぽい古パンとね、まったく同じようでした」


「お母さんにしかられる夢を、見ましたね」


「……魔法のように、言い当ててくれますな」


「美味しかったでしょう、そのときのパンは」




「……ええ。人生で、いちばん美味しいパンであったかもしれません。涙が、出るほど美味しかった。硬いんですよ。ばあさんが、二束三文で売っている、パン屋の産業廃棄物を買い取り、また売りしただけに過ぎない『それ』がね。涙が出るほどに、美味かった……」


「飢えていたからです。不幸と空腹が、貴方に悲しいまでの美味を教えた。それは、貴方にとって啓示にもなった」


「……はい。美味いものを、食べられるだけ食べて死のうと、思いましたよ。泣きながら味わったあのみじめなまでの究極の美味。母にしかられる悪夢を見ながらも、私は、満たされた。私は、料理人になりたいと願いましたよ」


「女神イースは、その切実さを聞き届けた」




「いい料理人になれましたからなあ。努力もしたつもりですが、やはり、ここまでの腕や地位を勝ち得た理由は、女神イースの加護があったからでしょう」


「女神イースは、常に見守ってくれている」


「まさに、そうだ。私は……罪深い男だが、女神イースは見捨てなかった…………」


「また一つ、懺悔すべき罪科を思い出しましたね」




―――リュドミナは尼僧だから、多くの懺悔を聞いてもいる。


戦乱に燃える大陸では、悲劇も不道徳もありふれているからね。


生きるための罪を選ぶ者もいるし、戦争が明らかにする邪悪さもあった。


不幸を免罪符代わりにして、年寄りから盗んだ少年だっていたように……。




「……大きな、罪を。犯しました。泣き叫ぶ、若い女だ。金になるのは、分かっていた。だから、彼女から……両親を奪った。長い旅の果てに、『オルテガ』へと戻るはずだったのに。両親と彼女で……行商に出ていた……その帰りを、狙い……襲った」


「彼女のご両親を、殺した」


「ええ。この手で、殺した。売り上げを奪い、彼女を殴りつけて、押し倒し、犯して。奴隷にして売り飛ばそうと考えていた……でも、オレは若く。あの子も、もっと若かったから、傷つきやすかった……傷ついて、オレは……朝起きたとき…………」


「死んでいた、のですね」




「……そうだ、オレは……いや、私は。あそこまで、やりたかったわけじゃない。あんな結末を望んでいたわけじゃないんだ。でも……それなのに……結果は、ああだった。ストーンパインの枝に、ロープで……首を……吊っていた。あの子も、まるで……あのときみたいに、冷たくなっていたんだ」



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