第65話 見落とし

 沙希さきはこれまで、幾度となく空也くうやに助けられてきた。

 彼がいなければ【ファング・ハント】とローブ男の襲撃から逃れる術はなかっただろうし、九条くじょう家襲撃の際も、彼に心を救われた。


 今回だって、放心状態の沙希を異界まで助けに来てくれて、身を呈して沙希の心を救ってくれた。九条家が襲撃されている映像も現実ではないと突き止めてくれた。


 そんな空也の身代わりになることは、沙希にとっては当然のことだったのだが……、


「……はっ?」


 沙希は、たった今目の前で起こった——というより起こっている——現象を理解できていなかった。


 空也が何かを呟いた後、突如として紫の光が辺り一面を包み込んだ。すると、太一たいちの身体が文字通り溶け出した・・・・・のだ。その様は、まるで気体が蒸発するようだった。


「お前、何をした……!」


 太一が空也を睨んだ。その手足の先はすでになくなっている。身体を動かすこともできないようだ。


「闇属性魔法奥義【分解サナトス】だよ」


 空也は一言で答えた。その身体が傾く。


「空也⁉︎」


 沙希は慌ててその身体を支えた。服に血が付着するが、そんなことはどうでも良かった。


「闇属性魔法だって……? 何だ、それは……!」


 悪態を吐く間にも、太一の身体はどんどんなくなっていった。


「化け物が……!」


 それが、太一の最後の一言だった。同時に、百合ゆりの身体も完全に消え去った。

 危険は去ったと判断し、沙希は自分の腕の中で浅い呼吸をしている空也を見た。


「空也っ」

「沙希……」


 空也の声は弱々しい。とても辛そうだ。


「沙希っ!」


 ヒナも駆け寄ってくる。


「今の光は……ううん。空也さんはどうなったの?」

「十中八九、魔力枯渇症。それに出血もひどい。すぐにでも異界を脱出して、ミサさんに治療を——」


 沙希ははたと言葉を止めた。


「沙希?」


 ヒナが沙希の顔を覗き込んでくる。


「ヒナ」


 沙希は、自分の声が震えるのを自覚した。


「何?」

「この異界って、太一と百合が作ったんだよね……?」

「うん。あの二人と瀬川せがわ瑞樹みずきの呪術の合わせ技だって、空也さんが言ってた」


 沙希は頷いた。

 空也が言うなら、この異界が瑞樹、太一、百合の三人の手で作られたのは間違いない。瑞樹はすでに死んでいるし、太一も百合の死はこの目で確かに確認した。彼らが生きていることは、まず持ってあり得ない。


 ——なのにどうして、異界は崩壊を・・・・・・始めていない・・・・・・のか?


「っまさか——!」


 沙希は一つの可能性に辿り着いた。

 しかし、それは少しだけ遅かった。


 不意に、空也が沙希の身体を突き飛ばした。


 地面に身体を打ち付けながら、沙希は見てしまった。


 一体の霊・・・・の爪が、空也の身体を貫くところを。


「——空也さん!」


 ヒナが叫んだ。

 ——その後ろには、もう一体の霊・・・・・・が接近していた。


「ヒナ!」


 咄嗟の判断で、沙希はヒナの身体を抱えて転がった。

 脇腹に激痛を覚える。


「くっ……!」

「沙希⁉︎」


 腕の中で、ヒナが泣きそうな声を上げた。

 大丈夫、と答えながら、沙希は迫ってくる霊に向かって手のひらを広げた。


 ヒナを抱えながらでは、逃げられないことは明白だ。

 ならば、応戦するしかない。


「——【暴流波マギア・アネモストロヴィロス】!」


 黒い渦巻きが二体の霊を襲う。霊は吹っ飛んだ。

 しかし、吹っ飛ぶだけで消滅はしない。最近習得した【暴流波】は、これまでの沙希の最大火力だった【光の咆哮フォス・ヴリヒスモス】より強力だが、それでも、霊を消滅させるには不十分だった。


 魔力が切れるまで、何発でも撃ち続けるしかない——。

 沙希はそう心に決めた。


 しかし、実際に沙希が何発も【暴流波】を撃つことはなかった。

 突然、空から数多の雷が降り注ぎ、霊の身体を貫いたからだ。


「これは……【雷撃砲トール・キロシス】⁉︎」


 その技は間違いなく、光属性魔法奥義【雷撃砲】だった。それを使える人間など、沙希は一人しか知らなかった。


「沙希、ヒナ!」


 頭上からその人物、ミサの声が響いた。




◇ ◇ ◇




 ——時は少しさかのぼり、空也とヒナが異界に突入した直後のこと。


「くっ……」


 ミサは唇を噛んだ。


 空也とヒナが門を広げたらミサも飛び込もうと思っていたが、そう簡単にはいかなかった。門の正確な位置も、どの程度門が開かれたのかも、ミサたちにはわからなかったのだ。

 気がついたときには、二人は異界に突入していた。


 こんなことは普通の異界ではあり得ない。普通は誰かが門を開きさえすれば、誰でも異界へ入れるからだ。


 現在発生している異界が自然発生したものではないことに、もはや疑いの余地はなかった。


祐馬ゆうまを呼んである。異界発見のスペシャリストである彼なら、もしかしたら見つけられるかもしれない」


 大河たいがが慰めの言葉をかけてくる。ミサはそうですね、と頷いた。


 しかし、心のうちでミサは思った。

 空也とヒナが融合魔法を使ってやっと見つけられたものを一人で見つけられる人間など、この世にいないだろう——と。




 それから程なくして、祐馬はやってきた。


 案の定という言い方は失礼極まりないが、彼は異界の存在を探知できなかった。

 可能性は二通り。祐馬が見つけられていないだけか、すでに生存者がおらず、異界が完全に閉じてしまっている場合だ。


 しかしミサは、空也たちが全員すでにやられている可能性は一切考えなかった。それは友人としての願いでもあり、Sランク冒険者としての判断でもあった。


 國塚くにづかさん、とミサは呼びかけた。

 ちなみに、彼が来た時点で【光の女王】としての仮面は装着済みだ。


「何ですか? 光の女王」

「門は絶対に閉じていません。大変だとは思いますが、【索敵さくてき】を続けてください」


 祐馬は口を開いて何かを言いかけた。結局何も言わず、彼は大河を見た。

 大河が頷いた。祐馬はミサのほうへ視線を戻して、わかりました、と頷いた。


 そして、数分が経過したときだった。

 あっ、と祐馬が声を上げた。


瀬川せがわ空也くうやの気配を見つけました!」

「空也君の? 異界ではなくてか?」


 大河がいぶかしげな表情を浮かべる。祐馬は大きく頷いた。


「ただ、これは彼の膨大な魔力が異界の外に漏れ出しただけだと思われますので、彼の魔力を感じるところに門もあるはずです」


 ミサも【索敵】を発動させた。

 すると【索敵】が苦手な彼女にも、空也の魔力が感じ取れた。


 これが最後のチャンスだ、とミサは思った。


「國塚さん。瀬川君の魔力が漏れ出したという貴方の考えには私も賛成です。だから、空也君の魔力を感じたところに魔力を流しますが、よろしいですか?」


 ミサは祐馬に確認を取った。ここでミサが魔力を放出すれば、空也の魔力を感じ取れなくなる恐れがあるからだ。


「えっ? ええ、構いません」


 祐馬が頷いた。


 ミサは、空也の魔力を感じるところにありったけの魔力を流し込んだ。その姿は見えないが、ミサは門が——空間の裂け目が広がっていく、確かな手応えを感じた。

 祐馬があっ、と声を上げた。


「裂け目が——」

「私、行きます!」


 裂け目が人一人通れる大きさになったところで、ミサはその中に迷わず飛び込んだ。

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