新・小説の書き方コラム〜小説の文章に変革するための挑戦
カイ艦長
第一部 小説への道
第一章 小説の文章はなにを書くべきか
第1話 「小説ってそもそもなに その1 会話劇とシナリオは小説にあらず」
小説には絵も写真もありません。
使うものは日本語の文字である漢字・ひらがな・カタカナが主で、英語のアルファベットなどの記号を使うこともあります。ですが絵文字も使えません。小説に「ヽ(・ω・)/ズコー」などと書いたら、賞レースからは真っ先に落とされます。
文字だけで書くものですから、会話文だけでやりとりする「会話劇」だと、人物の年齢・性別・声の調子・身振り手振りなどがまったくわからないのです。
会話劇を進化させたシナリオ
「会話劇」の場合、少なくとも文中にひとりの人がいなければ、語り手の独り言だけで物語が進んでいくように見えてしまいます。
だから「黒島さんがいる。」と書けば少なくとも「黒島さん」と語り手の「私」のふたりが存在するとわかります。
そして「会話劇」ですから、そのあとは単に「会話を続けていけば物語になる」のです。
ですが「私」と「黒島さん」のふたりがいるだけ。あとは単に「会話を続けているだけ」では小説にはなりません。よくて「漫談」です。
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「おはようございます、黒島さん」
「おはようございます」
「今日は台風が近づいているので、なにか調子が上がりませんよね」
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このシーンの登場人物は主人公の「私」と「黒島さん」だけだとしたら。「会話劇」でもいいじゃないか。
そう思ってしまいますよね。
ですが、「言葉のキャッチボール」だけでは読み手が知りうる情報はひじょうに限られます。
たとえばこの「黒島さん」は立っているのでしょうか、座っているのでしょうか、寝ているのでしょうか。
その程度なら「黒島さんが立っている」と書けばいいわけですよね。
では身振り手振りを表現したいとしたらどうでしょうか。
人間、話しているときは大なり小なり身振り手振りのジェスチャーを交えた会話のやりとりを行なっております。
身振り手振りがない「会話のキャッチボール」は「ラジオ番組」のようなものです。
しかし「ラジオ番組」は声の抑揚や発し方を変えるだけでも巧みに表情をつけられますが、小説は単に「文字」でしかないので、抑揚も間も変えられません。
テレビでお笑い番組が好きな方は、漫談を文字に書き起こしてみてください。
腹を抱えて笑っていたものを文字にしたのに、まったく面白く感じない。
これは「会話劇」だけを書いているからで、身振り手振りやしぐさ、声の抑揚や間などがすべて排除されているのです。
そこでどんなしぐさを行なっているかを「会話劇」の合間に挟んでいくことになります。
身振り手振りやしぐさを挟んでいくと、「会話劇」が「シナリオ」になっていきます。
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黒島さんを見つけて、私は近寄っていく。
「おはようございます、黒島さん」
元気にお辞儀をすると、椅子に座っている黒島さんはぎこちない挨拶を返してきた。
「おはようございます」
なにか気だるげなその声に、彼女のやる気のなさを感じた。
「今日は台風が近づいているので、なにか調子が上がりませんよね」
両肩を落として残念そうな態度をとった。
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「元気よく」「なにか気だるげな」「両肩を落として」といったしぐさが入っていますから、単なる「会話劇」よりもなにが起こっているのかは読み手にも伝わると思います。
でもこれは「シナリオ」であって小説ではないのです。
実は私、今はこの「シナリオ」段階で文章の質が止まっています。
今はいつでここはどこ。どこになにがある。どこに誰がいる。その人はどんな格好をしている。その人はどんな態度をしている。なにがどう変化している。なにに対してどう感じた。
これらがしっかりと書いてなければ、少なくとも「会話劇」からは脱せません。
どんな漫談やコントでも、「今はいつでここはどこか」をしっかりと定義しています。朝の病院の待合室だったりお昼の公園だったり。それこそ今この演芸場で話しますよ、というのもきちんとした状況設定です。
会話劇もシナリオも小説にはなれない
間違えてはいけないのは、「会話劇」は「シナリオ」に進化できますが、「会話劇」も「シナリオ」も「小説の文章」にはなれないのです。
ここには大きな壁が立ちはだかっています。
簡単にいえば「会話劇」はいくら進化させても「小説」にはなれない。
書く対象がまるっきり異なるからです。
では「会話劇」「シナリオ」はなにを書いているのでしょうか。
その名のとおり「会話」です。
なにを声に出して話したか。それを主体にしたのが「会話劇」であり「シナリオ」なのです。
アニメやドラマの脚本であれば「会話劇」「シナリオ」の延長で書けるようになります。
しかし「小説」は書けません。
「小説」はなにを書いているのでしょうか。
「心」です。
目に見えない「心」こそ、小説で書く対象なのです。
だからいくら「会話劇」に手を加えて「シナリオ」にできても、「小説」にはならないのです。
「会話」を書いて、補足説明をしていくのが「会話劇」「シナリオ」です。
「心」を描いて、最低限の会話を補足していくのが「小説」です。
アプローチがまったく異なります。
これから書く「新・小説の書き方コラム」は現在「会話劇」「シナリオ」を書いている人が「小説」を書けるようになるための創作論として展開致します。
自分が「小説」を書いていく中で気づいたことを逐次書いてまいります。
なにをどう書けばよいのか。
「小説」は日本語ですから誰にでも書けるはずです。
しかし実際には「会話劇」「シナリオ」から脱せない人が多い。
これも「小説の書き方」の本質を知らないからでしょう。
「小説」は「心を描く」ものです。
「会話」を中心にした「会話劇」もそれに毛の生えた「シナリオ」も、いくら極めたところで心を描く「小説」にはなれないのです。
実際に「小説家」として名を挙げた人で、ドラマやアニメなどの「脚本」「シナリオ」のプロという方をあまり見たことがありません。
書くものが異なっていることに気づけないかぎり、いくら努力しても「小説」は書けないのです。
あとがき
今回は会話劇とシナリオは小説ではないことについて書きました。
小説を書くとき、この認識がとてもたいせつです。
「会話文」を書かないと落ちつかない人ほど、「心を描く」のを疎かにします。
しかし「会話劇」「シナリオ」は「小説」にはなりません。
文章のつくりがそもそも異なるからです。
「心を描く」について詳しくは次回へ譲ります。
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