第16話 「バカヤロウ」

 教室の中に入ると、神奈月さんはすでに自分の席に座っていた。

 無事にバスで登校できたようだ。

 俺としてもほっと胸をなでおろす。

 神奈月さんの方を見ると、彼女はちらっと笑顔でこちらを見た。

 かわいい。

 俺も軽く笑顔で返してから、特に今までと変わらない顔で席に着く。


「啓斗、うーっす」

「竜弥おはよ。元気がないな」

「やっぱり分かるかぁ。うん、気付いてくれるお前はやっぱり親友だよ。実は日南さんがさ……」


 竜弥がずっと言っている日南さんとは、クラスの女子の名前である。

 どうやら竜弥は彼女のことが好きらしく、アタックをかけているが相手にされていないらしい。

 ちなみに先日の席替えの結果、日南さんは神奈月さんの目の前に座っている。

 黒髪クールな神奈月さんに対し、日南さんは明るい茶髪で性格も髪色のままに明るい。

 俺のなかでは、神奈月さんのクールイメージがかなり崩れてきているところではあるが。


「何だ? とうとう告ってフラれたか?」

「ばーか。フラれちゃいねえよ。でも何か最近冷たいっていうかさ……」


 ちなみに竜弥へ寒波がやってくるのは、今月に入ってもう4度目である。

 俺からしたら普段と変わらないように見えるのだが、竜弥には竜弥なりに感じることがあるのだろう。

 まあ相談されたとて、俺は彼女いない歴=年齢の恋愛ど素人人間なため、何か効果的なアドバイスができるわけでもない。

 竜弥にしてもそのことは織り込み済みで、ただただ話を聞いてもらいただけなのだ。


「あーでもなあ、どうせフラれるなら告ってフラれた方がいいよな……」


 ぼそぼそと呟く竜弥の声を聞いていると、担任の夏原先生が入ってきた。

 フラれかけている生徒に対して、こちらはすでにフラれた教師である。

 ここは失恋学級かよ。


「よーし、朝の自習の時間な」


 夏原先生の一声で、みんなが席に着いて思いおもいに自習の時間を過ごし始める。

 課題のワークをやる人、本を読む人、朝からいきなり机に突っ伏して寝始める人。

 神奈月さんの方をちらっと見ると、彼女は真剣な顔でノートに何かを書き込んでいた。

 俺もちょっとは勉強するかな。

 そういえば、今日提出の課題やってねえ。




 ※ ※ ※ ※




 先週の金曜日、夏原先生が『閑さや 胸に染み入る 君の声』なる迷句を生み出したのは4時間目の現代文だった。

 そして偶然にも、月曜日の4時間目も現代文である。

 どうやら先生は失恋ショックからすっかり回復したようで、特に迷句が生み出されることはなく、もちろん名句が生み出されることもなく授業終了のチャイムが鳴った。


「はい、終わり~。挨拶省略な」


 適当に締めて先生は教室を出て行く。

 そして例のごとく、竜弥が隣の席へとやってきた。


「やーっと昼だよ。今日は長いわ~」

「だなぁ。疲れた疲れた」


 弁当を取り出し、授業の合間に自販機で買ったお茶も机に載せる。

 そういえば今日まだログインしてないスマホゲーがあったなとスマホを開くと、竜弥が覗き込んできた。


「お? また物件探しか? ……って何だ、ゲームか」

「そ、ゲーム」

「物件探しは? 見つかったの?」

「いやー、何かさ。上手いこと行って引っ越さなくて済むようになったんだよね」

「まじ? ラッキーじゃん」

「まじまじ。超ラッキーだよ」


 まさかまさか、コロッケパンのお礼に神奈月さんが何とかしてくれましたとは言えない。

 幸いなことに、竜弥もそれ以上突っ込んでくることはなかった。


「今日は? バイト?」

「いや、今日はない。明日はあるけど」

「あーね。俺もバイトしたいなぁ」

「そう言い始めてもう3か月だぞ。さっさとしろよ」

「いやー、気が向かなくてさ」

「どっちなんだよ」


 まるで中身のないどうでもいい会話をしていると、ふと日南さんの声が聞こえてくる。

 彼女の声は少し高めの聞きやすい声で、決して大きな声ではないのだが自然と耳に入ってくるのだ。


「あれ? 神奈月ちゃん、お弁当箱変わった?」


 ちなみに教員生徒ほとんどが神奈月さんと呼ぶなか、日南さんは神奈月ちゃんと呼ぶ数少ない人間の1人である。

 というか、俺自身は神奈月ちゃんと呼ぶ人を彼女以外に知らない。

 この明るさやフラットさが、日南さんの男女を問わない幅広い交友関係をもたらしていることは間違いない。

 ちなみに竜弥もそんな彼女の良さに惹かれているんだそうだ。


「うん。新しく買ったの」


 対照的に、神奈月さんは落ち着いた声で答える。

 意外と天然なところもある彼女だ。

 余計なこと言うなよと少しびくびくしながら、俺は弁当箱の蓋を開けた。


「お、今日も美味そうだな。手作り?」

「当たり前だろ。誰も作ってくれないんだから」


「わー美味しそう! 何か神奈月ちゃんがこういうザ・お弁当って感じなの珍しくない?」

「そうかな?」


「特に卵焼きがいいな。美味そうだから一個没収する」

「ったく。お前のおかずも一個よこせよ」


「卵焼きとかめっちゃおいしそうじゃん!」

「朝、味見したけど美味しかったよ」


 同じ教室の中で、同じ内容の弁当について、2つの場所で交わされる会話。

 まさか、まさかバレないよな?

 弁当の中身を別々にするって手もあるけど、あまりに手間だし現実的じゃないからやらなかったんだけど……。


「おっ、やっぱ美味い。何か日南さんも卵焼きで盛り上がってるな」

「そ、そうだな~」


 俺の弁当から奪った卵焼きを口にしつつ、竜弥がまるで悪意はない純粋な笑顔を浮かべる。

 俺は頬に一筋の汗を流しながら答えた。

 向こうの会話も、まだ終わる気配がない。


「味見って……まさか神奈月ちゃんの手作り?」


 ドクンっと勢いよく心臓が跳ねる。

 大丈夫。神奈月さんは天然なところあるけどこういうところはしっかり……


「ううん。平坂くんが作ってくれ……あっ!」


 バカヤロウ……!

 慌てて口を塞いでももう遅い。

 日南さんの視線が、2人の会話をそれとなく聞いていたクラスメイトの視線が、そして目の前の竜弥の視線が、一斉に俺へと突き刺さる。

 はっきり言おう。

 何もやましいことがあるわけじゃない。

 何も悪いことはしていない。それは確かだ。

 でも、でも、でも。

 うん、終わったな。


「お前いつの間にっ!? 非リア同盟を裏切ったな!?」


 目をガン開きにして、結んだ覚えのない同盟を口にする竜弥であった。

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