図書室の神隠し (4)

 昼休み。

 クラスメイトに体調が悪いことを告げ、保健室で休ませてもらうと同時に、ベッドをこっそり抜け出した。

 面倒ではあるが仕方がない。俺の仮説が正しければ、こうしないと面倒くさいことになる。

「腹減ったなぁ」

 準備を済ませた俺はクラスメイトに気をつけながら図書室に入る。

 中に人はいない。

 俺は気になる本を手に取って読み始めた。



 そう厚くない一冊を読み終えた俺は慣れない腕時計を確認する。

 時刻は三時をまわったくらいだった。

「ここって、腹減らないんですね」

 音もなく、一人、女子生徒がいた。

 俺の二つ隣の席で本を見つめている。

 そこから一時間ほど読み終えた本を読み返した。

 女子生徒は何も答えない。

「先輩、出ないんですか? ドア、開きますよ」

 この何も答えない女子生徒が行方不明の櫻井だということは察しがついている。

「静かでいいですね、ここ。誰の邪魔も入らないし、気兼ねなく本を読める」

 眉ひとつ動かさない櫻井に、俺は言いたいことを言ってしまうことにした。

「――櫻井先輩。外で、心配してる人がいますよ」

 その言葉で初めて、櫻井の顔がピクリと動いた。

「あなたのこと探しすぎておかしくなっちゃってる人がいます。もし、よければ出てきてくれませんか?」

 そう、誰もいない教室で自分の下着を振り回してしまうほどおかしくなっている。

「そんな」

 消えそうなほどか細い声だった。俺はここにいる櫻井が本当に消えかかっているかのような錯覚を起こした。

「そんな人、いない」

 表情は動かない。きっと、本も開いているだけで読んではいない。

「なんで、ここにいるの。ここには……」

「ここには誰も入ってくるはずがない、ですか?」

 なんとなく、予想は着いていた。閉じ込められるという噂だったが、初めてここに来たとき、俺はこの場所から簡単に出られた。ただ、ドアを開くだけ。

ここは閉じ込められる場所じゃなくて、閉じこもる場所だったんだろう。

 逃さない場所ではなく逃れる場所。ここはそんな空間なんだろう。

「沢渡先輩が心配してますよ。出会ってすぐの人間に涙を見せるくらいには」

 沢渡、という名に櫻井は何かを思い出したような表情をした後、口元を押さえて涙を流し始めた。

「佳奈っ……」

「俺は先輩の悩みとかその他諸々、何も知りません。それを受け止められるとも思わない。だからそれは――」



 ドアを開けると沢渡が図書室の前の壁にもたれかかっていた。

「本当に、ごめん…‥か……あ」

 櫻井の言葉を待たず、沢渡はとんでもない勢いで櫻井を抱きしめた。

 言葉はなかった。沢渡はただ、泣いていた。

 そんな沢渡に櫻井も同じように泣いたのだった。

 行方不明の友達が無事に見つかったのだから、当たり前ではあるのだろうが、これまでの沢渡からすれば意外な姿だった。

「一件落着……ってか?」

 櫻井が図書室に閉じこもった原因は何も解決していないだろうが、それはまた別の問題だ。俺には知る由もないこと。

「あ……保健室」

図書室前での感動の再会の後、仮病がバレた俺はこっぴどく絞られた。


 後から知ったことだが行方不明者は他にも数人いたらしい。いずれも図書室付近が最後の目撃情報だったことが、図書室の噂の元なのだろう。行方不明になった生徒はいずれも一ヶ月以内には無事に見つかっており、全員が何も答えないらしい。

 そりゃそうだ。その期間は自分が望んで決めた、自分の向き合う時間なのだから。

「あ、どうも」

 櫻井失踪以来、はじめて櫻井と顔を合わせた。図書室の前だった。

 櫻井はどこか気恥ずかしそうで、気まずそうだが、前よりも明るい、晴れやかな顔をしている。

「あなたのおかげで色々気づけた。ありがとう」

 律儀にお辞儀をする櫻井に恐縮しながらも、一つだけ伝えたかったことを。

「いえいえ、そんな俺は何もしてませんから。そうだ、櫻井先輩。沢渡先輩に伝言お願いしてもいいですか?」

「なに?」

 俺は見慣れた図書室のドアに手をかけた。

「いくら友達が心配だからって、パンツ振り回すのはやめた方がいいですよ」

 俺の言葉に櫻井が絶賛戸惑っているが、俺は無視して図書室へ入る。

「…………は」

 中には誰もいなかった。

「ったく、本借りたい時とかどうするんだよ」

 文句を言いながらも俺は窓際の日が当たる特等席へ座る。

 今度はコーヒーでも持ってくるかな。

 気持ちのいい風が、部屋に吹き込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る