第57話 天空神・ルグナツァリオ

 私の眼前にある巨大な龍をまじまじと見つめる。

 本当に巨大だ。この龍の顔だけで私はおろか、ホーディが左右に寝返りを打つ事が余裕で出来てしまう大きさだ。


 ドラゴンの容姿というのは、非常に簡潔に言えば以前レイブランが言っていたように翼のある巨大な蜥蜴だ。それに対し、目の前の龍の外見は非常に巨大な蛇に四肢が生えているものを想像してくれればいい。翼は今の所確認できない。


 尤も、その顔は蛇とは大きく異なり、鰐に似た顔に直線的で枝分かれした角と、ボリュームのある金色の髪が頭から生えていて、鼻のすぐ近くからは左右に一対の長いひげが生えている。


 鱗は全身淡い水色で、金属のような光沢を帯びている。その雄大な体躯は、視界いっぱいに広がる雲を縫い付けるように一部を覗かせているだけに過ぎないため、一見しただけでその全長が分かるようなものでは無い。


 私は家の広場から飛び立ち、今この場に至るまで『広域ウィディア探知サーチェクション』も『隠蔽』と『静寂』も持続したままである。

 それにもかかわらず、私はこの龍に声を掛けられるまでその存在を認識できなかったし、最初からこの龍には私の存在を感知されていたという事でもある。

 『広域探知』を用いても雲の中を知覚できないとなると、この雲はただの雲では無く、目の前の龍が魔力を用いて作り出しているものなのかもしれない。


 この龍、一体何者なのだろうか?少なくとも、微塵も害意を感じない事から敵では無いと思いたい。


 『そんなに見つめないでもらえるだろうか。貴女のような美しい姫君に、そうもまじまじと見つめられてしまうと照れてしまうよ。』


 性格は軟派なようだ。

 というか、この龍ですら私を姫と呼ぶのか。流石に解せない。


 『いや、済まない。貴女を慕う者達に倣って貴女を姫と呼んでみたが、お気に召さなかったかな?とりあえず、何処でもいいから、私の体に腰かけてはどうだろうか。貴女ならば問題無いのかもしれないが、その場で滞空し続けるのは億劫だろう?』


 先程の軟派なセリフは、警戒心を解くためのジョークとでも言いたいのだろうか?

 それはそれとして、嬉しい事に、この龍のどこにでも腰かけて良いようだ。

 この龍が言う通り、このまま滞空し続ける事は問題無く可能だ。

 しかし、今の私の左手には私の身体よりも大きな"ヘンなの"が握られている事もあり、滞空し続けている事が億劫であるのも確かだ。


 「この"ヘンなの"も、貴方の体に降ろしてしまっていいのかな?」

 『もちろん構わないとも。私にとっては、大した違いでは無いからね。』


 私が腰かける事は許可したが、"ヘンなの"を置くことは許可していない、などと言われる事を警戒したのだが、この龍はかなり器が広いらしい。

 お言葉に甘えて彼の頭部に降りて腰かけるとしよう。彼の髪の毛は、体そのものが大きいからか、髪の毛一本にしても私の小指と同じくらいの太さがある。だが、触り心地は悪くない。ざらつきが無く、とても滑らかだ。つい、触っていたくなる。


 彼の髪の毛の肌触りに夢中になっていると、不意に私が腰かけている龍から声を掛けられた。


 『そろそろ自己紹介をさせてもらおうかな?私の名はルグナツァリオ。遥か昔に、現在この星に生きる知的生命体等の祖を生み出し、彼等の子孫を時には助け、時には罰し、その営みを見守り続けている者だ。』


 彼、ルグナツァリオとやらは、何やらとてつもない存在だな。

 知的生命体というのは、ほぼ人間の事だろうしそれらの祖を生み出してから今日この日まで見守り続けていたとな?


 そういった存在は、私の知る知識の中で該当するのは・・・。


 「貴方のような存在は、人間達の視点から見たら、"神"と言って相違ない存在じゃないのかな?」

 『そうだね。古くから私達をそのように崇める者達は大勢いるよ。そして、私自身については、天空神と崇められ、彼等の信仰心は私達の力となっている。尤も、人間達には龍の姿ではなく、人間の姿として認識されているけれど。』


 私達?彼は今、私達と言ったのか?

 つまり、彼のように崇拝されている神とも言うべき存在が、複数存在していると?だが、他にもいろいろと気になる情報が出てきたな。


 「そんな神と相違ない存在に、私は最初から見続けられていたと?」

 『貴女だけでは無いよ。この星の全ての生物を、私達は見守り続けている。』

 「理由を聞いても?」

 『我欲のためさ。』


 自らを神と名乗る者とは思えない回答が返ってきた。


 『貴女も同じような理由で貴女の傍に仕える者と暮らしているだろう?私達とて同じ事。この星に住まう生命が愛おしいのさ。私達の生み出した子供達が、その子孫たちが、学び、育ち、自立していく様を、彼等の営みを、ただ眺めるだけで、十分に私達は満たされている。そうして彼等の命、意志を尊重し、どうしようもない危機に見舞われた時には手を貸し、必要以上に命を奪おうとする者を罰してきた。』


 彼の言葉を否定は出来ない。

 彼のこの星の生命に対する心持は、私の"楽園"に対する感情に近いものがある。つまるところ、この神と崇められる龍は愛でる対象の幅が私以上にやたらと広い、という事なのだろう。

 それを我欲と言い切る辺り、お互いにその感情を、ある種の傲慢と捉えているようではあるが。


 彼と私は、似た者同士なのかもしれないな。


 「貴方は、私を最初から見ていたと言っていたね?それならば、私が何者なのか分かっていたりするのかい?」

 『残念だが、私達にも貴女が何者であるのか、正確には分かっていない。人間達も、貴女の魔力を観測はしたけれど、私をも上回る膨大な魔力量故、その正体を掴めずにいる。』


 彼にも、彼と同格の存在でも私が何者なのか分からないのか。少し残念な気持ちはあるが、仕方が無い事だろう。機会があればそのうち何か分かる時が来るかもしれない。来ないなら来ないで構いはしない。

 そういうわけだから、申し訳なさそうにしてはいるが、気にする必要は無い。


 「私自身、自分が何者なのか、あまり気に留めていないからね。貴方が申し訳なく思う必要も無いと思うよ。」

 『そうか。随分と寛大な事だね。』

 「私自身の事に関してならね。私にとって、憤りを感じる相手と言うのは、今のところ"楽園"に害をなす者以外には居ないよ。」

 『この世界に現れて、直ぐにそこまで"楽園"に執着するのならば、貴女は"楽園"そのものに関与している可能性が高いのだろうね。』


 "楽園"そのもの、か。その推測には納得できるものがあるな。

 私がこれまで不愉快に思ったり、敵意を向けたのは、"死猪しのしし"を含めて、全て"楽園"に対して害を与えるものに対してだった。

 仮に私が"楽園"そのものだと言うのであれば、一応の説明はつく。自分に害を加える者に対して憤りを感じるのも、当然のことだろうからな。

 私が"楽園"そのものだという自覚は、全く無いが。


 結局のところ、確証が無い以上、考えた所で答えなど出ないのだ。それに、仮に彼の推測が正しかったとしても、私としてはだから何なのだ、としか言えないのだが。


 そんな事よりも、彼とはもっと楽しい話が出来ると思うのだ。

 例えば彼の言葉だ。声による発音だと思うのだが、彼の声には力が宿っているように感じる。

 それこそ、まるで"意味を持った形"を文字としてそのまま読み上げているように感じたのだ。


 「話は変わるけど、貴方の声と言うか言葉は、それ自体が力を持っていない?」

 『持っているよ。この言葉は『真言』。魔術の祖となる言語だ。』


 魔術の祖、とな?

 そういえば、そもそも魔術とは誰が作り出して、誰が広めたものなのだろうか?

 まさか、彼等が?


 「それでは、魔術と言うのは、貴方と貴方と同格の存在が創り、広めたと?」

 『その通り。元々、この星には魔力と言う力は存在していなかった。私達が生み出した生命体がこの星で生きていくには、この星の環境はあまりにも過酷だった。故に、私達は長い年月をかけて星そのものへ手を加え、私達と同じように魔力を生み出す星へと変化させた。そして、過酷な環境で彼等が生きていけるように、魔力の扱い方を少しではあるが手解きした。それが万物の事象を発生させる力、魔術だよ。』


 彼等は魔力を持っていて、この星には魔力が無かった。となると、彼等はこの星で生まれたわけでは無いという事にならないか?


 『貴女が疑問に思っている事は正しい。私達はこの星で生まれてはいない。この話は長くなってしまうのだけれど、聞きたいかい?』

 「今はあまり興味が沸かないね。それよりも、魔力や魔術について聞きたい。例えば、私は魔術を知る前に、魔力に意思を乗せる事で魔術と似たような事が出来るようになった。これは、魔術とは違うのかい?」


 私達が意志の力による事象と呼んでいる力だ。今では、意志を乗せるというよりも、魔力を込めて起こしたい事象を意識し、念じる事で発生する事が分かっている。


 『それは魔法と呼ばれる力だね。結果としては似たような事象を生み出すけれど、その過程は大きく異なる。手順を踏まえる事で誰でも発現が可能な魔術に対し、強い意志と資質、そして潤沢な魔力が無ければ使用できないのが魔法だ。使いこなせるようになれば、念じるだけで発現させる事も出来る。ごく一部の人間達は、その特異性から『特異能力スキル』と呼ぶ者もいるようだよ。あぁ、一応言っておくけれど、貴女のように様々な事象を魔法によって発現させることが出来る生物は、他には居ないよ。』


 そうなのか。まぁ、皆も驚いていたし、もっと言えばこの事に関しても皆ドン引きしていたからな。特にレイブランとヤタールが。

 少なくとも、人間達の前で魔法をむやみやたらに使用するのはやめておいた方が良さそうだ。必要のない混乱が生まれる未来しか想像できない。


 ああ、そうだ。彼には是非とも聞いておきたい事があったんだ。


 「話を変えて聞きたい事があるのだけれど、いいかな?」

 『構わないよ。何でも聞くと良い。』

 「私が人間達の都市へ行くつもりなのは知っていると思うけれど、この姿のままで問題無いかな?」


 そう。私は人間達から手に入れた書物を読み終わり次第、人間達の都市へ足を運ぼうと考えているのだ。この姿、特に私の瞳は間違いなく目立つと思う。

 情報収集をスムーズに行うためにも、あまり変な目立ち方はしたくない。


 『貴女は角と翼はしまう事が出来るだろう?一つぐらいドラゴンの部位があったとしても、そういう種族だと思わせる事は可能だよ。"楽園"に来たドラゴン達も貴女を見て"混じり物"と呼んでいただろう?数は少ないが、居ない事は無いと認識されているよ。尤も、その瞳はおそらく世界中でも貴女しか持っていないだろうから、それを何とかするべきだね。』


 やはり、この虹色の瞳が一番の難題か。書物を読んでいる内に瞳の見た目を何とかする方法が見つかれば良いのだけれど。


 『人間達の都市へ向かう貴女にお願いがあるのだけれど、聞いてもらえるかな?』


 瞳の色について悩んでいたら、ルグナツァリオから声を掛けられた。何やら頼みたい事があるようだ。


 他ならぬ神と崇められている者からの頼み事だ。可能な限り応えようと思う。

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