(5)
その小学校は役場に程近い村の中心にあり、母は閉まっている校門の辺りに車を停めた。校舎には一つだけ明かりがついている教室が見える。しかし、校庭は街灯に照らされた辺りが明るいだけで、大部分は暗闇だ。
「危ないけど、車を降りるしかないわね」
母は続けて「校舎まで走るよ」と言ってドアを開けた。遥人も続いて車のドアを開けて外に出る。風が顔に吹き付けたが、母が走る後ろから続いていく。
「止まれ!」
突然、横から懐中電灯で照らされた。母とともに立ち止まり、その光の方を見つめる。暗闇から現れたのは、警察官の制服を着た2人の大きな男だった。
「こんな時間に何をしている」
警察官の1人が尋ねる。母が遥人の前に出て答えた。
「ちょっと知り合いの人と会う約束ですよ」
「そんな訳ないだろう。不法侵入で逮捕だな」
もう1人の警察官もいつの間にか棍棒のようなものを持って近づいて来た。遥人たちを囲むように二手に分かれた警官は、ニヤッとした。
「逃げるわよ」
母が小声で言ったと同時に走り出す。遥人も反射的に母の後ろを追った。
「待てっ! 止まらないと撃つぞ!」
撃つ、という言葉にドキッとしたが、母の後ろを必死に追っていく。
「待ちなさい!」
校舎の方から声が聞こえた。女性の声だ。すると、ちょうど校舎の玄関の辺りに誰かが立っていた。母が少し前で立ち止まったので、遥人も母の隣に立って後ろを振り返る。すると、追って来た警官たちも遥人たちのすぐ後ろで立ち止まり、その声の方を見ていた。
「あなた方こそ、こんな夜に学校の敷地で何をやっているのですか。すぐに立ち去りなさい!」
激しい声が暗闇に響く。すると、警官たちは、黙ってその女性の方に少しだけ頭を下げると、そのまま振り返って去っていく。そして、その姿はすぐに暗闇に消えた。
「行くよ」
母に促されて慌ててその後ろについていく。
「今の……何?」
「ビビったんじゃないの?」
母はそう言って笑って、校舎に近づく。すると、玄関脇の薄暗い電灯に照らされて、そこに立っている人間の姿が見えた。
「こんばんは」
「ええ。早く中に入りなさい」
女性はそれだけ言ってすぐに校舎の中に入った。「閉めて」と母が言うので、玄関を入ってすぐにその鉄製の重い扉を閉める。
「久しぶりね。水月ちゃん」
女性はそう言って母の方に笑顔を向けた。遥人は、彼女と、その隣にいる人間の顔も確認してハッとする。
「あっ……雨宮さん」
「おお。あの時以来だなあ」
そこにいたのは、最初に真月村に来た時に、遥人を家に泊めてくれたあの雨宮夫妻だった。しかし、そこで遥人は、もう一度、その奥さんの方をじっと見つめる。
「雨宮……先生?」
「あら、ようやく思い出してくれたのね。待ちわびたわ」
それは、小学校の頃に担任だった雨宮先生だった。確か、4年生から6年生まで担任だったと思う。先生は長い髪を綺麗に後ろで束ねていたが、その髪がほとんど白髪になっているものの、外見は遥人の記憶にある姿だ。
「この前、遥人くんが真月村に戻ってきた時もヒヤヒヤしたけど、今日の方がよほどスリルがあるわ。本当に尋常じゃない力を感じる。菜月ちゃんはさすがね」
雨宮がそう言ったのにハッとした。
「先生! 菜月に関することで、何か強く記憶に残っていることがないですか?!」
「菜月ちゃんのこと?」
「菜月はこの前、遥人にかぐや姫の話をしたそうなんです。かぐや姫が可哀そうだって。ほら。菜月が小さい頃、『かぐや姫』の古い本をよく読んでいたじゃないですか。何か、その関係で覚えていることはないですか」
「かぐや姫の……?」
母が続けて言ったのを聞いて、雨宮は顔を横に向けて少しだけ考えた。
「そう言えば——」
「何か覚えているんですか」
「いえ……かぐや姫の話に関することではないんだけど、その本なら、まだ残っているかもしれない」
「えっ! どこに?」
遥人が尋ねると、雨宮先生は隣にいた夫の方に顔を向けて頷いた。
******
雨宮先生の夫が倉庫からスコップを持ってきて、遥人は母と共に校庭の端の方にある桜の木の下を掘り始めた。数日前に雨が降ったらしいが、まだ地面は固い。
先生の方は、少し離れた場所にその夫とともに立って、校庭の暗闇の方を気にするようにじっと見つめている。
「気づかれてるわ……。急いで」
先生が暗闇の方を向いたまま、少しだけ振り返って言った。慣れないスコップの作業に手間取りながらも、掘る作業をさらに進めていくと、スコップの先に何かが当たったような、ガチャ、という金属の音がした。
母とともに慎重にその周りを掘っていくと、大きな四角い金属製の箱が現れた。遥人はその箱を取り出して、校庭の地面の上に置いた。その箱をそっと開けると、中には手紙やミニカー、小さな人形などが雑然と入っている。遥人は慎重にその中身を一つ一つ探していく。すると、奥の方にB5サイズほどの1冊の本があった。
『かぐや姫』
タイトルにそう書かれたその本は、かなり古そうな絵本だ。
「その本……懐かしい」
母の声を聞きながら、遥人は、その本を最初から読み進めていく。すると、少しずつ何か温かなものが体の中に注いでくるような気がして、その心地良さに思わず静かに目を閉じた。
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