第60話 風見鶏〈ノア編 16年前〉

 まるで自分は風見鶏みたいだと思った。いつもオドオドして騎士たちの機嫌を伺い、誰にでもいい顔をしてヘコヘコしている。意志なんてあったものじゃない。


 本当になりたかったのは、解封師みたいな弱い立場の従者ではなく、銀色の甲冑をつけ鍛え上げられた肉体を持つ英雄だった。

 

(――誰だってそうに決まってる)


 ソリに毛皮を積み重ね、魔術杖を贅沢に使い補強した。ノアは余ったロープを担いで、ソリに付いて歩いた。見た目は悪いが金銭価値はかなり高いはずだ。


 ライナスは完成した戦利品のタワーをみて得意げな顔をした。ソリを引きながら小隊長と魔術師を呼びつけた。


「!!」 


 その時、木の柵で出来た落とし扉がギシギシと音をたて落ち、城門をふさいだ。閉じ込められたようだ。


「だ、誰かいやがるのか!?」


「剣を持て」


 騎士たちは騒然とし、緊張感が走った。誰もいないはずの門が閉じると中庭には何かが走り回っている気配がした。


 ネイサンは影を目で追いながら、ライナスと連携をとる。「素早いぞ。取り囲めっ」


「待つんだ! 動かないほうがいい。トラップかもしれない」


 魔術師のモーガンが皆を静止する。ノアとジョシュアは、ソリの後ろで訳も分からず立ちつくしていた。


「おいおい、お前の責任だぜ、錠前破り。入城する時に見落としたんだろ?」


「い、いや。城門と落とし柵にトラップは無かったはずだよ……」


「出ようとしたら、閉まったんだ。裏まで見てなかったんじゃないのか? 完全に信用を失ったな、役立たずの糞野郎」


 走り回っているのは小さな白い物体のようだった。ジョシュアは目を細める。 


「兎か何かじゃないのか。ここにいたんじゃ何も見えない。ネイサンのところまで行くぞ」


「う、うん」


「だぁ……だぁ……」


「どうかしたのかい?」何かが足元をすり抜ける瞬間、後ろ髪を赤子が引っ張った。ノアは振り返り赤ん坊の頭を撫でた。


 ビチャ、ビチャ、ビチャと目の前に立っていたジョシュアから奇妙な音が漏れた。 


「ひっ!?」


 半歩前に、切り刻まれた肉の塊が飛散しているのを見た。それはさっきまで会話をしていたジョシュアの変わり果てた姿だった。


 その肉塊は血飛沫を撒き散らし、ぐたりと雪の積もる足元へ音もなく倒れ伏した。


「ひゃあああっ!」


「落ち着け。動くんじゃねえ、錠前破り」震えるノアにライナスが声をかけた。


「……だ、だけど」


「魔術師は、ちゃんとトラップだっていってる」ライナスの声はいつになく冷静だった。


「動いたジョシュアが迂闊だったんだ。お前の出番だろ。ミンチになりたくなかったら仕事をしてくれ」


「う、うん」


 両手をかざして魔力の流れを探してみるが、神木や宝珠が見当たらない。ジョシュアの死体が視界に入り、吐き出しそうになる。


 自分の意思とは無関係のように、目からは涙がぼろぼろと流れ落ちていた。


「こ、これ……ぐすっ……まずいことになってる。床設置型のトラップが、発動してる」城門の石壁や狭間胸壁に変化はなかった。だが魔力は足元に張り巡らされていた。


「雪が覆いつくしてるから、分からなかったんだ。これが発動したらもう、どこを踏んでも、だ、駄目みたいだ」


「何だって? 春まで動けねえってか。ははは……ひでえ冗談だな」

 

 ネイサンは左手に付けられた分厚い手甲をはずし、雪に向かって放り投げた。転がる先には待ち構えるように白い刃が幾重にも伸びた。

 

 ザ、ザ、ザザァっという風切り音と共にその手甲は切り刻まれていく。


革鎧ボイルドレザーが紙切れ同様にズタズタだな。移動するものに反応するようだが、動かなければ作動しない」


「……やれやれ。なんとかしろよモーガン」


「神木は魔術では破壊できない。解封師の仕事だ。宝珠の埋め込まれた神木がどこにあるのかも分からないし。手の打ちようがないな」


「はあ。あるのは雪の下ってことか?」

 

 モーガンに浮遊術の知識はない。ひとつずつしか出せない魔術盾を駆け上がるような瞬発力も期待は出来なかった。


「そのロープを使って、きり抜けるしかないんじゃないか」ライナスは眉を吊り上げ、毛皮の積まれたソリの先をみた。


「む、無理だよ!」


「落ち着いてくれ。ロープを使ってソリに乗れないか。こっちにまわれないか?」


「ロープの先端をわしまで渡してくれれば、魔術弓マジックアローの要領で城門に射ちだせる。いや、距離がありすぎるか」


 いったん厩舎に射ち出すべきか。ノアを余所に三人は話し合っていた。どちらにしても、全員の立ち位置からロープを張るには距離がありすぎた。ソリを使って城を抜け出すにも門は閉ざされている。

 

 議論は二時間ちかく続いたが、解決の糸口すら見つからなかった。


「だぁ……だぁ……」


 また赤ん坊は後ろ髪を掴んだ。ノアは冷静さを取り戻し厩舎の上で光っている風見鶏を見た。太陽は薄い光に変わっていた。


「ひかりの反射位置が変わっていない。あれだ、あれだったんだ!」


 木製の風見鶏は神木で造られており、目の部分に宝珠が輝いている。凍りついて動かない風見鶏は、もとより固定されていたのだ。


「我らが錠前破りさまは、二時間掛けて宝珠の位置をめっけましたってか。そりゃそうと、あの風見鶏までどうやって行くんだ?」


「モーガン」小隊長は魔術師に叫ぶ。「魔術であの風見鶏を落とせ。火炎で燃やしてしまえ」


「すまないが、魔術弓マジックアローを当て此方側に落とす自信はない。さっきから足の痙攣が止まらん。火炎で神木は朽ちない」


「なら、風見鶏の死角にまわれないか?」


「また議論かよっ!」


「……」罵声が響くなか、ノアはロープで幾つかの輪を作っていた。ずっと考えていた。いや、感じていたことを試したいと思った。


 直径一メートルほどの輪をつくり、それを地面に向かってゆっくりと置いた。トラップは物が乗っただけでは発動しないようだ。


 次にロープのなかの円に集中し、解封術の要領でこの空間の魔法陣を形成イメージする。


(駄目か。違う、封印術を施さないとならないのか。今度は解封術の逆をやらないとトラップは消せない。いや、出来る。この指輪があれば……)


 ノアの片足がロープのなかに入り、雪を踏みしめ、ザクッと静かな音をたてた。


「なっ、何してやがる?」


「そうか……分かったよ、ライナスさん。この指輪だよ。白と黒で、ぼくの解封術とは逆の効果が出せるみたいだ。ま、まるで胸に熱いものが込み上げてくるみたいだ!」


「大変だ、ノアがげろを吐くぞ」


「は……吐かないよ。これはきっと魔力だ」


 ノアは息を呑んでロープの輪の中に両足を踏み入れた。トラップは発動していない。


「みんな、ぼくが行くまで動かないでよ。輪っかの中を安全地帯にしたんだ。解封術じゃなくて、何て言うんだろう。封印術かな」


「はあ!? 何だって」

 

 ノアはロープを使い、器用に道を作った。厩舎に着くと、またロープを使い屋根にあがる。屋根は滑りやすく、赤ん坊を背負いながら登るのは、容易ではなかった。


 何度も雪に足を滑らせ、必死の思いで屋根に上がった。息があがり、乾いた汗が冷たかった。


「はぁ……はぁ……はぁ」


 ノアは風見鶏を見て、腹がたった。細切こまぎれにして餌にしろと言ったジョシュアは、あっけなく自分がそうなった。


(こんな卑怯なトラップのせいで)


 ぼくは彼よりも自分に腹がたったんだ。この風見鶏みたいに、簡単にいいなりになって赤ん坊を殺すといった情けない自分に。


「着いた――」ノアが見おろした先に魔術師モーガンと二人の騎士がみえた。「もう少し、待っていてね。トラップを解除してみせる!」


 ノアは風見鶏にロープをくくりつけ、右手の白い指輪を近づけた。ふとガラクタ街に暮らしていたころを思い出した。


 孤児だったノアには〈青髭のマッズ〉と呼ばれた叔父がいた。叔父もあのジョシュアと同じように、簡単に死んだ。


「はぁ……はぁ……」



 マッズは痩せていて、歯も髪も金も名誉も何もない爺さんだったが腕はあった。港町のはずれ、ガラクタ街に運ばれる錠前付きの宝箱を開けたり、破損した武具から宝珠を抜き取るのが仕事だった。


 鍛冶屋の裏にある馬小屋より狭いボロ屋には、使い古された宝珠付きの剣や再利用できそうな魔術杖が山積みされていた。いつのころかノアは叔父のことを師匠と呼んでいた。


『ノア、この錠前の構造を見てみろ。すげぇ技術だろ? 時代を越えて、知恵比べができらぁな』


「……すごいですね、師匠」


『どうした? うなかい顔して』


「だって、精密な分析力と腕を研いたとこで、解封師の仕事なんて、世間じゃまったく評価されてませんよ。師匠だって、ろくに飯も食えてないじゃないですか」


『まあ、錠前破りは盗人だと思われてるからな。俺たちを利用するやつらは多いんだ、特に……悪いことにな。お前は真面目すぎるから、才能があっても一人前にはなれんかもな』


「ひっ、ひどいな」


『でもな、ノア。解封師には魔力の流れを読み、解放する力があるんだ。少なくとも、いつの間にか魔力に惑わされてるような人間にはならない。一流の解封師には、本当に利用されてるのが、誰かわかる』


「それより、今月の食費はあるんですか。錠前を開けてるだけじゃ餓死しますよ」


『お前は、そんな心配ばっかりするな。ほれ、魔術杖ワンドに埋まってた月長石ムーンストーン黄玉トパーズだ。鍛冶屋に売って、なんか美味いもんでも買ってこい』


「やった! 師匠の好きな串焼きとイカ飯を買ってきますよ」


『ったく、この錠前が開けば飯の心配なんていらねぇのになぁ。おれに何かあったときは、ノア。お前がこいつを開けるんだぞ』 


「はいはい」


 それが一緒に食べた最後の食事だった。マッズは盗賊の仕事を請け負っていた。城壁の地下にある倉庫の鍵を開けるという仕事だった。


 城兵に棍棒メイスの一撃を受けて、あばらを何本か折ったと聞いた。それでも幾らかの金を握らされ、この小屋へ帰ろうと下水を彷徨さまよったが、結局は出血が多すぎて死んでしまった。


 二週間後、ノアは師匠の開けられなかった錠前を開けた。少しでもマッズの弔いになることを願ったが、中身には紙切れが一枚入っていただけだった。そこには師匠の字でこう書かれていた。


『おめでとうノア。お前は一人前の解封師だ。お前に残せるものが、錠前破りの技術だけだったことをすまないと思っている。


 独り身のおれにとってお前は家族であって、唯一の生きがいだった。もし、神がいるなら今度はもう少し、お前の役に立つ人間に生まれ変わりたいと頼んで見るつもりだ。


 解封師になろうなんて思わんでいい。だが、ここでの経験は役にたつはずだ。お前が何者になるにせよ、絶対にな――』


      

         


 ノアはゆっくりと背中を守りながら屋根から降りた。三人の騎士を順番にみると、息の詰まりそうな目でこちらを凝視していた。「お、おまたせ。もう、歩いて大丈夫だよ」


「ぷふーーっ。解封術なら、お手の物か?」モーガンはその場にへたりこむように倒れた。ライナスは尻をつき、小隊長ネイサンも片膝をついてうずくまった。緊張の糸が切れた三人は、深呼吸をして汗を拭った。


「ふーっ、まったく疲れたぜ。もう錠前破りとは呼べねえな、ノア。命の恩人さまさま、立派な解封師だぜ」


「じつは解封師の仕事はしていないんだ。ぼくは風見鶏を……封印したんだ」


 疲れた顔のノアの背中で、赤ん坊がきゃっきゃと笑っていた――。

 


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