第46話 深淵

 事実は至って真面目な性格。だが、口からでるのは皮肉まじりの的外れな言葉ばかりだった。ソフィア様以外に、俺の理解者が出来るとは思わなかった。


 モリスンは暗い石階段を足早に登っていた。敵の気配はないが、はるか上にある天守キープには鳥のなく声がかすかに聞こえた。


「……はぁ……はぁ」

 

 いつでも騎士たちは、俺の話を笑って聞いていた。だがどれ程付き合いが長い仲間でも信用は出来ないと感じていたのは、俺の資質が原因だと感じていた。


 人の決めることが理解出来ないし、俺の理解者も居なかったからだ。人に善悪の判断などつくものか。


 人を従わせるには、二、三個の方法しかない。金か暴力、あるいは軍事教育。まともな教育は受けていないからハッキリというのは間違いかもしれない。


 黒騎士を殺せなんて教育を百年も繰り返されたら、誰だってそれが正しいと思ってしまう。


 農夫に産まれ、ここを耕せといわれたら疑いもせず一生そこで働くだろうか。いいや、俺はごめんだ。


 これは洗脳という精霊魔術かもしれない。あの猟犬どものように最後の一匹まで戦い続けるよう仕組まれた呪われた魔術かもしれない。


「……はぁ……はぁ」


 

         


 塔の最上階。暗闇を抜けると吹きさらしのこじんまりとした部屋があった。左側は月の光がさしこみ、手すりもない断崖になっている。


 右側奥には、斜め上に石壁が残っていて篝火がたかれる先にテーブルがひとつ見えた。


「話をしたいと思っていたよ」リングメイルに黒いマントの男は樫材オークの椅子から立ち上がっていった。「リウト・ランド」


「!!」


 横の椅子に座っているのは、妹のソフィアだった。口と後ろ手を縛られ、身動きが取れないようだ。


 後ろに立ちあがる背の高く痩せた男。おぞましい貼り付いたような皮膚で、くぼんだ目に輝く鋭い眼光、おもわず恐怖に足が震える。


「あんたは……何が目的だ?」


「私は黒騎士ベイン。死神ベインと呼ばれることもある。はじめから君と話をするのが目的だ。私たちは似ていると思わないか?」


「光栄ですなんて言われると思ってるんだったら、鏡をプレゼントするよ」


 リウトはベインの死角を探りながら、じりじりと間をとった。暗闇に目を向けると大きな半月刀が光った。振り下ろされればソフィアの首に掛かる位置だ。


「特別な資格スキルの話をしているんだ。外見のことを罵るのはコンプライアンス的にも良くないだろ。私のほうが君より可愛いからって妬む気持ちも分かるが」


「ソフィアを返せ!」


「そう、慌てるな」ベインはテーブルに置かれたグラスに琥珀色の液体を注いだ。「話がしたいと言っている」


「……」


「剣を納めて、リンゴジュースでも飲んだらどうかな。すまないが職務中は酒を飲まない主義でね。ブランデーじゃないんだ」


「馬鹿にしてるのか?」


「いいや、似ているといったのはそう、例えば隠蔽術と隠匿術。我々に与えられた特権をふるうには、反面でうんざりするような義務が期待される。領主が農夫に負う責任の何十倍もあるだろうな」


「むしろ、期待されたいね」


「はっはっは、面白い。運命の女神が君を選んだのも分かるな」


「マリッサを殺したのは貴様か」


 直観的に思った。マリッサはリウトにとって運命の女神だった。


「君のやっていることと何が違う。私の部下を何人殺したんだ?」


「……お、俺は殺戮者じゃない」


「いや、君は誤解している。私が殺したのは、殺さなければならなかった者たちだ。それは最小限のものだった。他の村人は、村に戻したのを知っているだろう」


「詭弁だな。そもそも、村を襲ったのはお前らのほうじゃないか」


「そうかな……死神わたし資質カードは誤解を受けやすい。そこも君と似ている。このカードは、実際の死を表してはいない。いわば、物事の終わりと新たな始まりを暗示している。人は無意識に変化を拒むものだ。それには、不安や恐怖が伴うがね」


「……」


「では聞こう。君は能力を……開花させたときに、見たはずだ」


「なんだって?」


「それは大樹に似ている。一瞬で覚えていないのかな。ピラミッド、魔力の根源、ユグドラシルの樹。それが何か気付いていないのかな」


「あれに触れたら、戻ってこれない」


「そうだ、それだよ。私も見たんだ」


 坑道を出た時だった。ローズに頬を叩かれなければ、戻ってこられなかった。あの時リウトが見たものは、光と大樹。


 真下には大きなピラミッドがあった。何かの暗号かメッセージだとは思ったが、幻覚か妄想だとばかり思っていた。


 その数瞬後に賢者の石は砕け散り、アネスやモリスンに出会ったのだ。


「それが、何だって言うんだ」


「魔力の流れを意味している。枝葉のように分かれていただろう。あれを理解し、動かすことが出来たとしたら、どうかな」


「……何を支配しようっていうんだ。貴様の冷酷な知恵は何のためにあるんだ」


「誤解するなと言っただろう」


 死神は根気強く、慎重に言葉を選んでいた。月の光が半月刀の曲線にそって流れるように光りを帯び、また話が続いた。


「すべて終わらせてから、始めるんだ」


 リウトは自分のあやふやな人生を振り返った。この言葉は彼にとって大きな意味を持っていた。信じることは魅力的で簡単だった。


 自分の都合のいいように解釈することも、こうだと思い込むこともできた。


「違う。それじゃダメだ」


 自分は馬鹿じゃないと世間に向けて言いたかったわけじゃない。なら、どうして運命の女神は自分を選んだのだ。


 いや、勿論マリッサは俺を選んだわけじゃない。選んだのはケーシーだ。


 あんまり親切だから、俺のことが好きなのかと思ったけど、彼女が誰にでも親切なのははじめから分かっていたことだ。


 俺はやっぱり、残念な馬鹿なのかもしれない。だが、妹の目の前で敵の軍門にくだるほど落ちぶれてはいない。


 そして、誰にどう思われようが、マリッサを殺した男を、俺は殺す。


「前向きになるんだ、もう殻に閉じこもる必要はない。私と君は本当に似ている。私は君だ。そして、君は私なんだ」


「冗談じゃないっ!」リウトは腹のなかを見透かされているようなベインの視線を振り払うように言った。「そんな脅しにはのらないぞ」


「脅し? 脅しではなく事実だ」


「ふざけるな。なら、妹を解放しろ。脅しじゃなくて何だってんだ」


「私には探究心がある。君とはやはり分かり合えないんだな。もう一度見たいんだ。君の持っている宝と引き換えだ」


「はん、やっぱりそっちが目的かよ。信頼ってのは無条件で出すもんだろ」


「実は君の過去を色々と調べたよ。どうやら話の通じるような頭脳は持ち合わせていないようだな……もういい。君には失望したよ」


 ガタガタと音をたてテーブルと椅子が倒れた。ベインはソフィアを片手で軽々と持ち上げ、吹きさらしの外へと引っ張り出した。


 塔からの足のすくむ高さは、落ちれば即死することを意味していた。でこぼこの足場は頼りなく、すぐ右手と左の塔には紋章の入った軍旗が揺らめいている。


 リウトは二人を追いながら高さに眩暈めまいがして体がこわばるのを感じた。自分の縮こまった筋肉を上手くコントロールしなければならない。この高さで月は目の前で、より近くに感じた。


 風はビュウウウと長い音をだして、自分を引きずり込もうとしている。ベインは片手でソフィアを掴んだまま、絶壁に突き出した。


 ソフィアの足元にあるのは真っ暗な深淵だけだった。


「や、やめろっ!!」


「馬鹿め。人間は永遠には生きられない。誰もが死を迎える」


「その大発見は俺でも知ってる」


「手を離せば、お前の妹はマリッサと対面できるな。おもてを見ろ」


 平原には篝火が炊かれていた。何百騎もの黒騎士ヴィネイスが大挙してこの城を囲んでいるように見える。


「やめて……やめてください。あの、大軍が本物だとは、思わないが本気は……伝わりました。宝は渡しますから、妹を、ソフィアを、助けてください」


「フッ。初めからそうしろ、馬鹿者が」


「ほらよ」


 リウトは雷光の指輪を放り投げた。ベインはその意外な行動に一瞬、目を疑った。


(こいつは、投げたのか? 私が求めていた竜鱗の腕輪、ではなく小さな指輪を。馬鹿とは聞いていたが、なんて馬鹿なんだ。こいつは、きちんと人の話しも聞けないのか)


 月夜に煌めいた黄色い指輪がスローモーションのように飛んでくる。ベインは目を凝らし、はっきりと気付いた。


(高純度アクセサリーか! これはの求めていた宝珠か。そっちを投げるなら、そう言わなければ駄目だ。こんなもの疾風魔術ヘイストを持たない常人なら、無反応でスルーだぞ)


 黒騎士のリングメイルが邪魔だった。指輪を取るには仕方のないことだ。ベインは掴んでいたソフィアから手を放し、手を伸ばした。


「!!」


「うんぐっ!!」


 ソフィアの悲鳴は縛られた布に掻き消され、その身体は宙に浮いた。金髪ブロンドが舞い上がり、背筋が凍るのを感じた。ソフィアはそのまま重力にまかせ、深淵に沈んでいった。

 

 ベインは月を見上げ、雷光の指輪を掴んでいた。足元に目を移すと、リウトは寸前のところでソフィアの手を掴んでいた。


「……!?」


「加速魔法ってやつだ」


(雷光の指輪に付加する特殊スキルを――使いこなしたのか。いや、手元から離しているのに、そんな芸当が出来るわけがない。普通に助けただけ……やはり馬鹿なのか!)


 リウトは黒いリングメイルに思い切り頭を打ち付けて、ベインを押しやった。反動を利用してソフィアを引き上げるつもりだった。


「おおっ」バランスを崩した死神の手が空をきった。「なんだと……っ!」


「死んだ村人たちに対面できるな」


「お……おおおおおおおおおおっ!!」


 黒騎士は塔から落ちて行った。リウトは妹を引き上げると、しばし目を瞑って呼吸を整えた。へたり込んでソフィアを抱きしめた。


「あ、ありがとう! お兄ちゃん、怖かった、ほんとに怖かったよ」


「すまなかった。すぐに助けられなくて」


 目がまわっていた。ソフィアも塔も平原さえもぐるぐると回っていた。妹の足首に繋がれた鉄の鎖は、石壁に固定されているようだった。


「……まさか、落とす気はなかったのか」


 虚ろな眼で、平原に広がる篝火をじっと見て指をさす。「あの軍隊って本物なのかな」


「いいえ、死神の映し出した黒魔術だと思う。ここで、術式を唱えるのを見ていたから」


「じゃなんで、消えないんだ」


 術師が死ねば、かけられた魔術も消えるはずだ。リウトとソフィアは這いながら塔の下を覗き込んだ。深淵から風が吹き上げてくる。


「……ひっ!」


「ベイン!!」


 

 空中に――浮かんでいる。死神は月夜に宙に浮いていた。


「簡単な仕掛けだ。魔術盾アローグラスを空間固定しているだけだ。足の裏でね」


「なっ、なんて奴だ」


「君の兄妹かのじょへの気持ちだけは、かってやろう。ただの馬鹿じゃないのはよく分かった。楽しかったよ」


「……」


「だが、今度会う時には君の首を貰う」


 黒騎士ベインは、闇深くへ降りていった。死神が深淵へと姿を消していくように。ふたりはじっとそれを眺めるしかなかった。




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