2節 フリバー・ライヘルド10
――私の邪魔をしないでください。
目の前の”悪”はそう言って、容赦もなくブレイルに聖剣を突き立てる。
あたりは既にブレイルの血で染め上がっていたが、新しい鮮血が――頬を伝った。
聖剣の刃が頬を掠めた。
そう気付くのには少しだけ時間がかかった。
目の前の”
――どうして?
その疑問が浮かぶが、声は出ない。
”彼女”の無感情な瞳がただ見下ろす。
「――抵抗一つできないとは、主共々役立たずですね。勇者ってこんな物なんですか」
静かで、心底呆れ果てたような声が降り注いだ。
次の瞬間、ブレイルは顎に強い衝撃と共に身体が吹っ飛ぶ。
”少女”がブレイルを蹴り飛ばしたのだ。
そのまま彼は建物へとぶつかり、ガラガラとレンガが崩れる。
能力増幅の魔法は既に解けていた。強い衝撃が背中へと響き、ブレイルは血反吐を吐いた。
あばらが数本、背骨が完全にイッた音がした。
あまりの痛みに目がかすむ。
――そんなブレイルを前に、”死”は聖剣と、そして切り落としたブレイルの両腕を手に近づいて来たのだ。
「な……に…を……」
「――あ、足折っておきますね。どうせすぐ治りますし、追って来られると面倒です」
「あ、が――っ」
近づいて来た”死”が何よりも先に行ったのは、ブレイルの足を容赦なく踏み潰す事だった。
踏み潰された足は「ぐにゃり」と奇妙な方向へと曲がり、折れたと言うより潰れたカエルと表現した方が近い。
完全に抵抗など出来なくなった。
そんなブレイルに死はとどめを刺す――
――そのようなことはしなかった。
まず、手にしていた聖剣を”彼女”はブレイルに放り投げる。
聖剣はこれ以上、主を傷つけることなく、潰れた膝の上へと落ちた。
次に、動けなくなった彼の前で座り囲んだかと思えば、手にしていた彼の
自身の腕といえ切り離された異物に違いない。それを傷口に容赦なく押し付けられたのだ、その痛みにブレイルは声にならない声を上げた。
それでも、”死”はブレイルに興味が無いのだろう。勿論気遣いなども無い。
ウザったそうに暴れるブレイルの身体を押さえつけて、さらにぐりぐりと腕を押し付け、数十秒。
「――まあ。これでいいか」
そう小さく呟いて。ポケットから何かを取り出したかと思えば、腕の繋ぎ目にその“何か”を押し付けたのだ。
ガシャン…小さな音と、小さな痛みが走る。それが数十回。
腕を切られた痛みに比べれば小さいが、まるで注射でも撃たれているような痛み。
終わったかと思えば、もう片方の腕もまた――。
数十回の音が終わると死は、ふらりとブレイルから離れた。
「あ……が…な……にし……」
ならない声で必死に「なにをしたんだ」と訴えかける。
視線を移せば、何故か切り落とされた腕はいくつもの銀色の留め具で非常に不格好に繋がっていた。
ただ、適当に“繋げただけ”なのは目に見えて分った。
腕はピクリとも動かないし、もはや痛みは熱に変わっている。
”死”は荒く息をしながら睨み上げるブレイルの前で、手にする“何か”をカシャカシャとならしながら、無表情のまま当たり前のように一言――。
「治療」
――は?
きっと声が出ていたら、ただそう漏れていたはずだ。
「治療?」この”女”は治療と言ったのか?
両腕を切り落とし、足を踏み潰し、骨と言う骨をたたき割った張本人が?
そもそも治療になっていない。この”女”はただ、ちぎれた腕を見たこともない留め具でくっ付けただけだ。
――そんなブレイルに気に掛ける様子もなく。
”死”は彼から視線を外し、次は倒れているパルへと身体を向けた。
――やめろ!
そう精一杯叫ぶ。しかし、やはり声にはならない。
潰れた足も、繋がっただけの腕も動かない。それどころか身体一つピクリとも動かない。
無情にも、ブレイルの目の前で、”死”はパルの側へと屈んだ。
パルの首からは、まだ血が溢れ続け、それでも何とか彼女は生きている状態だった。
「かひゅ、かひゅ」と微かに、今にも消えてしまいそうな息遣いだけが、死だけに聞こえる。
そんなパルに、”死”は同じように手にした器具を伸ばす。
ブレイルの抵抗なんて意味もなく。
またガシャン…音がする。それがまた数十回。
――暫くして。
終わったのだろう。”死”が立ち上がる。
足元に転がるパルの腕は留め具で歪に繋がれ、首にも同じく銀色の留め具が何本も突き刺さっていた。
その光景を見てブレイルはただ叫ぶ。
「な…にを……!!パルに……なにしやがった!!!」
怒りからか、残った力を出し切ってなのか、ブレイルの声はようやく響いた。
”死”はそんな彼に振り向く。そしてまた一言。
「治療」
――全く同じ言葉を一つ。
その言葉にブレイルは怒りしか湧かなかった。
何が治療だと言うのか、敗者をさらに貶めただけではないかと、睨む。
「…あー。えっと…違いますね」
そんなブレイルの目を見てなのか、”死”は一瞬目を逸らして、考えるように視線を空へ向けて。
「ああ」と思い出したように、
「応急処置……で、これは――『ホッチキス』です」
カシャカシャ、手の中で器具を鳴らしながら”彼女”はそう言った。
ああ、もう。理解が追い付かない処の話じゃなかった。
”彼女”の行動理由全てに理解が出来ない。
ここまでブレイルとパルをボロ雑巾の様な姿にしておきながら、元凶が何を当たり前にそんなバカげたことを口にするのか。
そもそも、治療。応急処置。
それら全てが、もう意味が無いのはブレイル自身が良く分かっていた。
だって、自分の身体だ。嫌でも理解できる。
――もう自分は数刻のうちに死に至ると。
そしてそれは、
今こうしている間にも、パルの呼吸は浅くなる。
――……いや、パルに関してはもう遅い。手遅れにも程かある。
現に、遠くで倒れたまま動けなかった彼女は今しがた――その瞳から完全に光を失った。
――………あ、あああ、ああああああああああああああああああああああああ。
分かっていた、どうしようもなく間に合わない事は気付ていた。
それでもブレイルは声を上げる。
その声すら、聞き取るのがやっとの程のかすれ声をひねり出す。
動かない手を怒りのままに目の前の”死”に荒々しく振り回す。
もがけば、もがくほど、繋げられた部分から血は夥しいほどに流れるが、ただ振り回す。
「………体力お化けですね勇者って。なんで顎叩き割ったのに喋っていると言うか……それ以前に普通死んでいるか、気を失うと思うんですけど?むしろその方が楽なのですが?」
その様子を”死”は怪訝そうな顔で見下ろしていた。
ただ、何かに気づいたのか、ポケットから銀色の別の「
「まぁ、いいです。もうすぐ気を失うと思いますし……。」
手にする本を開き何か確認しながら、死は完全にブレイルに興味を失ったのだろう。
少し速足で、その場を離れていく。
「目が覚めたら一応、パルさんに回復魔法と浄化魔法掛けてもらってください。感染症とかになったら困りますし、心配ならアクスレオスの所に行ってください。いいですね」
まるで義務的な言葉を残して、”死”は去っていく。
”彼女”の言葉が、何処までブレイルに届いているかは分からなかった。
ただ、ぼんやりしてきた視界の中で、黒い小さな身体だけが遠ざかっていくのだけは、はっきり分かった。
「――い――。――かってな――。」
ブレイルが最後に見たのは、そんな”小さい黒い影”に、別の黒い影が近づいて来た様子。
二人が何か話している。そんな有触れた光景が、”死”と交戦した記憶に残る最後の光景だった。
――違う。違う。
有触れた光景じゃない。もう一つ異様な光景があった。
パルの周り、彼女の周りに広がった赤い液体が、スライムの様に“ぐにゃり“――そう蠢いたのだ。
だが、驚く暇も、それ以上考える暇もブレイルには無かった。
――もう意識が持たない。
周りでぐにゃぐにゃ。赤いナニカが蠢くのをぼんやりと眺めながら、暗くなっていく意識の中で、ブレイルはコレが死だと確かに感じたのだ――。
◇
「――なんで生きてんの、おまえ。『ホッチキス』って馬鹿にしてんの?」
勿論と言うべきか。
机を挟んだブレイルの前。椅子に腰かけ、話を聞いたフリバーの第一声は此方である。
怪物でも見るような視線に、ブレイルは隠すことなく眉を顰めた。
「してねぇよ!!だから、話しただろ!俺達には『死』が無いんだよ!死なないの!」
まるで子供の説明だ。
ソレで
フリバーもまた眉を顰める。
先ほどから、この2人はこの調子。雰囲気が最悪である。
それを、隣の部屋。キッチンから除いていた、
とても簡単だ、アレから一日たった。
昨日の今日。つまりは2人が出会って早々、喧嘩別れをして、一夜明けたのが今日である。
約束通り、フリバーはブレイルの言う『リリーの家』に辿り着き。
こうして昨晩の続きを話している。――そういう訳なのだが、見ての通り2人は険悪のままなのである。
それだけだ。
「……二人ともやめなさいよ」
険悪な空気の中で、見かねたリリーは呆れた様子でトレイにカップを持って、キッチンから出て来た。音を立てながら、それぞれカップを机、二人の前へ。
その途端鼻を衝くきつい香りが漂う。
ブレイルがカップから目を逸らして、構わず舌打ちを一つ。その舌打ちは、どう考えてもフリバーに向けられたものだ。フリバーはカップを手にしたまま、顔を顰めた。
「あんた達……。話はさっき聞いたけど、何があったのよ」
リリーが問えば、2人は仲良くそっぽを向く。
「別に」と見事にはもって、お互いを睨んだ。
先程からずっとこの調子で、これにはリリーもほとほと困り果てるしかない。
フリバーがこの家を訪れたのは、今から一時間前の事である。
突然、家の扉がどんどん。開けたのはリリーだった。
リリーの目に映ったのは茶髪の、見たことも無い男。当たり前だが警戒した。
殺気立っていて、顔を顰めに顰めまくった男が立っていたのだ、当たり前だ。
とりあえず扉を閉めて逃げ切ろうとしたのだが、ソレを阻むように手が伸びてくる。
「何よ」と返そうとした、その時、彼は口にした。
「ブレイルの奴は此処に居るか?」――と。
こうして漸くリリーはこの目の前の男が、ブレイルの知り合いだと気が付いたわけである。
「出会い頭に喧嘩してたけど。なに?どうしたわけ?」
ため息を付いて。リリーはブレイルの隣に座りながら、もう一度問いかける。
まあ、ブレイルのお客人だと理解して家に迎え入れ、ブレイルと顔を見合わせ瞬間、2人は言い争いを始めたのだから、仕方が無いっちゃ仕方が無い。
詳しく記すと。「やっと来たか、遅い」とお客人にブレイルは笑顔を浮かべたモノの、
何とか喧嘩は止めて貰い、本題に入ったものの、この空気である。
ブレイルは無言のまま。フリバーは心底腹立たしそうに口を開いた。
「――……リリーちゃんだったよな。あんたさ、こいつから俺の話聞いた?」
「え?――……いいえ、さっき初めて聞いたわ」
机に肘を付きながら、リリーは当たり前に首を横に振った。
コレである。フリバーは更に不機嫌な顔をした。そしてブレイルに指をさす。
「こいつはな、昨日一方的に『リリーの家に10時に来い』を俺に言いつけて、場所もろくに教えず帰った。その上、居候の身で人が来ることを伝えていなかった?ふざけてんのか?」
「――それは、そうね」
話を聞けば、フリバーの発言はもっともだ。
現にリリーはフリバーを知らなかったし、不審者と思ってしまった。
一言言ってくれても良いだろうに。「客が来る」って。リリーも警戒せずに済んだし、フリバーも不審者扱いされずに済んだ。
ただ、コレに黙っていないのはブレイルである。椅子から立ち上がって、フリバーに指を差す。
「まて!!確かに俺はリリーに伝え忘れていたが、昨日お前自力で探すって言ってただろ!!」
悲しい言い訳である。
これにはリリーも擁護できない。冷たい目で一言。
「あんたが悪いわ」
そう、ブレイルに言い放つのだ。
ブレイルはショックの色を見せて、再び座ると、またフリバーに向かって舌打ち。
フリバーもフリバーだ。ブレイルの態度に額に青筋が浮かんでいる。
リリーが此処で分かったのは一つ。昨日2人は出会って、壊滅的な出来事が起こったと言う事。
深入りはしないが、溜息は許してほしいと、リリーは息を付いた。
――さて、本格的に話を戻そう。
最悪な雰囲気を壊すようにフリバーは小さく咳払いを1つ。体制を整えた。
「で、さっきの話。もう少し詳しく聞かせろ。『異世界人には死が無い』?聞く限りじゃ、お前どう聴いても死んでんじゃねぇか」
フリバーのもっともな問い。ブレイルは眉を顰めた。
ただ今度は不機嫌な物ではない、なんと説明しようか、悩んでいるような表情だ。
すこしして、口を開いたのは、リリーであった。
「――私、詳しくは見ていないけど。あの日の事でしょ……。父さんが殺されちゃった日の事」
ブレイルの表情が変わる。フリバーも同じだ。
だから、彼女には話を付けて外に出ていてもらっていてほしかったのに。
しかし、リリーは2人の視線に気が付いたように小さく首を横に振った。
「大丈夫。……“死”は怖いけど。私、協力したいの。父さんの為だもん」
酷く悲しそうに笑って、それでもリリーは力強く頷くのである。
『それが勇者が話す真実』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます