5  嵐が悪寒

 早く起きると言ったくせに、隼人はやとが起きてきたのは10時を回った頃だった。例によって、

「バンちゃん! なんで起こしてくれなかったんだよっ! おかげで腹ペコで死にそうだってばっ!」

と、プリプリ怒る。五千年生きてるって言う割に、すぐ死にそうになる隼人だ。


「判った、判った。すぐできるからそこに座って待ってて。飲み物はカフェオレにしようね」

「カフェオレッ! バンちゃん、だぁあい好きっ! お砂糖たっぷりねっ!」


途端に隼人の機嫌が直り、鼻歌を歌いながらダイニングテーブルに着く。そわそわ僕を見ながら、おとなしく待っている。


「お待たせ。ちゃんとサラダも食べるんだよ」

「うん、ひとなりの体には必要なんだよね」


 まったく、僕の神様ホルスは子どもみたいだ。冷や冷やさせられたり、困らされたり、 と思うことも多いけど、目が離せない。やっぱり僕は隼人といる。


 食事が終わると、

「バンちゃん、お土産は? まさか一人で食べてないよね?」

と言い出した。


「お土産?」

「バンちゃんったら、忘れちゃったの? ほんっと、忘れっぽいんだからっ!」

隼人に言われたくないよっ!


 こないだ遊びに来た碁精、双子で別人の摺墨すずみ潔白きよしろが持ってきたクッキーのことを言っているらしい。十二単じゅうにひとえだと出歩けないという碁精に、隼人が白黒の市松模様の着物と帯を贈り、お礼に二人が事務所まで来た。その時、手土産にバニラクッキーにチョコクリーム、チョコクッキーにバニラクリーム、二種類のサンドクッキーをいただいた。ほっとくと隼人が勝手に食べて腹痛を起こしそうだったから隠した。やっぱり隼人、食べ物のことは忘れない。


「バンちゃん、コーヒーれて」

逆らっても無駄なので、ケトルで湯を沸かし始め、キッチンから皿とクッキー缶を持ってリビングに行く。


「はい、食べる分だけこの皿に入れて。一度に食べちゃダメ。食べ過ぎ禁止」

「バンちゃん、奏ちゃんに似てきた。幾つならいいの?」

「3枚ずつかな。各3枚」

「じゃあ、バンちゃんは2枚ずつね。もう1枚お皿」

はいはいはい。僕の分も用意するってだけマシか?


 お皿を持っていき、コーヒーを淹れてから再度リビングに行く。すると隼人が慌てて口元を隠す。あきらかにモグモグしている。


「バンちゃんの分、食べたりしてないから。数えて、ちゃんとあるよねっ?」


 皿を見ると、隼人の前には3枚3枚の計6枚、もう1枚の皿には2枚2枚の計4枚、確かに隼人が言った枚数がある。でも、2枚ずつしか乗っていない皿の空いたところにクッキー色の粉が落ちている。さては隼人、僕用に余計に出して、それをつまみ食いしたな。


「そうだね、ちゃんとあるね。はい、コーヒー。砂糖とミルクは入れてあるよ」

「うん、一緒に食べようっ!」


 だまされたフリをしてあげると、隼人が嬉しそうな顔をした。隼人は僕を騙せたとは思っちゃいない。僕が許したことにちゃんと気が付いている。怒られるんじゃないかとビクビクするなら最初からしなきゃいいのに、と、いつも思う。ま、クッキー缶はまた隠しておこう。


 クッキーをムシャムシャしながら隼人がつぶやく。

「風、穏やかだねぇ」

「夕方ごろから荒れるらしいよ」

「雨、降るの?」

「降るって言ってた」

「雨は嫌だな。バンちゃん、降らせないで」


 無茶言うな。


「風、吹くんでしょ?」

「うん、雨は大したことないけど強風注意って言ってた」

「誰が?」

隼人の目がキラリと光る。

「バンちゃん! ボクの知らないうちに一人でテレビ見たねっ? テレビ見る時は一緒って言ったでしょっ!?」


だから、いきなり怒り出すなって!


「それで? それで今日のお天気お姉さんは美人だった?」


覚えちゃいないよっ!


 隼人いわく、お天気お姉さんが美人だと、予報が当たり、そうじゃないと外れるそうだ。ただし、同じ人でもその日によって隼人の基準じゃ美人だったり、そうじゃなかったりするから、僕に判るはずもない。


「まぁ、いい。バンちゃん、風が吹く前に半紙、買ってきて。ボクはバンちゃんが帰ってくるまでに何か探しとく」


 何かってなんだろう? 隼人自身が『何か』を判ってない事を祈りながら、僕は出かけて行った。


 事務所を出ると、すぐそこの電柱におくさんがいた。今日は八咫烏やたがらすの姿で足を1本上手に隠し、電柱の上から見下ろしている。


『カァカァカァ(もうすぐ嵐が来るぞ)』

それだけ言うと奥羽さんはどこかに飛んで行った。


 半紙を買って急いで帰る。天気予報はどうやら当たりそうだ。空が暗くなり始めた。


「どこ行ってたんだよっ!? 僕をひとりにして、孤独死したらどうするつもりっ!?」


 しないと思う、安心していいよ、隼人。


「半紙、これで良かった?」

駄目と言われてもそれしかなかった。

「よし、さくたちの屋敷に行くぞ!」


 一息つく暇もなく隼人にかされ、また出かける。鍵を閉めている間に、隼人はトットと行ってしまい、僕を遅いと責め立てる。それでも追いついた僕の腕にしがみ付いてくる隼人を僕は拒めない。触れる直前に感じるあのフワッっと優しい感触に、やっぱり僕は騙される ――


 予告なく現れた隼人をみちるが大喜びで迎え入れた。朔は困惑しているようだ。一瞬、自分の耳を手で隠した。でも、無駄だと思ったんだろう、すぐその手を降ろした。


「やぁ、ミチル、猫耳……じゃなかった、犬耳だね」

ニッコリ隼人が微笑めば、

「隼人ぉ、狼耳って言ってよね」

と、満がアッケラカンと言う。昨日来た時ほどは落ち込んでないようだ。

「なに耳だろうが可愛いねぇ」

隼人が満をおだてる声で朔の顔が真っ赤に染まった。可愛い耳が恥ずかしいんだ。


 朔が隼人に言われる前にコーヒーを用意しようとすると、

「コーヒーは後でいいよ。先に風を待つ」

「風?」

朔が不思議そうな顔をする。美都麺みつめんでの話を知らないのだから無理もない。

「そう、風が吹くのを待ってるの」


カーペットを敷いた部屋を開け放し、庭に向かって開放する。まだ風は吹いてこない。


「風が吹くのを待ってるんだ、ボク」

「隼人ぉ、風が吹くとどうなるの?」

満が隼人に問いかける。

「風が吹くと桶屋おけやもうかる」


―― おぃ、脱線してるぞ、大丈夫なのか?


「だからミチル、おぼん貸して。四角いお盆。正方形ね。なかったらお皿でもいいや」

「うん、探してくる」

朔と満がキッチンに消えた。どうか、ありますように。なければまた僕に買って来いって隼人は言う。きっと言う。


「隼人、こんなのしかなかった」

 満が持ってきたのは、朱塗りの長方形の足つき盆、旅館なんかで一人分ずつ料理を乗せたりするあれ、それと小さめの真四角の平皿、朱塗りの盆に乗せると随分余裕ができそうだ。

「うん、いいよ、それで。バンちゃんに渡して」

やっぱり僕かっ!


「バンちゃん、朱盆に半紙乗せて、半紙にお皿を乗せて、お皿に半紙を乗せて。半紙は1枚ずつだからね。全部乗せないでね」


 いくら僕が物を知らなくたって、買ってきた半紙、全部を皿に乗せないと思う。たぶんね。


 こしらえた供物くもつ台をローテーブルの上に置く。すると隼人が

「まぁ、こんなもんか」

と一番上の半紙に触る。隼人が触った半紙は、お皿から少しだけはみ出す大きさに縮んだ。


 隼人は指からリングを1つ抜くと、半紙を敷いた皿に乗せた。金色のリング、いつも隼人がしているのとは少し違うし、今も隼人の指にはいつものリングがある。僕が半紙を買いに行っている間にきっと探しだしたんだ。


「見たことないリング。隼人、どうするの?」

満が皿をのぞき込んで訊く。

「皿に乗せたんだよ……純金にペリドットを埋め込んである」

「へぇ……綺麗」


リングを眺めるだけの満と違い、朔の表情はけわしくなる。

「隼人、その指輪、皿に乗せてどうするんだ?」

「乗せただけだよ?」

「乗せてどう使うんだ?」

「さぁ? ボクに聞かれても判らないよ」


 うぅ~っ、と朔がうなる。

「バン! 何か知ってるよな?」

「僕だってそのリングは初めて見た」

しらばっくれる僕、満は朔をなだめ始める。


「あ……」

 隼人が外を見た。

「悪寒がした。すぐに嵐が来る」


 ドッグランの向こうの植え込みが微かに揺れた気がした。

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