第81話 本を押し付ける
・・・・・・頭に、なにかが当たる感触。とても小さな衝撃だ。
この感覚には覚えがある。シンシアが私を目覚めさせるために一生懸命私の頭を棒で叩いてくれているのだろう。
あまり続けさせていては、シンシアを疲れさせてしまう。いや、もしかしたらもう疲れ始めているのかもしれない。
この心地良さから離れるのは名残惜しいが、急いで目を覚まそう。
「の・・・はぁっ・・・ノア姉チャン・・・はぁっ・・・お、おはっ・・・はぁっ・・・ようっ・・・!」
「おはよう、シンシア。今日もありがとう。こっちへ来てくれるかな。疲れを取ってあげないとね。」
顔を綻ばせながらシンシアが私の傍まで来てくれる。ああ、やはり素直な子供の笑顔と言うのはとても可愛らしいな。
力加減を間違えずに頭を撫でていると、心が癒される気がする。別に心労は抱えていないが。
「ふひゅぇへぇえ~~~、やっぱりコレ、気持ちいぃ~~。」
「シンシア、疲れは取れたかな?そろそろ着替えて下に降りるとするよ。今日は朝から少し忙しくなりそうだからね。」
「ん~~、んあぁ、あ?お、おぅ!元気になった!ノア姉チャン、今日はどの服を着ていくんだ!?」
今日着る服は既に決めている。服屋の店主が選んだ服、シンシアが選んだ服とくれば次に着る服は勿論クミィが選んでくれた服だ。
『収納』から取り出して手早く着替える。
「今日はクミィの選んだ服かあー。クミィってヒラヒラしたのとかフワフワした服が好きなんだよなぁ。その服も、多分クミィが着てみたかった服だと思うぜ?」
「やっぱりそう思うかい?この服を着た時の私を見るクミィの目は、とてもやる気と期待に満ちていたからね。あの娘はきっと、大きくなった時の自分の姿を想像していたんだと思うよ。」
「ああ~、クミィはああいう服が好きだし、似合いそうだもんなぁ。」
そう呟くシンシアからは納得と言った表情が窺える。羨ましがったりしていないあたり、自分出来るつもりは無いのだろう。この娘も似合いそうだと思うのだけどな。
まぁ、この娘が着る服はこの娘が決める事だ。私や他人がとやかく言う事じゃないな。一階へ降りよう。
トーマスが用意してくれた絶品な朝食を頂いた後、ジェシカと会う事も無く私は冒険者ギルドの前にいる。
昨日よりも一時間近く前に宿を出たからな。流石にギルド前には誰も来ていない。
だが、それでいい。私がこうして誰よりも早くギルドの扉の前に立つ事が出来ているのだからな。ここで他の冒険者連中が来るのを待つとしよう。
「ええぇ・・・。もういるし・・・。」
「いや、早すぎんだろ・・・。いつからいんだよ・・・。」
「今日の姐さんの服、可愛くね・・・?」
「もしかして、本買わないとギルドに入れないとか、そういう流れか・・・?」
「いや、本二冊を銀貨二枚とか破格にも程があるけどよぉ・・・。」
「あの人が噂の
「あの姐さんがこの街にいる間しか買えねえよなぁ・・・。これ逃したら、少なくとも魔術言語を格安で覚える事は出来なくなるぜ・・・?」
「本を買わずにギルドに入ろうとしたらブッ飛ばされそうなんだが・・・。」
「本を買っても『
集まってきた冒険者連中がヒソヒソと会話をしている。この光景もすっかり見慣れたものだな。
まったく、昨日の時点でその程度の小声では最初から全部聞こえていると言ったと言うのに、どうせ聞こえるんだから小声で話さずに、普通の音量で話せばいいものを・・・。
今後、別の国や街に行ったとしても、同じ光景を見ていく事になるかもしれないな。今のうちに覚悟しておこう。
で、この連中の姿なのだが、相変わらず不衛生な状態だ。流石に昨日よりもマシな状態だし、臭いもそこまで気にはならない。それに何人かの若い連中はあまり汚れていないしな。
だが、私は昨日言った筈だ。依頼を受注しに来る時ぐらい身綺麗にしろと。
この連中、今日も私が『清浄』を掛けると思って汚れを落とすのを怠ったか。
そういえば昨日エリィが[『清浄』を掛けてそれを頼りにされても困る]、と言っていたな。
ものぐさな連中め。説教してやらないと気が済まないな。
午前の七回目の鐘が鳴った。
この連中をこのままギルドには入れたくない。昨日エリィには今日も大丈夫だと言ってしまったからな。不本意ではあるが仕方が無いので、この連中に範囲を絞って『清浄』を掛ける。
「おおっ!す、スゲェ昨日の汚れがドンドン落ちやがる!」
「こ、これが『清浄』って魔術なんスか?何か、スッとするっスね・・・。」
「あ、頭が痒く無くなってく・・・!?昨日の話はマジだったのか・・・!」
「姐さんっ、ああぁりがっとオオオッ!!」
「こりゃあ楽だ!便利なもんだよなあ『清浄』ってなぁっ!」
「これなら受付の娘達に嫌な顔されねぇってもんよ!」
コイツ等・・・。完全に私を頼り切りにしているな。いい度胸をしている。
注目を集めるために、尻尾カバーと私の足元に『不懐』を掛けて地面を三度、尻尾で叩きつける。
辺りに良く通る乾いた音が響き、冒険者ギルド前に集まった冒険者連中が一斉に私に視線を向ける。
「お前達・・・昨日の今日で私の言った事を守るつもりが無いのか?"
「あっ、いやっ、その・・・。」
「仕事上がりに飯食って酒飲んじまうと、どうしても眠くなっちまって・・・。」
「なら食事の前に汚れと臭いを落とせばいいだけだろう。」
「仕事が終わった後だと腹が減るし・・・。」
「ああ言えばこう言う連中だなっ!清潔にするのも仕事の内だと思えっ!結局お前達は自分で自分を清潔にするのが面倒臭いだけだろうがっ!」
「うぐっ・・・。」
「ぐ、ぐうの音も出ねぇ・・・。けど、実際メンドクセェぞ・・・。」
「そんなだからお前達は異性から好意を寄せられないんだっ!良いかっ!今のお前達は野生の動物未満だっ!森の動物達ですら水場があれば水浴びをして体の汚れを落とすんだぞっ!?それがお前達ときたらどうだ!?大体、『清浄』は不衛生になりがちな冒険者に必須と言われている魔術じゃなかったのか!?お前達は私よりもずっと冒険者の経験が長いというのに、そんな事すら知らないとでも言うつもりかっ!?」
「うぐぅっ・・・!」
「がはぁっ・・・!?け、獣、未満っ・・・!?」
いかん。この連中があまりにも自分本位でものぐさな事が気に入らないせいか分かっていながらも熱くなってしまっている。
このままだとこの連中を威圧してしまいかねないな。一旦落ち着こう。
「ふぅ・・・とにかくだ、昨日言った事はすべて事実だ。本は二冊とも用意した。ギルドに入りたければ本を受け取れ。そして、覚えて使え。でなければお前達が言っていた通り、ブッ飛ばしてやる。」
「ゲェッ!?き、聞こえてたのかよっ!?」
「えっ、ちょっ、マジでブッ飛ばされちまうのっ!?」
「ひょっとして、今までの会話全部聞かれてたっ!?」
「昨日私が"中級"になった時に言った筈だな?最初から聞こえていたと。あの程度の音量だったら問題無く聞き取れる。どの道私の耳に入るんだ。どうせなら普通の声量で会話してしまう事だな。そっちの方がまだ不快感が少ない。」
「あ、あの・・・姐さん、ちょっといいッスか・・・?」
年齢としてはかなり若い、"初級"の男性だな。そういえば昨日は"初級"の冒険者は見かけなかった。彼等では銀貨二枚は少々厳しいか。
おずおずと手を挙げて何かを言いたいようだ。手を挙げた若者を見つめて頷く事で発言を促す。
「ひぅっ!?あ、あのっ・・・睨まれると喋りにくいんスけど・・・。」
「睨んでいるわけじゃない、元からこういう目つきなんだ。で、どうした?」
むう、普通に見つめただけで睨まれると思われるこの目つきは、少々こういった場面では不都合だな。
かと言って変に表情を変えようとしても碌な事にはならないだろうし、慣れてもらうしかないだろうな。
「えっと・・・俺みたいな田舎の出身だと、文字がそもそも読めないから魔術言語の本があってもその本を読めないんスけど・・・。」
「・・・・・・それがあったか・・・。一応聞く。この中で文字の読み書きが出来ない者は、どれぐらいいる?挙手してくれ。」
問いかけてみれば約四割ほどの若者が挙手をした。
いや、多いなっ!?そんなに大勢文字の読み書きが出来ない者がいるのか!?エリィから冒険者の識字率は高くないとは聞いていたが、ちょっと酷いぞこれは・・・。
正直、余計な事に首を突っ込んでしまったと今更ながらに後悔しているぐらいだ。どうしたものか・・・。
方法はいくつか思いついたが、私の独断でやって良い事では無いな。
せっかくギルドマスターとコネが出来たのだ。ここはユージェンに相談しよう。相談と言うよりも提案と許可の申請だが。
「言っておくが、文字の読み書きが出来ないまま、冒険者として成功できるなどと思わない事だ。文字の読み書きが出来なくとも依頼は受けられるが、逆を言えば依頼を受ける事しか出来ないんだ。口頭のやり取りだけでは相手に良いように言いくるめられて損をするだけだぞ?言いくるめられた者は金をまともに貯める事が出来ず、良い装備が手に入れられず、整備も出来ない。その結果、冒険者としてまともに活躍が出来なくなる。」
「そ、そんな・・・。」
「じ、じゃあ、俺達も今まで・・・。」
「損をしていたのは間違いないだろうな。文字の読み書きが出来ない連中は、まずはそれを覚えるんだ。文字の読み書きは人間社会において必須の知識だ。つい最近まで森で暮らしていた私が言うんだ。間違いない。」
「で、でも、どうやって覚えればいいんスか?」
「読み書きが出来る者に教わればいい。この街の教会や資料室の管理人、図書館の職員だったら教えてくれるはずだ。文字の読み書きが出来る仲間に教えてもらうのも悪くない。」
一人では余程の情報処理能力と演算能力が無ければ文字を解読して言語を覚える事は出来ないだろう。
そんな事をしなくても知っている者から教えてもらえば済む事だしな。
「あぁ、その、もう一ついいっスか?」
「なんとなく察せるけど、言ってみると良い。」
「破格な値段なのは分かるんスけど、俺等みたいな"初級"に成りたての冒険者には銀貨二枚は流石にキツイっス・・・。」
やっぱりか。"初級"の依頼の報酬は大体一件につき銀貨一枚前後が相場だ。
だからと言って金が無いのが悪い、などとは言えないな。まだ経験の浅い彼等にこそ魔術言語や文字の知識は必要なのだ。
"初級"冒険者達がこれだけの数いるという事実に気が付けなかった私が悪い。
「それはそうだろうな。元より"中級"以上であるにも関わらず不衛生でいた連中に言った言葉だったんだ。"初級"の冒険者を対象にした発言じゃかった。」
「じゃあ、俺達には本を売るつもりが無かったんスか?」
「そうじゃない。"初級"冒険者がいると思わなかったというだけさ。少なくとも、昨日のこの時間帯には見当たらなかったからな。」
「うぅっ・・・すんません、朝弱くて・・・。今日は先輩から絶対に損はしないから来いって言われて・・・。」
午前の鐘が七回鳴る時間と言うのは、一般の人々がようやく目を覚まし始める時間だ。五回目や六回目になる頃に起きる者達というのはシンシア達のように他人よりも早く目を覚ましている必要がある者達だけである。
冒険者になりたてならば、まだこの時間帯まで眠っている事の方が多いのだろう。
だが、この若者を誘った先輩とやらはなかなか後輩思いではあるようだな。少しは好感が持てるというものだ。
「普段はあまり掲示板に依頼が張られていないだろう?掲示板の依頼は早い者勝ちらしいからな。だからこそ、この時間帯はこうして大勢の冒険者がギルドに来ているんだ。割の良い依頼を受注したいなら、早起きは出来るようにしておくべきだな。もしくは、他の者に頼んで起こしてもらうと良い。」
「はぁ・・・。」
「さて、話がそれたな。"初級"の冒険者はどれぐらい此処にいる?」
そう訊ねれば先程挙手をした文字の読み書きが出来ない冒険者達が、軒並み"初級"だった事が分かった。
資金も紙も潤沢にあるのだ。ケチ臭い事を言っている場合では無いな。
「わかった。"初級"冒険者には銅貨二枚で渡す。だが、渡す以上は文字の読み書きを始めとした知識を身につけろ。まずはそれからだ。」
「マジかよっ!?本気かっ!?」
「安過ぎなんてもんじゃねぇぞっ!?」
「つか、俺達と何か露骨に対応違くねっ!?」
「当たり前だ!先達の者のいう事を素直に聞き、分からない事や疑問点をちゃんと質問してくる若者と、昨日言った事すらも守れていないようなお前達と、どうして同列に扱われると思っている!?まともな対応をされたいのなら、それ相応の誠実さを見せてみろ!」
「ふぐぅっ・・・!」
「な、何も言い返せねぇっ・・・!」
「な、何か、姐さんに叱られるのが、クセになってきた・・・。」
昨日の今日で不衛生だった連中には最早条件反射で強い口調になってしまうな。
この連中も決して悪辣な者達では無いという事は、分かってはいるんだ。善悪で判断するならば間違いなく善人にあたるだろう。
だが、善人であるならば無条件で他者から好感を持たれるかと問われれば首を横に振らざるを得ないだろう。
他者を評価する際、見た目で相手を判断するな、という言葉が良く使われるが、それは大抵の者が相手を見た目で判断している事の証明なのだ。
現にギルドマスターのユージェンは見た目で判断される事が多いらしいしな。
だからこそ、人付き合いを良くしたいのであれば見た目の印象を良くする必要があるのだ。
たとえ素晴らしく高潔な精神を持った聖人のような人物がいたとしても、その人物が視覚的に不快感を覚えるような容姿をしていた場合、その人物に対する第一印象が良い方向へ向かうのは非常に難しいだろう。
それは自然界でも同じ事だ。たとえ素晴らしく美味な木の実があったとしても見るからに毒々しい外見だった場合、それを食そうと思う者はそうそういない。
自然に生きる者達は、外見が他者に強い印象を与える事を、誰に教えられるでも無く十分に理解しているのだ。
そんな自然界に生きる者達ですら理解している事実を、この連中はないがしろにしてしまっているのだ。呆れてぞんざいな扱いになっても仕方が無いと思う。
それはさておき、だ。ギルドの扉は既に開いているのだ。さっさと複製した本を渡し切って指名依頼をこなさないとな。
「とりあえず本を取っていけ。代金はもらうがな。本を受け取らずにギルドに入ろうとしたらどうなのるか、分かっているだろうな?金欠で今払えないというなら、私がギルドマスターに掛け合って依頼の報酬から天引きさせてもらっても良い。」
不衛生だった連中に対して睨み付けるとともに、尻尾で足元を何度か叩く。
乾いた音が立て続けに辺りに響く。
だが、そんな事よりも冒険者連中としては報酬から天引きされるという言葉の方が衝撃的だったようだ。皆驚愕の表情をしている。
まぁ、ギルドマスターに掛け合うなど、本来"中級"の冒険者が出来るような事では無いからな。
「あ、姐さんっ!?」
「そ、そいつぁあんまりだぜぇっ!?俺達ゃ姐さんみたいに一度に大量の依頼を片付ける事なんてできねえんだぜっ!?」
「少しは考えろ!一度の報酬で全額を天引きさせるわけが無いだろうが!一度の報酬から銅貨十枚程度なら、別に大した額でも無いだろうが!尤も、"上級"の冒険者だった場合は問題無いだろうがな。」
「た、確かにそんくらなら、まぁ・・・。」
「てか、当たり前のように"中級"なのにギルマスと普通に掛け合う事とか出来るんだな・・・。やっぱ姐さんやべえわ・・・。」
「それだけお前達の不衛生さがギルドの職員達にとって不快感を与えていたという事だ。銀貨二枚がこれまでの迷惑料だと思えば安いものだろう。昨日お前達全員に『清浄』を掛けたら、ギルドの職員全員が歓喜していたぞ?口に出さないだけで、全員お前達の不衛生さには辟易としていたという事だ。」
「ぐふぅっ・・・!?」
「あがぁっ・・・!?」
「すんません、正論という名の特大剣で細剣で繰り出すような乱舞技叩き込んで来るの、やめて下さい・・・心が・・・心が死んでしまいます・・・!」
一応の納得はしたようだ。多少の時間は取られる事にはなったが、ちゃんとこの時間帯に来た冒険者達には複製した本を渡す事が出来た。
昨日就寝前に大量に複製しておいたから、本が足りなくなるという事は無かった。まぁ、足りなくなったら新しく『複写』で増やせばいい話だが。
なお、ギルドの扉が開いたにも関わらずしばらくの間、誰一人冒険者がギルド内に入ってこなかった事を訝しがられたので、その理由をエリィに話したら白い目でじっとりと睨まれてしまった。
その、今後はあの連中も自分達で清潔さを保とうとすると思うから、機嫌を直して欲しい。
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