第14話
アルバンが魅せられたのは演奏だけでなく、食事の大半に使われていた香辛料や、クッションに縫われていた繊細な刺しゅうも対象だったようだ。彼は後日改めて交易の約束に訪れると満面の笑顔で言い残し、フランツを初めとする大勢のお付きを引き連れて帰っていった。
また楽団ガンダルヴァとアプサラス舞団による聖堂での公演は、毎年二回、女神が降臨した日と天に戻ったとされる日に行われることが決定したそうだ。人々からの評判も良く、女神への尊敬や感謝を忘れないためにうってつけだと思われたのだろう。公演に合わせて他の催しも開催することで他国からの観光客を呼び寄せる狙いもある、と国王は満足そうに語っていた。
「坊ちゃんの狙い通りですか?」
「だいたいは」
聖堂での公演から二日後の昼、ガレスはオリフィニアと並んで王宮の中庭にある泉の側に座り込んでいた。泉の中央にある
「殿下は女神が消えたことで、恵みも消えてしまうって思ってる気がしたんだ。だから『そんなことはない』って見せつける必要があった。消えてしまうのを恐れるんじゃなくて、保っていく方向に目を向けさせなくちゃいけないんじゃないかな、とか」
「楽団や舞団によって女神の栄光を語り継ぎ、他国との交易や観光客から得る利益という目に見えやすい恵みが、坊ちゃんの思う『女神を蘇らせなくても済む方法』だったんですね」
「うん。……どうだったかな」
「坊ちゃんの考えは今すぐに正解と分かるものでもないでしょう。年月を経てからこそ答えが出るもの。それに、正しかったか過ちだったかを左右するのは坊ちゃんではなくファラウラの人々であり、のちのち国を担っていく殿下ではないでしょうか」
「……その殿下がいまだに納得してないような気がするんだけどね」
王宮に目を向け、ガレスは深いため息をついた。
聖堂での公演には訪れたハウトだが、またしても部屋に引きこもってしまっている。一緒に閉じ込められているドゥルーヴの精神的な負担が影響してか、
「ドゥルーヴくんだけでも部屋から出して、〈核〉を壊したいんだけどな。じゃなきゃ俺たち帰れないよ。魔力を放置するわけにもいかないし」
「話を聞いてくれる気配もないんですか?」
「ない。一応、部屋の前から何回か話しかけてみたけど『うるさい』とか『声も聞きたくない』とか言われた」
「ずいぶん嫌われましたね」
「でもあれ、自分でも引っ込みがつかなくなってるんじゃないかな。あと自分と民の間で女神に対する熱意の差を目の当たりにしちゃって傷ついてるんだと思う」
女神がいなければ栄えていないはずだと思っていたのに、実際はそうではなかった。民は民で女神が消えたことに独自の理由付けをしてすでに己を納得させていた。改めて実感した民との意識の乖離に、ハウトは強く衝撃を受けたのだろう。
「ずっと『女神がいなきゃいけない』と思ってきたのは自分だけで、他のみんなは信仰こそしてるけど依存はしてない。そう認めなくないんだと思う」
「……どうにか折り合いをつけてくださればいいんですけどね」
「殿下の性格を考えると、納得してくださいって言い募ったとしても反対に頑固になるだけだと思うんだよね。だから今は放っておくしかない」
それまで帰れないかも知れないと思うと、非常に面倒くさいのだけれど。
ハウトの部屋から漂う魔力は日に日に多く、濃くなるばかりだ。そのたびにガレスとオリフィニアが浄化しているが、いたちごっこが続くだけで終わりが見えない。〈核〉はドゥルーヴだけでなくハウトの暗い感情にも反応しているだろうし、そのうち規模が広がって王宮中の負の感情が集約される危険性もある。
そうなると浄化に使う
「いっそのこと殿下の部屋に侵入してみますか? 〈核〉の位置なら坊ちゃんが辿れるでしょうし、見つけて壊してしまえば万事解決です」
「確かに壊したら終わりだけど、そのへんを漂ってる神力や魔力と違って〈核〉はそれじゃ捜せないんだ。石っていう殻に力が守られてるからさ。見たら一発で〈核〉だって分かる自信はあるけど、隠されてたらどうしようもない」
「ああ、そうなんですね……」
「それにさ、侵入するっていってもどうやって? 扉は鍵がかかってて、窓も締め切られてるみたいだし。天井でもぶち抜いて入りこむ?」
「私の力なら窓くらい簡単に吹き飛ばせますよ。〝
「いや、まあ、そうだろうけどさ。っていうか、〈核〉を捜してるところを殿下に見つかったらって考えたら怖いよ」
「神力で姿を消せたら良かったかも知れませんけどねえ」
あいにく二人とも神力をそんな風に使ったことがない。
「今のところ魔獣がいないのが救いかな。魔獣がいたら王宮どころか城下町にも被害が出るだろうから」
「ですね」
窓から魔力がじわじわと滲み出ている。ハウトの部屋からだ。
明確な靄となった魔力は誰の目にも映る。王宮に仕えている者たちにとって得体の知れないそれは当然怖がられ、不審がり、ハウトの部屋に近づくのを恐れるようになった。近くで手入れをしていた庭師たちも空気中に広がっていく靄を見て、ひっと肩を強張らせていた。
――窓から滲み出てるってことは、部屋の中にはかなりの魔力が充満してるはずなんだよな。気にならないはずがないんだけど。
――気にするのも面倒くさいくらい自棄になってるのかな。
「坊ちゃん、浄化しに行った方が良いのでは」
「……そうだね」
ガレスが頷き、腰を上げた直後に、それは起きた。
叫びと唸りが混じり合ったような声がハウトの部屋から聞こえて間もなく、魔力が爆発的に増えた。
――なぜ、どうして。
――なぜ俺の思い通りにならないのだ。
ハウトは鬱憤を晴らすように頬をがりがりとかいた。イラつきをぶつけるがごとく噛んでいた爪は先端がぼろぼろになり、それがさらに頬を傷つける。獣に引っかかれたような線がいくつも刻まれた。
どろりと澱に似た影が床を這う。室内だというのに、この間からずっと霧のように立ちこめている。それがさらにハウトの不愉快さに拍車をかけた。
――俺はただ女神を蘇らせてほしいだけなのに。
――女神がもたらす恵みなどどうでもいい。俺は女神に蘇って、またそばにいてほしいだけなのだ。
――感謝も祈りも、女神に直接しなければなんの意味もない。
「ハウトさま……」
「うるさい!」
背後から歩み寄ってきたドゥルーヴがなにか言いかけたのを遮り、乱暴に腕を振り回す。飲み物を持ってきたところだったのか、ドゥルーヴの手から盆が弾き飛ばされ、上に乗っていたガラスのカップが床に落ちて耳障りな音を立てた。
荒々しく振り返り、ふらついていたドゥルーヴの胸倉を掴みあげる。彼の右目は腫れあがったまぶたに隠され、口の端も切れて血が滲んでいた。ハウトが手を振り上げるとぎゅっと目をつむり、頬を殴打されるのを耐え忍んでいる。
ひとしきり殴りつけ、ぐったりと力の抜けた従者の体を床に放り投げる。先ほど割れたカップの破片に手をついてしまったのか、ドゥルーヴが小さく呻く声が聞こえた。
「ハウトさま、もうお止めください。女神さまはきっとハウトさまのこのような行為を望んでおられない」
「女神に会ったこともない貴様に、女神の気持ちなど分かるものか!」
「ですが……」
「いつから貴様は俺に口答えが出来るようになった」
むしゃくしゃして気持ちが落ち着かない。怒りは止めどなく溢れて収まらない。ハウトはドゥルーヴの腹に爪先を叩きこみ、それを二度、三度と続けた。幼い体は蹴りを受け止めきれず、骨が折れる音が聞こえるだけでなく、げぇっと汚らしく嘔吐を繰り返す。
「俺に刃を向け、死を待つのみだった貴様に生きる道を与えてやったのは誰だと思っている。逆らう権利があるものか」
「も、申し訳、ありません」
「女神の材料となるはずだった奴隷たちを勝手に解放したのだってそうだ。いつ俺が自由にしてやれと命じた。貴様は女神を蘇らせることに賛成していたと思っていたのだが違うのか、俺の思い違いか」
ドゥルーヴから肯定も否定の言葉もない。力なく腹を抱えて痛みを堪えるばかりだ。
ハウトはどっかりと椅子に腰を下ろし、隈の残る目元を手で覆った。耳に蘇るのは他国の王子の言葉だ。
――一度壊れてしまったものと全く同じものは作れません。
――名前が同じなだけの別物ですし、気性も異なる可能性がある。でしょう?
だとしても。
「……俺は、女神にもう一度会いたい」
会って、それで。
――女神に言わなければならないことが……。
「ハウト、さ、ま」
先ほど殴打した時に口の中を切ったのか、ドゥルーヴが血の混じった唾液をこぼしながら呼びかけてくる。痛みを我慢しながら立ち上がったその手には、大ぶりなガラスの破片が握られていた。
「……何のつもりだ」
六年前の光景を思い出す。ドゥルーヴがナイフを片手にハウトを襲いに来た時の。
「僕は両親を亡くしました。無駄だと分かりながら生き返ってほしいと願う日々も少なくありません。ハウトさまが女神さまを求めるのを同列に語るのはおこがましいかと思いますが、きっと似たようなものだと分かっているつもりです」
「だったら何だ、お前自身が女神の材料になるとでも?」
「はい」
投げやりに問うた答えに、ドゥルーヴが間をおかずに答える。なに、とハウトが顔を上げた時、ドゥルーヴは泣きそうになりながら痛めつけられた顔に笑みを浮かべていた。
「一つお尋ねしたいのです。ハウトさま、なぜあなたさまは僕を拾ってくださったのですか? あなたさまを殺そうとしたのに、何故」
「……別に、ただの気まぐれだ。理由などない。俺の側仕えにして育てたらのちのち便利そうだと思っただけだ」
そうだ、ドゥルーヴを拾ったのはただの気まぐれだった。
犬を飼うのは恐ろしかった。また殺されてしまうのではないかと怖かった。けれど女神が消えて以降、自分の心を慰めてくれる存在は欲しかった。父王を真似て小鳥を飼うこともあったが、ぴいぴい囀るのが煩わしくて途中で放棄した。
でも人間なら。言葉は通じるし、鍛えれば簡単に死ぬこともない。煩わしければ黙れと命じるだけで口を閉ざす。信頼が芽生えれば気の置けない友人としても扱える。楽しかったことや悩みを何でも話し合えるような相手になれるはず。
そんな折に、ドゥルーヴを拾ったのだ。
初めこそ覚えが悪くて拾ったのを後悔したが、時が経つにつれこれほど良い拾いものはないと思えるほどに成長した。ハウトの命令に忠実で、どれだけ怒りをぶつけても逃げないし壊れない。
――そうだ、どうして。
ドゥルーヴは「そうだったんですね」と淡泊に呟いた。納得したような、それでいて絶望したような眼差しがハウトを射抜く。血の気が薄れた青白い唇は、まだ笑みを描いたままだ。
――いつもそうだ。
――どうしてお前は、俺がどれだけ怒っても笑っているんだ。
「ハウトさま」
ドゥルーヴがガラスの破片をゆらりと持ち上げる。とがった先端が鈍く光り、彼の腕にぬるりと影がまとわりついた。恐ろしく得体の知れないものを見た心地がして、ハウトは音を立てて椅子から立ち上がった。思わず後ずさると、ドゥルーヴも足を引きずりながら近づいてくる。
「何をするつもりだ、ドゥルーヴ」
「ハウトさま、僕はあなたさまに拾われ、仕え、死ぬはずだった命をこうして繋げて来られた。今こそ、そのご恩に報いたいと思います」
ドゥルーヴは今にも散ってしまいそうな儚い微笑みを浮かべ、ガラスの破片を己の首に押しつけた。
「僕の体をガレスさまに差し出してください。材料が目の前にあれば、彼も作らざるを得ないと思うのです」
「待て、よせドゥルーヴ。早まるな」
「申し訳ありません。女神さまの腕は四本あるのに、僕には二本しかない。性別だって違う。けれど、何もないよりは良いはずです」
「待てと言っているだろう! お前が死んだら、俺は、
「――――今までありがとうございました。あなたさまに仕えることが出来て、僕は幸せでした」
ハウトが手を伸ばして止めるより、ガラスがドゥルーヴの肌を切り裂くほうが速かった。
鮮やかに噴き出る赤が噴水のようだ。膝を折って倒れる従者の顔からは笑みが消えている。切った位置が悪かったのか、駆け寄ったハウトが傷口を手で押さえても一向に止まる気配はない。
「――――あ、ああ…………!」
震える手でドゥルーヴの体を起こし、強く抱きしめて獣のように叫ぶ。
ハウトの額で揺れる雫型の緋色の石が、目を潰さんばかりの勢いで輝いたのはほぼ同時だった。
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