第4話
ガレスに「他人の神力を探知する」という技を教えてくれたのは、両親やオリフィニアではなく、遠い東方の国からの客人だ。いつも黒い詰襟を着て、エアスト家の図書室に閉じこもっている、少し変わった男だった。
『
『コウ……ってなに?』
『においのついた煙とでも思っとけ』
男がエアスト家に滞在していた半年間、ガレスは神力の探知という技の会得に夢中になった。幻獣調査を終えた者たちが帰ってくるたびに協力してもらい、時には男に叱られながら、彼が帰国してしまう前にやっと身に着けたのだ。
――もう十年以上前かあ。どう考えても子どもに教えるような優しい感じの教え方じゃなかったけど、諦めなかったおかげで役に立ってるもんな。……元気かな、あの人。
――っていうか叔母さんが俺にここへ来させたのって、神力の探知が出来るからか。
ガレスは壁にもたれながら、手元の紙にペンを走らせた。隣に立つオリフィニアはガレスの邪魔をしないよう、じっと黙ってくれている。
ドゥルーヴの案内で町を巡った翌日、二人は朝から王宮の外を巡り歩いていた。ドゥルーヴは案内しようとしてくれたのだが、今日はハウトの公務に付き添わなければいけないらしく不在だ。
ガレスたちはまず、女神を祀っているという聖堂に赴いた。色の濃淡が異なる青いタイルが緻密に床を覆っており、どことなく水が流れているように見える。壁一面は巨大なステンドグラスで、太陽や月、白鳥、クジャク、ガレスには名前の分からない楽器など、様々な絵が描かれていた。
入り口から入ってすぐに広がる円形状の広間には、中央に像が置かれている。昨日ドゥルーヴに見せてもらった絵とまったく同じ女性の像だ。聖堂に訪れた人々は像に向かって手を合わせたり、這いつくばって頭を何度も下げたりしているが、祈りを捧げているのだろう。
「女神の名前を聞いた時、ドゥルーヴくんは〝サラスヴァティー〟って言ってたよね」
「ええ。聖堂の入り口にも木の看板にもそう書かれていました。だいぶ劣化していたようですが修復を施された形跡もありましたし、それほど長い間祀られているということでしょう」
「名前の横に書いてあったのが、多分ここを建てた日だと思うんだ。今から二百三十年前になってたから、少なくともその頃にはサラスヴァティーはここにいたってことだ」
参拝に訪れる者たちの波から外れ、ガレスは女神の像を模写していた。そこへ自分の予想や知りえた情報などを書きこみ、少しずつ考えをまとめていく。
「女神の砂からはどんな神力を感じ取ったんです?」
「ゼクストかノイントか悩んだんだけど」とガレスは小さく唸った。「ゼクストは人型の幻獣を作ってない――だから今も存続を許されてるし――って考えると、サラスヴァティーを作ったのはノイント家だ」
「〈理想〉の異名で呼ばれていたんでしたっけ」
「うん。で、もしかしたらあの像とかに刻印が無いかなと思って一通り見てみたけど、それっぽいのは無かった」
魔術師たちは幻獣という〝作品〟のどこかに、必ず作成者が誰か分かるよう証を刻む。現在では幻獣調査において「刻印があれば二百年以上前に作られたもの」「なければ最近になって誰かが禁忌を犯して作ったもの」という重要な判断材料になっている。
聖堂に祀られているサラスヴァティーの像には刻印が無かったが、単に像を作った者がその存在を知らなかったからだろう。聖堂の建造年月日と併せて考えると、女神が作られたのは魔術師たちが糾弾された後という可能性は無さそうだ。
「でも家で読んだ幻獣の資料に、サラスヴァティーなんて無かった気がするんだよなあ」
「エアスト家が調査をする前に、ファラウラにやって来たんでしょう。そして人々に崇め奉られ、恐らくごく最近までは普通に実体をもって存在していた」
「……そのわりに『女神がいなくなってしまった!』っていう悲壮感みたいなのが、町の人たちに無いのが気になるところではある」
聖堂を出ると、晴れ渡った青空の南に太陽が昇っていた。からっと乾いた暑さは慣れないが、たまに吹く風が涼しくて気持ちいい。
目についた屋台で適当に昼食を済ませ、次の目的地である図書館を捜す。王宮にも書物庫はあるそうだが、宝物庫としての役割も兼ねているそこへ客人が入ることは出来ない。王宮を出て東に向かえば図書館のようなものがありますとドゥルーヴは言っていたが、さてどこだろう。
「……まさかアレじゃないよね?」
「そのまさかだと思います」
普段は落ち着いているオリフィニアも、少しばかり衝撃を受けたように言った。
二人の前にたたずむそれは、図書館というよりも廃屋だったからだ。
土と岩で作られたそこにひと気はなく、前を通り過ぎる人たちの足取りも心なしか早くなっている。二階部分の窓には布がかけられ、一階部分の窓には板が打ちつけられているおかげで、中の様子が一切うかがえなかった。
「屋根の上にあるクジャクの置物が目印って言ったけど、ある?」
「クジャクがどうかはここからはよく分かりませんが、とりあえず鳥の置物は見えますね」
恐る恐る近づいてみると、入り口の横の壁に何かしら文字が書かれていた。
ファラウラに来るにあたって、こちらの言語は頭に叩き込んできたのだが、完全に習得したとは言い難い。自分で読もうとしたものの、結局諦めた。
「フィニ、読める?」
「ちょっと待ってくださいね。……掠れすぎていて読みにくいですが、『アニックの店』と」
「店? 図書館じゃなくて?」
「ひとまず入ってみましょうか」
今にも頽れそうな木の扉を押し開けると、まず埃っぽさが鼻をついた。中は薄暗く、足を踏み入れるとむき出しの地面が二人を出迎えた。
すみません、お邪魔しますとそれぞれ声をかけながら、手探りで奥に進む。中はそれほど広くなく、棚が等間隔に並んでいるようだが、そこになにが置かれているかまではよく分からない。
「誰だ?」
不意にどこからかしわがれた声が聞こえた。はっとして振り向くと、棚の横から誰かが顔を覗かせた。骨と皮だけのがいこつの様な見た目にガレスは一瞬目を丸くしたが、オリフィニアは「こんにちは」と普通に挨拶している。
「アニックさんですか?」
「その前に儂の質問に答えろ。誰だと聞いたはずだ」
がいこつだと思ったのは、気難しそうな老人だった。その辺で調達してきたような木の棒を杖に、腰を曲げて二人に相対している。頭はすっかり禿げあがり、落ちくぼんだ眼窩の瞳は厳めしい光を灯していた。
「大変失礼いたしました。私はオリフィニア、こちらはガレス坊ちゃん。ファラウラに観光で参った者です」
「観光客が儂に何の用だ」
「私たち、旅で訪れた国の神話や文化、歴史などを研究しているんです。それで図書館を捜していたんですけれど、屋根の上にクジャクの置物があるところがそうだとお聞きして、お訪ねした次第です」
「……ドゥルーヴに聞いたのか?」
なぜ彼に聞いたとすぐに分かったのだろう。ガレスが目を瞬いていると、老人はぼりぼりと頭をかいた。
「儂の家を図書館呼ばわりするのは奴以外におらん」
「呼ばわり……」
そういえば彼は〝図書館のようなもの〟と言っていたような気がする。
老人は面倒くさそうに身を翻すと、明かりの灯ったランタンを手にして戻ってきた。
「神話だの歴史だのの本はこっちだ。ついてこい」
「わあ、嬉しいです。案内してくださるんですか?」
「勝手にうろちょろされても迷惑だからだ」
アニック老のゆっくりとした歩みについて歩き、ガレスはきょろきょろと辺りを見回した。
店と書いてあったからにはなにかを売っている店なのだろうが、店内の薄暗さと埃っぽさから、もう営業はしていないのかも知れない。明かりのおかげで棚の様子も分かるようになったが、どれもほとんど空で、置かれているのは綿ぼこりと虫の死骸くらいだ。
だが別の棚を見た時、ガレスは思わず息をのんだ。
先ほどまで見ていた空の棚とは打って変わり、目の前のそこには大量の書物が詰まっていた。
呆然とするガレスに、アニック老は一通り書物の背表紙を照らした後、重厚な見た目の一冊を引き抜いた。オリフィニアが受け取ったそれには、「ファラウラ建国秘話」と書かれているようだ。
「あとはこっちもそうだ。坊主、儂では届かん。お前が自分で取れ」
「は、はい」
あれだ、と杖で示された書物を引き抜き、胸に抱える。長らく放置されていたようで、棚から引っこ抜いた拍子に埃が舞い、思わず咳きこんだ。
「持っていけ」とアニック老は二人が手にした本を交互に見やる。「ただし必ず戻しに来い。貸し出し料は、そうだな、一冊ごと一日につき銀貨一枚だ」
高いのか低いのかよく分からないが、オリフィニアは即座に頷いていた。
観光客だと紹介した以外、詳しく素性を明かしていないのに良いのだろうか。ガレスが困惑していると、アニック老は「ドゥルーヴの知り合いなんだろう」とこちらを見つめる。その目は懐かしさに潤んでいるように見えた。
「奴は王宮に召される前、このあたりに住んでいた。本を読むのが好きでな、ほぼ毎日店にやってきては、商売をしている隣で本を読み漁っておった。孫同然に可愛がっていたんだが、もうしばらく顔を見ていない。だがお前たちにここを紹介したということは、儂のことを忘れたわけではないんだろう」
「お店って、今は営業してないんですよね。どうしてですか?」
「脚を悪くしたんだ。店じまいの時に商品は全て処分したんだが、本だけは残しておいた。いつドゥルーヴが戻ってきて、本を読み始めるか分からんからな」
「アニックさんは元気だったと伝えておきます。もし都合がつきそうなら、本を返しに来る時は彼にもついてきてもらいますね」
オリフィニアがにっこりと笑いかけると、アニック老の皺だらけの顔がほのかに緩んだ。
出来るだけ早めに返しに来ると約束してからアニック老の店から出て、二人は再び町を歩く。明るい場所で見る書物はどちらも古そうだが、保存状態はそれほど悪くない。ガレスが持たされたのは「神話」とだけ書かれた本だった。
「知りたいことが書かれてるといいけど」
「どちらもかなり分厚いですからね。読むのに時間がかかりそうです」
「確かに……ん?」
「坊ちゃん?」
急に立ち止まったガレスを不思議がるように、オリフィニアが首を傾げる。
「どうしたんです?」
「今、なにか音が聞こえた気がして」
ふと周りを見てみると、通りを歩いていた人々は「そろそろ始まるか」と何やら楽しそうにどこかへ歩いていく。ガレスが聞き取った音は、彼らが歩いていく先から風に乗ってかすかに流れてきていた。
通りの先でなにか催しが行われているのだろうか。オリフィニアも音を聞き取ったようで、その瞳にはすでに好奇心が見てとれる。
サラスヴァティーの聖堂を見たし、知りたかった情報が書かれているかも知れない本を借りることも出来た。休憩がてら、音の出どころに行ってみるのも良いだろう。ガレスは本を二つとも携帯していたカバンにしまいこみ、オリフィニアとともに人々のあとを追った。
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