第15話 愛してる


 白ご飯にナスの味噌汁、アスパラの肉巻きに豆腐ひじきハンバーグ、きんぴらごぼうとインゲンの胡麻和え。

 一人暮らしの大学生の部屋に似つかわしくない料理の数々が、テーブルの上に彩っている。


「……これ、本当にお金払わなくていいんですか? 材料費くらい出させてくださいよ。本当に申し訳ないので」

「お気になさらず。私が好きでやっていることですから」

「で、でも……」

「では、出世払いということで。糸守君の都合がつく時に返してください」


 そう言って、「早く食べましょう」と続けた。


「いただきます」

「い、いただきます……」


 お互いに手を合わせて箸を取る。


 何だこれ、緊張するぞ。

 よくよく考えると、俺の部屋でここまでちゃんとした食事をとるのは初めてかもしれない。


 狭い部屋に小さなテーブル、いっぱいの料理とエプロン姿の先輩。……新婚夫婦みたいだな。


「美味しいですか?」

「えっ、あ、はい! すごく美味しいです!」


 いかんいかん、くだらないこと考えてないで食事に集中しよう。


「俺、アスパラの肉巻き好きなんです。作るの結構手間かかるのに、わざわざありがとうございます」

「いえいえ、私もアスパラが好きなので」

「このきんぴら手作りですか? すごいですね先輩、和食屋さんで食べるみたいに美味しいですよ」

「祖母に仕込まれました。気に入っていただけてよかった」


 どの料理も本当に美味しく、ひたすらに幸せな食事だった。

 ただやはり、シラフの先輩は何を言ってもこれといって表情に変化がない。喜んでくれていることは前回の呑み会で確認済みだが、それでもいくらか不安になる。


「糸守君」

「な、何ですか?」

「もしかして、ナスが苦手だったりしますか?」


 ギクッ。

 まったく味噌汁に手をつけないため、流石にバレてしまったらしい。


「いやぁ、その……はい、苦手です……」

「好き嫌いはダメですよ。さあ、どうぞ」

「……えっ?」


 先輩は箸でナスを摘まみ上げ、味噌汁がテーブルに垂れないよう手皿をしながらこちらに差し出してきた。


「先輩……そ、それはちょっと……」

「あ、確かにそうですね」


 このままでは、あーんになってしまう。

 おまけに間接キス、これではまるで恋人だ。


 流石によくないと思い苦笑すると、先輩はわかってくれたのか箸を自分の方へと戻した。

 そしておもむろに、ふーっふーっとナスに息を吹きかける。……もしかして、熱いから食べるのを拒否したと思ったのか?


「はい、どうぞ」


 そう言って、もう一度同じようにナスを差し出した。


「……あのー、だ、大丈夫なんですか? これじゃあ何か、恋人……みたいですけど」

「何か問題でも? 糸守君は、私のことが嫌いですか?」

「き、嫌いじゃない、です」

「嫌いじゃない?」

「……っ。す、好きです。……友達として、好きですっ」


 無理やり引き出された言葉に顔が焼ける。

 先輩はニコリとも笑わず、しかし両の瞳に熱いものを宿して、「早く食べてください」と俺の口元まで箸を近づける。


 観念にして頬張ると、普通に美味しかった。

 緊張で味覚が鈍ってるだけかもしれないけど。


「……へへっ」


 鉄仮面の如き先輩の顔が、僅かに朱色に染まった。

 しかしすぐにいつもの調子に戻り、「どうぞ」と次のナスを差し出す。


「も、もういいですって。大丈夫、自分で食べられますから……っ!」

「……私のことが嫌い、ということですか?」

「違っ……あぁーもう! 食べますよっ! 大好きなのでっ!」


 観念して白旗をあげると、先輩はご機嫌な様子で鼻息を漏らした。




 ◆




「ご馳走様です」

「お粗末様でした」


 食事が終わり食器を洗い場に持って行くと、先輩は早速冷蔵庫から酒を取り出して呑み会の準備を始めた。

 温かみある食事が並んでいたテーブルは、すぐにいつもの光景に。

 ハイボールを作って乾杯を求めてきた先輩に、「あの」と俺は声をかける。


「先輩って俺と話してると、たまに演技忘れることありますよね」

「そうですね。糸守君が相手だと、少しだけ気が抜けてしまうようです」

「だったら、俺の前ならお酒抜きでも素に戻れるんじゃないですか?」


 俺の言葉に、先輩は少しだけ不安そうに眉を寄せた。

 何が言いたいのか察しがつき、すぐさま訂正に入る。


「いや、吞みたくないって言ってるわけじゃないですよ。ただ今日から毎日来て毎日呑むのって、身体にいいわけがないですし。アルコールに頼らず羽を伸ばせるなら、それが一番なんじゃないかなーって」


 健康面の心配はもちろんだが、単純に無表情のままだと反応に困る、というのが一番ある。

 食事の時くらいは、いつものようにコロコロと笑っていて欲しい。


 ただそのために飲酒を強要できないため、シラフでどうにかできないか相談したのだ。


「……確かに、それは私も思っていました。糸守君に対してですら本当の自分で接することが出来ないのは、友達としていかがなものだろうかと」

「そんな落ち込まないでください! 俺は別に、お酒が入ってない先輩も……す、好きなので!」


 嘘ではない、本当だ。

 どちらの先輩も、俺にとって掛け替えのない人であることに違いはない。ただ、素の先輩の方が接しやすいというだけで。


「演技が解けるのって、どういう時が多いんですか? あ、もちろんアルコール摂取以外の方法で。その時の感覚を忘れず、自力で素に戻る特訓をするっていうのはどうでしょう」

「多いものだと、虫を見た時、でしょうか。主にゴキブリや蛾……とても苦手なので」


 うーん、困った。

 虫を調達するのは容易いが、素に戻ってもらうためだけに驚かすのは流石に酷過ぎる。それなら楽しくお酒を呑んだ方がずっといい。


「あとは……照れたり嬉しいことがあると、気が緩むことが多いです」

「なるほど。だったら、何か嬉しくなるようなことをしましょう。甘いものが欲しい、とかだったら今すぐ買いに走りますよ」


 俺の提案に、先輩はふむと首を捻った。

 思考すること数十秒。眉も目元もまったく動かさないまま、「では」と口を開く。


「私を抱き締めて、『愛してる』と耳元で囁いてください」


 ロボットじみた無感情な声に、今度は俺が表情を失った。

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