異形の山脈にて

綾波 宗水

第1話

 ことの発端は私の在籍する冷泉れいぜい大学とアメリカ合衆国にあるミスカトニック大学との共同研究で、日本南北朝時代、特に南朝にまつわる調査を行うようになったことである。歴史書『太平記』の史料的信憑性というのは、必ずしも一致した見解を述べ難い大著なのだが、一方で怨霊が登場するなど、あくまでも文学作品であるとの見方も存在し、研究者で意見が分かれる。来日したミスカトニック大のセネイト教授は日本文化に親しみを持つ人物で、そのいわくつきの内容に興味を覚えたらしい。

 というのも、現代でも南朝のあった奈良県南部は深い山々が多く残っており、近代社会でありつつ、なるほど落ち武者などがここを選ぶのも納得できるというのが、日本史のある側面を知る者に共通する第一印象であった。

 私の出身は当然、日本ではあるが、古都へ訪れる経験はこれまでついぞ無く、ある意味、田舎や原風景として心を洗う以前に、移動手段の難にいささか苦心していたのが当時の日記にものこされている。

 セネイト教授と私が宿泊した「魯山庵」という所は、例によってこれまた重要文化財級の建物で、すなわち裏を返せば、歩くたびに床が軋む、そこかしこにある日本家屋の発展形のような宿だった。

 パソコンや資料の類、そして各々の宿泊用意を畳敷きの部屋へ詰め込むと、早速、我々は幾分か霧が出ている、在りし日に南朝皇居のあった辺りを散策した。これをいわゆる「登山」と認識していたならば、当然、幾通りかの懸念の末に、初日調査は中止すべきだったのだろうが、ここまで来て何もせずに閉じ籠っているのも納得いかず、更にはミスカトニック大との共同ということもあり、安易に現地で好き勝手に判断することも避けたかったので、結局、我々は実地調査を開始した。

 ところで、今こうして手記を遺している折に思い浮かんだのだが、セネイト教授は信仰をもっていたのだろうか。現代のアメリカ人には、無神論者も少なくない。しかし、怨霊といったものへの先入観は自ずと文化圏の違いが作用していたのではなかろうか。

 仮に、いや、学者としてそんなことはあり得なかっただろうが、『太平記』の記述が正しく―我々が視たあのもの―を対処しようとしたとき、彼は牧師や神父を頼ったのだろうか。それがいわゆる悪魔の手先であったならば。そしてそれは同時に、私もまた、何宗かは置いておくとして、僧侶や神主にお祓いなどを依頼したのだろうか。実態が見えつつある今、もはやそんなまじないに効果を期待してはいないが!


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