第42話 兄妹の絆

 パーゴ村。まだ本当に幼かったころ。近所に住んでいたマーシュには可愛い妹がいて羨ましいと思ったことがあった。


 それにひきかえ、うちの妹ソフィアときたらガサツで乱暴で、自分の思い通りにならないと、すぐに泣いた。


 しょっちゅう鼻を垂らしているし、ゆっくり落ち着いて歩くことも出来ず、俺をみつけると、バタバタと品のない足音を鳴らして駆け寄ってくる。


 あの日は俺の読んでいる漫画を取り上げて、先に読み始めた。


「ソフィア、俺が読んでんだろ。女の子向けの本を読めよ」


 少しは女らしくなるんじゃないか、とは言わないが、男向けの漫画を鼻息を荒立てて読んでる幼女というのは、ソフィア以外には居ない気がした。


「こっちのほうが、面白いもんね。あとで剣の練習もしようよ!」


「……い、いいけど」


 俺と同年代の仲間たちはマーシュの妹を可愛がったが、ソフィアを見ると大抵は「これがリウトの妹か――」といって苦笑いをした。当時の俺はそれが恥ずかしいと感じた。


「ずいぶん懐いてるじゃないか」ガナーと、マーシュが俺に言った。「妹なんかとママゴトやってて楽しいか?」


「仕方ないだろ、俺が面倒みるように母さんに言われてるんだ」


「ははあ、さてはママゴトが好きなんだな」


 中庭にゴザをひいて、ソフィアが泥団子を食わすママゴトに付き合わされていたのを見られていたらしい。


 男の遊びばかりを好むソフィアにとって、ママゴトは教育上必要だと思っていた。どこの幼い娘もやっていることだ。


「いや、リウトは妹が大好きなんだ」


「はあ!?」ソフィアのほうから俺にくっついてくるのに、何を勘違いしてる。だったら代わって欲しいものだと言いたかったが、どういうわけか耳が赤くなった。


「違うよ。あんなの大嫌いだ」


「だったら、少しいじめてやれよ」


「……ああ」


 木影のマーシュとガナーに見せつけてやろうと、俺は泥団子を放り投げた。ソフィアは「旦那さまのお口には合いませんでしたか?」といってママゴトを続けようとしたが、俺は「こんなもん食えるか」といってゴザを蹴りとばした。


「もう、お兄ちゃんなんて呼んで俺に纏わりつくのはやめろ!」と言った。するとソフィアは真っ赤な顔をして俺につかみかかった。


「なんで! なんで! なんで!」と泣き叫ぶソフィアを躱して泥団子を胸に押し付けた。それが面白くないソフィアは立ち去ろうとする俺の頭に煉瓦を持って殴りかかった。


 ガツンと音がして目の前に星が瞬いた。なんて恐ろしい女だと思った。


「わたしが、ブスだから?」ソフィアが泣いていた。泣きながら煉瓦を振り上げる妹に殺されると思った。


「わたしみたいな妹がいると恥ずかしいから?」


「ああっ! そうだよ」


「うっ……うっ……うわああああんっ」


 それからマーシュとガナーのところに行ってしばらく遊んだのだが、なにをしたのか思い出せない。ずっとソフィアのことが気がかりだったことを覚えていた。


 日が暮れて家に帰ると、ソフィアは屋根の上にひとり登り、押し黙っていた。母さんは、一体どうやって登ったのかと呆れていた。何ヵ月か前に登り方を教えたのは俺だった。


 さらに後日。ソフィアは、俺や自分の陰口をたたくガナーやマーシュを見つけると、おもむろに石を拾って遠投した。それが見事に連中の頭に直撃することに、俺たちは腹を抱えて笑ったものだ。


 思えば、ソフィアをブスだとか女狐だとか呼ぶ連中を殴ってまわったのも、ソフィアに大人しくしてもらいたかったのが始まりだった。思い出すだけで笑いがこみあげてくる。


 二年くらい後になって、そんなソフィアは貴族のパーティで傷害事件を起こした。俺と妹が分かれる前に、あの日のことを謝ることはなかった。


 眉が太くて、つりあがった目、男みたいな態度の小さい手。そんなソフィアをからかった貴族のガキを俺はいつものように殴ってやろうと思った。その短絡的で馬鹿な行動をしようとした俺は、ソフィアに腕を斬りつけられた。


 それが俺を庇おうとしたソフィアの愛であり、優しさだと知ったのはローズにすべてを話したときだった――。


 あの日、村の教会で腕の治療を終えても、俺はまっすぐに家へは帰らなかった。母さんにどやされると思っていたし、ソフィアにまた煉瓦で頭を割られたら堪らないと思った。


 妹の部屋はガランとして、何もかも無くなっていた。ソフィアは俺のことを母さんにいいつけはしなかった。何も言わず、俺の前から忽然と姿を消して居なくなってしまった。


 遠くの街の娼館へ売られたと知ったのは、それから数ヶ月も先だった。ほとぼりが冷めるまで親戚の家で厄介になっていると母さんがいったからだ。こみ上げる罪悪感と、哀れなソフィアを思い出すたび息が苦しくなった。


『大丈夫よ』

 

 馬車での長い道行で何度か目を覚ますと、俺は筋肉ひとつ動かす気にならなかった。猟犬からうけた爪跡や、噛みちぎられた腕に鋭い痛みが容赦なくやってくるのだ。


 痛みに悲鳴をあげないよう、こぶしを握って口に持っていき、噛むようにして耐えた。


 何度も気を失うように眠っては、ソフィアの『大丈夫よ』という言葉に救われた。おまえこそ、娼館なんかに売られて大丈夫だったのかよと思うと、辛くて、惨めで涙が頬を伝っていくのを感じた。


(ぜんぶ、ぜんぶ俺のせいじゃないか――)


「大丈夫よ」


 俺は暖炉の近くで長靴ブーツを脱がされ、冷えた身体を暖めていた。どこかの安宿のベッドのようだった。隣に腰を降ろしたソフィアはずっと側にいてくれたようだ。


「あいつは?」


「ジャガーさんなら、ここまで運ぶことが出来なかったから、馬小屋に簡易ベッドを作って寝かせているわ」


「無事なのか……」


「うん、回復魔法ヒールで治療中よ。ベナール教会から修道女シスターロセニアとウォルドが駆けつけてくれたの。長旅だったそうだけど、間に合ってよかったわ。かなりの大怪我だから、何週間もかかるかもしれないわね」


「すまなかった。このことだけじゃなく、今までのこと。いや、謝ったって済むようなことじゃないのは分かってるんだけど」


「ねえ、覚えているかしら。むかし、お兄ちゃんがわたしがブスだから、一緒に遊ぶのが恥ずかしいっていったことがあったこと。お兄ちゃんは格好よくて、わたしの自慢だったから、あのときは本当にショックで悔しかったんだ」


「ははは……同じ夢でも見てたのか、俺もあの頃を思い出していた」


「お兄ちゃん」


 昔のようなブロンドだったが、巻かれた髪はバランスよく整っていた。顔もそうだった。眉は細長く、つり上がった目元に幼少期の面影はあったものの、それが個性的でとても魅力的にみえた。とにかく立派になったと思った。


「綺麗になったな。俺が貴族の舞踏会……」


「ううん。後悔なんかしてないよ」


 ソフィアはそういって唇を噛み締めながら、前かがみになると両手で俺を抱きしめた。多くを話す必要はなかった。


「お、重いよ、ははは。しかし女ってのは分からないもんだな。あのソフィアがこんなに美人になっちまうなんて。ずいぶんスタイルも良くなったな、信じられないよ」


「ぷっ、また煉瓦レンガで頭を割られるわよ」


「「あはははは」」


 暖炉に薪をくべる剣士は、わざと大きな音をたてて存在を示した。モリスンは手についた木屑をパンパンと叩き落とし、ソフィアの腕をほどいた。


「はじめまして、お兄さん」声にはイライラした調子があった。割ってはいり、握手をしながらじっと俺を覗き込んだ。


 無精髭に、とがった鼻をして俺よりずっと太く逞しい体躯の男だ。脇に長剣を二本も差しているものだから、ガチャガチャと耳障りな音をたてている。


「だいぶ良くなったんだろ。兄弟だからって体中拭いてもらったうえ、ベッドまで一緒なんてことはないだろうな」と嫌味な目を向ける。


「……悪くない提案だ。それがどうした?」


 冗談じゃない。五年も待って、せっかく理想の妹が戻ったのに、お前のような野蛮そうな野郎に取られてなるものかと思った。


「どっかの間抜けが俺をまた独房に放り込もうって考えていたら大変だ」


「そりゃあ、ソフィア様の兄貴が卑怯な脱走兵だとは知らなかったからな」


 モリスンは握手した手を強く握りながら、笑顔をつくり続けた。


「彼女が〈節制の女神〉様ってことは、ちゃんと理解してるのか。ソフィア様は夜通し精霊魔術フェアリーエイドを唱えていたんだ。まだ飯も食えないっていうなら、俺がその口にパンを突っ込んっでやるぜ」


「へえ、面白いな。助けてくれたことの礼がまだだったが……俺がだれか間違えていなけりゃいいんだが」


「ああ、分かったよ。謝ればいいんだろ、すまなかったな、お兄さま」


「猟犬から、救ってくれてありがとう。だが、貴様にお兄さまと呼ばれる筋合いはない」


 電撃を食らわしてやろうかとも思ったが、ソフィアの前で子供じみたことはお互いに出来ないと思っていた。


「ふん」と鼻を鳴らしたモリスンは俺の右手がトリック・ハンドで造られた木片だと分かると、それを暖炉に放り投げた。


「……仲良くしてくれないかしら?」とソフィアはいうと、ブラウンのウールのマントを手にとって羽織った。


「食事をして、厩舎にいるジャガーの様子を見に行きましょう」


「「はーい」」


 どこか似ている俺たちは、互いにソフィアの目を盗んではにらみ合い、見張りあった。夕日にそびえたつレイモン城の二つの塔がみえた。


 ソフィアは、まだ足元のおぼつかない俺の手を握って歩いた。パーゴ村で見た大きな夕日を、確かに一緒に見たあの頃を、思い出さずにはいられなかった。


 全てがあたりまえだった、あの頃。ソフィアの懐かしい面影をみると、どれだけ特別な時間だったのかと気付かされる。


 あの日、小さなソフィアが居なくなって初めて気づいた温もり。いま、それを手に、俺はいつまでも一緒に歩いていたいと思った。


















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