第6話
「二十年前にカラヘッヤがファラウラに侵攻したことはご存知でしょうか。僕の両親が暮らしていたのは、敗戦にともなってファラウラに吸収された地域でした」
だから正確に言えばドゥルーヴの出身国はファラウラなのだが、両親をはじめ、その地に暮らしていた者たちは「自分たちはカラヘッヤの民なのだ」という意思が非常に強く、吸収された後もファラウラの民として振る舞うことはなかったし、今もそうではないかという。
「特に父はカラヘッヤとしての矜持を奪われたと憤慨していました。元から暮らしていた土地もファラウラの軍が占領したために住めなくなり、仕方なく親戚や友人と土地を移ることにしたんだとか。そんな時に、知り合いがある情報を掴んできたんです。『王都に行けば、恨みを晴らせる』って」
「恨みって……」
「『占領せよと命じたのは王族のはず。王都にはその名の通り王族が住む。我らの憎しみと恨みを実感させよう』と」
それほどまでに父はカラヘッヤの地が恋しかったのでしょうね、とドゥルーヴは一瞬だけ遠い目をして、なにかを堪えるようにまぶたを下ろした。
「実行役は、当時六歳だった自分に決まりました。子どもが近づいた方が油断するに違いないと。さらに知り合いは『王族の一人がよくお忍びで町に出てきている』との情報を掴んだんです」
「……もしかして、それが殿下?」
楽団と舞団の話をしていた時、ハウトは「よく王宮を抜け出して……」と語っていたはずだ。ガレスの予想に、ドゥルーヴがこっくりと頷く。
「毎日準備と特訓を重ねましたよ。いつ、どこに王族が現れるのか。現れたとして、それは誰なのか」
「そのような日々の合間に、アニックさんのお店に足を運んでいたんですか」
「ええ。初めこそアニックじいさんは嫌そうな顔をしていましたけど、だんだん孫のように思えてきたんでしょう。僕も同じくらい慕うようになって……襲撃の前日に『さようなら』と言ったきり、会えていませんが。襲撃を決行したのは、よく晴れた日の昼頃でした。楽団と舞団を目当てに広場に集まった人の中から、僕はハウトさまを見つけだし、ナイフを片手に襲撃しました」
「でも殿下が生きてるってことは」
「失敗したんです」
ナイフを突き立てる直前になって、ドゥルーヴは怖くなった。両親から「羊や鶏を殺すのと変わらない」と教えられていたが、そんなわけがない。相手は自分と同じ人間であって家畜ではない。しかも身分ははるか上、雲の上の存在ともいえる王族だ。
躊躇ったせいで、ナイフはハウトに届くことなくドゥルーヴの手からすべり落ち、襲撃の一部始終を目にしていた人々によって彼は押さえつけられた。
このまま捕らえられ、ドゥルーヴは反逆者として殺されるのか。いや、その前に他に協力者がいるはずだと拷問されるのが先か。いずれにせよ待っているのは苦しみと絶望だ。幼い頭で死を覚悟した時、当時二十歳だったハウトが目の前にしゃがみ込んだ。
「『お前、俺の側仕えになれ』と、殿下は仰ったんです」
「自分を殺そうとした相手なのに?」
「あとで聞いたら『ずいぶん威勢のいい子どもだったから、近くで観察するとおもしろそうだと思った』と答えてくださいましたよ。たまに子どもが犬や虫を拾って育てたりするでしょう? 殿下にとって僕はそれと同じだったんだと思います」
結果的にドゥルーヴはハウトの側近として王宮に召し上げられ、王族に仕えるに相応しい教育まで施してもらい、今日まで過ごしてきたという。
「じゃあ殿下を襲撃したことに関して、ドゥルーヴくんにはお咎めが無かったんだ」
「ええ、僕には」
「…………それは、つまり」
言葉の雰囲気から、オリフィニアはなにか察したのだろう。おかしなことでもあっただろうかと彼女をうかがうガレスに、ドゥルーヴは「王族殺害を企てたのは間違いありませんからね」と静かに続けた。
「両親と知り合いは、首を刎ねられました」
「……えっ」
「首は干からびて乾燥するまで、町の広場に晒されるんです。あの光景を、僕は一生忘れないでしょうね」
「……なんか、ごめん」
ハウトに仕える経緯が気になっただけなのに、想像以上に重く辛い話だった。聞かされているガレスでさえ苦しいのに、それを教えてくれるドゥルーヴの心境はそれ以上だろう。両親がどのような扱いを受けたのかなんて、ガレスが察しなかったせいで語る羽目になった部分だ。謝らずにはいられない。
再び「ごめん」と詫びると、ドゥルーヴは「謝らないでください」と切なそうに笑った。
「僕の方こそ申し訳ありません。夕食をご一緒出来なくて。殿下はなにか無茶を仰いませんでしたか?」
「あ、あぁ、うん」
ガレスは夕食の際にハウトと交わしたやり取りを説明した。幻獣を作るのは無理だと何度説明しても聞いてもらえないばかりか、女神を蘇らせない限り出国させないという脅しはかなり無茶苦茶だと、ドゥルーヴに言っても仕方のないことなのだろうが、訴えずにはいられなかった。
「ドゥルーヴくんから殿下に『諦めたらどうか』って言っても駄目かな」
「駄目だと思いますよ。こうと決めたら意地でも貫き通すお方ですから」
「女神は蘇った方が良い、とドゥルーヴさんもお考えですか?」
「……そう、ですね。僕自身は女神をこの目で見たことはありませんので、そこまで執着心はない。ですが殿下にとって女神は大事な心の拠り所なんです」
僕が両親に生き返ってほしいと願うのと同じように、殿下も女神に戻ってきてほしいとお考えなのでしょう、とドゥルーヴは視線を落とし、すがるように手を組んだ。
「ガレスさまが作りたくないのであれば、オリフィニアさまは……」
「私も今はエアスト家に属していますし、答えは坊ちゃんと変わりません。仮にエアスト家ではない〝はぐれ〟だったとしても私は幻獣を作れません」
「なぜです、魔術師ならば幻獣を……女神を作るのは可能では……
「そもそも私は魔術師ではありませんから」
俺から説明しようか、と目で問うガレスに、オリフィニアは首を横に振った。
彼女は立ち上がると、部屋のすみにある花瓶から葉を一枚だけ千切る。オリフィニアがついっと人差し指を伸ばし、くるくると渦を描くように空中で動かすと、ひゅる、とか細い音を立ててどこからともなく風が巻き起こった。
肌を優しく撫でていくような柔らかい風は、千切られた葉をそよそよとガレスの手まで運んでくる。呆然とするドゥルーヴは、目の前で何が起こったのかよく分からないでいるらしい。
「私は
「は……?」
「父は普通の人間なのですが、母は幻獣でして。今お見せしたのは、半幻獣として使える力の一部です」
ドゥルーヴは目をぱちぱちと瞬かせているが、混乱が増したからだろう。
オリフィニアには、幻獣〝ティアマト〟の血と神力が流れている。
幻獣には基本的に生殖能力がないのだが、数々の魔物を生み出した伝承のあるティアマトにはそれがあった。人間との間に愛を育み、生まれたのがオリフィニアなのだが、彼女にはティアマトが生んだ魔物の性質が現れている。
「〝
「そ、そうなんですね……」
とにかく、ガレスは幻獣を作りたくないし、オリフィニアは作ることが出来ない。けれどハウトは女神を蘇らせなければ、二人を解放してくれない。ドゥルーヴはどちらかというと女神の復活を望んでいるようだが。
「前も言ったと思うんだけどさ」
ガレスは果実水を飲み干し、ドゥルーヴに向き直る。
「現代の魔術師はさ、幻獣を作ったら処刑されるんだよ。作った本人だけじゃなくて、家族たちまで……君のご両親や知り合いみたいに」
「!」
「確かに俺は幻獣を作れるけど、その結果、家族を巻き込みたくない。何より俺自身が死にたくない。だから幻獣を……女神を蘇らせることは出来ない。したくない」
でも、とすぐさま言葉を継ぎ、ガレスはそれまでの沈んだ面持ちから一転、己を奮い立たせるように笑顔を見せた。
「幻獣は作れない、だからごめんなさい、で終わらせたりしない。なにか別の案を考えるよ。正直なところ今はこれといって具体的なことは何も思いついてないけど、必ず女神を蘇らせなくても済む方法を考えるから」
「……ありがとうございます」
そろそろお暇いたします、とドゥルーヴは頭を下げて退室していく。きっとハウトのところに行って、ガレスたちと何を話したのか報告するのだろう。
扉が閉まる直前に覗いた彼の顔は、ひどく翳って見えた。
「女神を蘇らせなくても済む方法なんて、いいことを思いつきましたね、坊ちゃん」
「……さっきも言ったけど、具体的なことはまだ何も考えてないんだけどね」
ごろりと寝返りを打ち、祖国の自室とは比べ物にならないほど高い天井を見上げる。星をちりばめたような模様が一面に広がり、金銀の粒が今にも降ってきそうな錯覚に陥った。
開け放った窓から入り込むそよ風が、ひんやり冷たい夜の空気と、近くで鳴いている虫の声を運んでくる。昼間の暑さからは想像もつかない穏やかさに、初日は旅の疲れもあってすぐに眠りに落ちたのだが、今日はなかなか眠れずにいる。
隣で体を横たえるオリフィニアが、ふふっと木漏れ日のような笑みをこぼす。それを見たガレスの心臓がどきりと跳ねた。
考えなければいけないことが山ほどある、というのも眠れない原因の一つだが、最も大きな理由が彼女だ。
――同じベッドで寝てて、眠れるわけないだろ。
オリフィニアがガレスの世話係だったこともあり、子どもの頃はよく一緒に寝ていたのだが、数年前からは気恥ずかしさもあって同じベッドを使うことはなくなった。
久しぶりに隣で寝ているものだからガレスの心臓は今にも胸を突き破って飛び出てしまいそうなほど緊張しているのに、オリフィニアはそうでもなさそうだ。これが大人の余裕なのかとも思うが、単純にガレスをそういう対象として見ていないからだろう、多分。
――なんか悔しいな。
「坊ちゃん?」
「ううん、なんでもない。そういうオリフィニアこそ、なんでさっき笑ったのさ」
「いえ、さすがシェダルさんの息子だなあと思いまして」
「……どういうこと?」
「なにも手がないって諦めてしまうのではなく、どうにか解決策を求めようとしているところがそっくりだなと思ったんです」
「だって、そうでもしないと家に帰れないみたいだし」
女神サラスヴァティーの調査も不十分だ。明日はアニック老から借りた本を熟読し、女神について調査を進めると決めている。
「女神がいなくなって加護が消えたって殿下は言ってたけど……」
「サラスヴァティーは豊穣の女神として崇められていたとのことですし、作物などの収穫量が減ったりしたのでしょうか」
「でも恵みの象徴である水は枯れてないんだろ? 王宮の周りの堀だって水はたっぷりあったし、町中で井戸も見かけた。水があるのに収穫量が減るってことはないんじゃないかな」
「分かりませんよ。水は湧くけれど雨が降らなかったとか、害獣の被害に遭っているのかも知れませんし」
「時間があれば外に出て、その辺のことも聞いてみるか」
あとはなんと言っていたのだったか。ふあ、と大きなあくびをしたところで思い出した。
「殿下の父君が臥せってるって言ってたよね」
「つまり国王陛下ですよね。確かにまだ一度も拝謁していないような」
「怪我か、病気か……でもこれに関しては、なんとかなる、ような……」
話していたことで気が緩んだのか、急に眠気が襲ってきた。呂律も少しずつ怪しくなる。
もにょもにょと言葉にならない声を発したところで、ガレスは目を閉じた。横からはオリフィニアがあくびをする気配が伝わってくる。
おやすみなさい坊ちゃん、と聞こえたあと、ちゅっと音を立てて何かが頬に触れた。
それが何だったのか理解するより先に、ガレスは眠りに落ちていた。
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