今日死ぬぐらいなら、明日死ね。

十和とわ

1・死にたいと思った日

 ───冷たい。とても、冷たかった。


 青白い肌。奇跡的に呼吸を続ける小さな口。

 もう二度と開かれる事が無いかもしれない、閉じた瞳。


「まひる、まひる……っ! へんじしてよ、まひる……!!」


 少年は大粒の涙を流しながら、抱き抱えた小さな体を揺らす。揺れた金色の髪が、辺り一面に広がる赤い水溜まりに波紋を生む。


「やだよ……しなないで、おれをおいていかないで、まひる…………っ!」


 少年が何度呼びかけても、その幼女はビクリとも反応しない。

 紅い瞳を真っ赤に泣き腫らし、少年は泣いていた。ずっと、ずっと泣いていた。

 数秒。あるいは数分。

 声が枯れる程泣き続けた紅い瞳の少年は、暗澹とした表情となった。


「──まひる。しぬなら、おれもいっしょにしぬよ」


 少年は血塗れの尖った爪を自分の首に突き立てた。ぷす、と白い肌に爪が刺さり、そこからは鮮血がじわじわと漏れ出てゆく。

 そのまま首を掻き切るかのように少年が手に力を込めて、勢いよく手を引こうとした、その時。


 ピチャリ……。


 いくつもの死体が転がる雑居ビルの一室に、誰かの足音が響く。それは、その空きテナントを埋め尽くす程の血溜まりの上を歩く、誰かの足音だった。


「どうせ死ぬなら、少しだけでも誰かの役に立ってから死ねよ」


 血溜まりとその上の死体達を一瞥し、軍服を着た男は高圧的に口を開いた。その言葉に、少年はピタリと手を止める。


「……だれ? まさかあんたも、まひるを──ッ!」


 少年は幼女を守るように強く抱き締め、男を威嚇するように牙を剥き出しにした。


「ん、その目……お前まさか、吸血鬼の亜人か? 成程。つまりこれは…………」


 月明かりを受け絶望に煌めく、紅い瞳。それを見た男は少し目を丸くして、考え込むようにぶつぶつと呟く。

 それを不審に思った少年は、キッと男を睨んだ。


「なぁ、ガキ。そっちのガキはお前のなんだ? 妹か何かか?」

「……なんで、そんなことをきくんだ」

「事と次第によっては、お前ら二人共、助けてやる」


 男はじっと、ゆっくりと見開かれていく少年の瞳を見下ろしていた。


「なっ──、たす、ける……? あんたっ、真昼を助けられるの?!」


 あんなにも不審に思っていた相手に、少年は藁にもすがる思いで懇願する。


「おねがいします、真昼を……妹を、助けてください! おれはっ……俺は、どうなってもいいから!!」

「どうなっても、ねぇ…………」


 男は少年の前で膝を折った。意識を失った妹を抱え、ボロボロと涙を流す血塗れの少年に向け、男は告げる。


「国のため──平和のためにその命を尽くすと誓えるか?」

「ちか、う……? なんでもいい、とにかく真昼を助けてくれるなら、俺はなんだってする! だから、だからっ、お願いしますッ!!」


 少年が必死に頭を下げる。それを見て男は、ふぅ。とため息を一つ。


(……──バラバラにされたいくつもの惨殺死体。意識不明の吸血鬼と、それを必死に守ろうとする血塗れの吸血鬼。こりゃどう考えても俺達・・の案件だな)


 後頭部を掻き乱しながら男は立ち上がる。京夜から少し距離を取って、懐より支給品のスマホを取り出しどこかへ電話をかける。


「おいガキ、お前と妹の名前は?」


 プルルルル……とコール音が雑居ビルに鳴り響く中、男は少年に問うた。

 少年は少し間を置いてから、口を開く。


「……俺は周京夜アマネキョウヤ。妹は、周真昼アマネマヒル

「京夜に真昼か。よし京夜、ちょっと上司に電話して来るから待っとけ」

「早く、してね。真昼が……」

「分かってるよ」


 その時タイミング良く、電話の相手が出た。

 電話越しに聞こえてくる成熟した大人の女性の声。どうした、という言葉が聞こえて来たので、男は電話相手に事のあらましを報告する。


「こちら五月雨サミダレ。通報のあった現場に現行したところ、大量の死体と吸血鬼の亜人・・・・・・の男女を二名発見。恐らく凶悪犯エネミーと通報されたのは男の方。だがどちらも子供のため、保護するべきと判断した。死体がブラッドリスト狙いの売人の線が濃厚なので、改めて調査をした方がいい」


 五月雨は畳み掛けるように報告した。それを聞いた電話相手は、《ちょ、ちょっと待て、一旦整理させろ》と戸惑いを露わにした。


《吸血鬼の亜人……それも子供だと? ならばこの件はまさか……》


 ゴクリ、と電話相手は固唾を呑む。


「そのまさかだ。絶滅危惧亜人種──ブラッドリストに指定される吸血鬼の亜人が、まだこの日本にいたって事だ。それも、その存在に気づいた売人共までいる。犯人だとか言ってる場合じゃねぇだろ」

《……ああ。お前の話が確かならば、我々は保護しなければならないな……だが、その子供は種族固有の能力で何人も殺したのだろう? 果たしてどれだけ法の穴を掻い潜る事が出来るだろうか……》


 五月雨と電話相手は同じ判断を下した。それを確認して、五月雨は「最後に」と更に続ける。


「売人に狙われたらしい方の子供が瀕死だ。特別治療室を使えるようにしておいてくれ」

《なっ……吸血鬼の亜人が既に一人瀕死だと!? それを早く言え! 貴様も呑気に報告などせず、例の子供達を連れてさっさと戻って来い!!》


 啖呵に続くように、ブツッ! と勢いよく切られた電話。


(報告しなかったらしなかったらで、後で怒鳴り散らす癖に……)


 通話終了。の文字が映し出される画面を見ては眉を顰める。しかし気を取り直して、五月雨はくるりと京夜と真昼の方を向いた。

 眉尻を下げて不安げにこちらを見上げてくる京夜に、五月雨は手を差し伸べた。

 しかし京夜はというと……ぱちぱち、と何度もその手と五月雨の顔を交互に見ては、瞬きをするだけだった。

 全然意図を理解されず、業を煮やした五月雨は「はぁぁぁぁぁぁ……」と肺から空気を押し出して、


「──今日死ぬぐらいなら、明日死ね。世のため人のために平和への道を切り開き、誰かの役に立ってから死ね。瀕死の妹を残して今すぐ死ぬ事なんて許さねぇぞ、京夜」


 まるで罵るように言葉を投げかけた。

 しかし、それはまだ幼い京夜の心に刺さるには充分すぎるぐらい、真っ直ぐな言葉だったのだ。


「……っ、はい!」


 涙を拭って、京夜は五月雨の手を取った。


 ──のべ二十人強を惨殺した齢十歳程の吸血鬼の少年。

 その情報は徹底的に隠蔽され、この大量殺人事件は、売人集団に恨みを持つ正体不明の凶悪犯エネミーによる犯行と報道され、幼い吸血鬼の兄妹は国によって護られた。



 これは、国家組織『公共保安局』に保護された周京夜アマネキョウヤが、この時の罪の清算と、愛する妹の治療のため──……そして世のため人のため、仲間と共に日夜懸命に戦う青春群像劇である。

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