第11話
ファラウラで朝を迎えるのにも慣れ、食事にもそれほど抵抗が無くなってきた。ガレスは朝食で給仕をしてくれた女中にドゥルーヴを見かけていないか聞いてみたが、彼女は首を横に振るだけだった。主であるハウトが部屋から出てきていないため、側仕えであるドゥルーヴも出てこられないらしい。
せっかくアニック老のお店に連れて行こうと思ったのに。ガレスたちは肩を落として部屋から出たのだが、その矢先にドゥルーヴに遭遇した。どうやらハウトの部屋に食事を運ぶ最中だったようだ。
二人は彼の姿を見て絶句した。
顔や腕に殴られたような痕や傷が残っていたからだ。
「どうしたの、その傷!」
「なんでもありません、お気遣いなく。見た目ほど痛くはありませんから」
「そんなはずないって。これくらいならすぐに治せると思うからちょっと待って」
「お気持ちだけ受け取らせていただきます。申し訳ありません、遅れると殿下に叱られてしまいますので」
「君を殴ったりしたのはその殿下じゃないのか!」
ドゥルーヴはかすかに笑うだけで否定も肯定もしなかった。
傷を治したいのはやまやまだが、食事が遅れればまたハウトに殴られたりするかもしれない。そう思うと強く引き止められず、ガレスは伸ばしかけた腕を力なく下ろした。失礼します、と立ち去る彼の足取りはふらついていて危なっかしい。
オリフィニアも痛ましそうにドゥルーヴの背中を見送っている。行こうかと彼女の腕を引きかけ、ガレスは脚を止めて勢いよく振り返った。
「どうしました?」
「今、
オリフィニアの目には映っていないようなので、まだ完全な魔力と化したものではない。奴隷たちが押し込められていた牢のあたりで感じたのと似た雰囲気だ。
ガレスの視線の先では、ドゥルーヴが回廊を曲がっていくところだった。
「……まさか、初めて感じた魔力も、牢屋で感じたのも今のも……」
「ドゥルーヴさんには神力の素質があって、それが変質してしまったと?」
彼と初めて会ったのはファラウラに入国した時だ。ドゥルーヴに
とすると、考えられるのは。
「ドゥルーヴくんが〈核〉を持ってて、それに負の感情が反応したか……」
「彼の境遇を考えると、暗い感情を持っていないとは言い切れませんしね」
「でも俺、あの子に神力とか〈核〉の話をしたけどさ、『ああ、それなら持ってます』とか言ってなかったよね」
「仮に持っていたとしても、それが〈核〉だとは思っていない可能性があります。何も知らない人から見れば、〈核〉は光り輝く珍しい宝石程度の認識をされるでしょう」
「……まあ、確かにそうか」
幻獣に材料があるように、〈核〉にもある。その辺に転がっている石ころだ。
何の変哲もないそれに必要に応じた神力を注ぐことによって〈核〉が出来上がる。最高品質の〈核〉は七色の輝きを帯び、内側に光を宿しているように強く輝くのが特徴である。ごくたまに何も知らない一般人によって珍しい品として競り売りに出されることもあった。
長年仕えているドゥルーヴにハウトが何らかの品を下賜して、それが実は〈核〉だった、なんて話もなくはないだろう。
「どうします、町へ行く前に先に調べますか?」
「……いや、今ドゥルーヴくんに話しかけようと思うと、必然的に殿下に会わなきゃいけないと思うんだ。あの人、女神が蘇らないかも知れないって思ってただでさえ不安定なのに、俺たちが現れたらどうなるか分からない。もしドゥルーヴくんが〈核〉を持ってるなら、殿下の怒りとかに反応して魔力が生まれちゃう可能性もある」
「ああ、確かに……」
「食事を運ぶのがドゥルーヴくんの役目なら、昼と夜も同じように運ぶと思うから、そこを捕まえよう。で、〈核〉を持ってないか聞く」
「持ってる、と言われたら?」
「壊す。宝物だから止めてくれって言われても壊す」
負の感情に反応さえしなければ良かったのだが、魔力の気配が感じられる以上、〈核〉はもはやその存在が毒の源だ。いくらガレスが周囲に漂う魔力を浄化しても、おおもとを失くしてしまわなければ根本的な問題は解決しない。
ドゥルーヴを捕まえるのは夜にしようと決めて、それまでは当初の予定通り町をうろつくことにする。楽団と舞団に話もしに行かなければいけない。
国王の容体が回復したというのが民に知れ渡ったのか、町のあちこちではそれを祝う催しが行われていた。屋台で振る舞われる料理も半額、あるいは量が倍増している。さすがに誰が治療したかまでは知られていないようで、すれ違ってもガレスに話しかけてくる者は誰一人としていない。
「変に注目されるよりは、まあ、いいか……」
「大丈夫ですよ、坊ちゃんの活躍は私がしっかりのこの目で見ましたから。そう気を落とさず」
「ありがとう、フィニ」
風に乗って音楽が聞こえてくる。広場の方からだ。向かってみると、やはり楽団ガンダルヴァとアプサラス舞団がいた。祭りの雰囲気に気分が昂っているのか、いつもより人だかりがすごい。
――ガンダルヴァの人たちが鳥のくちばしっぽい被り物で顔を隠してたり、アプサラスの人たちが顔を覆うベールをしていたりするのは、万が一もとの雇い主にばれないようにするため、かな。
彼らは元々奴隷だったのだ。客の中にはその時代を知る者がいる可能性もある。無断で逃亡してきたのと違って金を支払ったうえで自由の身になったのだから、無理やり連れ戻されるということはないだろうが、「奴らは元々……」などという噂――というか事実――を垂れ流されては公演に支障が出るかもしれない。
絶賛の嵐と反響を見るに、そんな心配はなさそうだが。
演奏と舞踊に区切りがついたところで、ガレスは昨日も話したそれぞれの長に声をかけた。まだこれから公演があると言うので、その様子を監督しながらならと二人は話に応じてくれた。
「実は、お二方に一つ提案がありまして」
初めはガレスの話に渋い顔をしていた二人だが、オリフィニアも説得に加わってくれたおかげで、なんとか了承を得ることが出来た。特にガレスが国王の知り合いで、国王からはすでに許可が下りていると説明したのが大きかった。
「それと、このお祭り騒ぎってどれくらい続くんですか?」
「カラヘッヤに勝利した時は誰もが七日七晩ものあいだ踊ったり歌ったり、飲んだり食べたりしていましたね。今回は国王の快気祝いですし、最低でも三日三晩はこの状態ではないでしょうか」
「良かった、なら間に合いそうだ」
「?」
「あ、いや、こっちの話です。お忙しいところありがとうございました。またあとでもう一度来ます」
お待ちしてます、と二人の長はほくほく顔で頷いた。
ガレスたちは次に、女神サラスヴァティーを祀る聖堂に訪れた。前回来た時に比べて人が多いが、以前と違うのは女神に祈りを捧げるというより、「国王の病を治してくださってありがとうございます」と感謝を伝えにきた者が多いように見受けられる。
今日は女神の像の見学や、人々の様子の観察をしに来たわけではない。ガレスは聖堂のすみで掃除をしていた若者に声をかけ、ここの責任者を呼んでもらった。
「わたくしに御用とのことですが、なんでしょうか」
現れたのは聖堂と同じ色合いの衣服をまとった男神官だった。国王と顔つきが似ていると思っていたら、血の繋がった弟だという。ファラウラ各地の神官を取りまとめる長は、代々王家の次男が担っているのだそうだ。
ガレスがさっそく話を切り出すと、初めこそ難しい顔をしていたものの、国王から許可は得た旨を伝えれば神官は「それでしたら」と快く頷いてくれた。同時に「まったく兄上はこちらに相談もなさらずに……」と不満も漏らされたが。
「坊ちゃんが無理を言ってしまってすみません。思い立ったらすぐに行動をなさる方なので」
「フィニ!」
「はっは、なに、構いませんよ。若い方の行動力は素晴らしい。目を瞠るものがありますし、時としてこちらが想像もしていなかったような提案をなさる」
これは嫌味だろうか、それとも本心からの褒め言葉だろうか。いまいちよく分からない。
何はともあれ約束はとりつけた。神官に礼を言って聖堂をあとにし、ガレスたちは広場に戻って二人の長にそれぞれ問題はないと伝えた。
「提案するだけしておいて、と思われるかもしれませんが、ここから先はお二方と、神官の方でお話を進めてください」
「我々だけで行っては追い返されていたかも知れません。話をつけてくださっただけでもありがたいです」
二人が何度もお礼をするので妙に気恥しくなったが、同時に嬉しくも感じた。「それじゃあ明後日、よろしくお願いします」と頼んだところで、ガレスは王宮に戻った。
夜まではまだ時間がある。ガレスは近くを通りかかった女中にハウトの部屋を訊ね、前まで案内してもらった。こっそりと扉を押してみたが、鍵がかかっているのか開くことはない。
「どうですか、坊ちゃん。魔力は感じますか?」
「……うん。これはもう魔力になりかけ、とかじゃない。魔力そのものだ。この前、寝起きで感じたやつに一番近いし、ここからの気配が一番強い」
「やはりドゥルーヴさんが魔力の保持者なのでしょうか」
「……あまり信じたくないけどね」
不意に室内から物音が聞こえた。何かを力任せに殴りつけたり、叩きつけたりしているような音だ。怒鳴り声も聞こえる。ハウトの声だ。だが扉や壁が厚いせいで、なにを叫んでいるのかまでは分からない。
中にはハウトだけではなくドゥルーヴもいるはずだ。彼が殴られていた形跡は朝に見かけている。とすると、
「まさか殿下、ドゥルーヴくんを……!」
「坊ちゃん、いけません。鍵を壊して中に入るのは容易ですが、その場合、殿下は逆上して坊ちゃんにも何をなさるか分かりません」
「でもっ」
「私は坊ちゃんがひどい目に遭うところなんて見たくありません」
堪えてください、と言うようにオリフィニアがガレスの腕をぎゅっと掴む。その指はかすかに震えていた。
ドゥルーヴが傷ついているかも知れないのに、なにも出来ないのか。ガレスは呆然と扉を見上げ、そっと扉に耳を押し付けた。ハウト自身が扉に近い位置に移動したのか、先ほどよりも声が明瞭に聞こえる。
「なにか聞こえますか?」
「ちょっと待って。…………奴隷が、なんとかって……『お前が解放したのか』……?」
「どういうことです?」
「牢にいた奴隷の人たちがいなくなってただろ。多分あれ、ドゥルーヴくんが解放したんだと思う。それを叱られてるって感じかな……」
そもそも彼は囚われの人々を見るのが辛そうだった。かつての自分と重ねていたのかも知れない。それに耐えられなくて逃がしたけれど、ハウトに見つかって叱責されているというわけか。
「でもさ、ドゥルーヴくんが〈核〉を持ってるなら、ひどいことされてるのに聞かなかったふりは出来ないよ。放置するとまずい。魔力が感じられるならなおさら……」
「何者だ」
扉の向こうから
ハウトの声だ。重々しくひび割れたようなそれは地の底から響くようで、限りない怒りを嫌でも感じさせる。
ガレスは動けないでいたが、オリフィニアが服の襟を掴んで無理やり引っ張って走ってくれた。ハウトが鍵を開けて顔を覗かせた頃には、二人はなんとかハウトに見つからない位置まで逃げていた。
やがて人の気配は気のせいだったと感じたのか、ハウトは部屋に戻っていく。見つからなくて良かったという安堵も覚えたけれど、立ち向かってドゥルーヴを助ければよかったと後悔も押し寄せる。
「さっき殿下が扉を開けた時に、魔力が中から溢れてくるのが見えただろ? 漂ってるやつの浄化くらいなら部屋の外からでも出来るから、ドゥルーヴくんと、ドゥルーヴくんの〈核〉をなんとかするまではそうやって凌げば……」
「いたいた、ガレスさま!」
廊下の先からガレスを捜していたと思しき小間使いの男が走ってくる。なんでしょうと訊ねると、彼は「ガレスさまにお客さまです」とだけ言った。客人のところにさらに別の客人が来るなんて珍しいのか、男は不思議そうな顔をしながら「こちらです」と先導してくれた。
「誰だろ」
「例の放浪王子ではないんですか?」
「あいつのところにまだ手紙は届いてないはずだけどな……」
「でしたら先ほどの神官の方か、あるいは楽団や舞団のみなさんか」
「でも俺に用事なんてあるのかな」
素性が知れないからか、客人は王宮の門の前で待たされているという。いまいち客人の見当がつかないまま、ガレスは首を傾げつつ男についていった。
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