第9話 妖魔、去ったあと

「近いうちにまた会うだろうからね」


 妖魔が去った後の公園で、継は柊也の治癒術を受けながら、そう言って静かにまぶたを伏せた。


(何で逃がしたままにするんだよ! 近いうちって何だよ! 追えないなら探せばいいだろーが!)


 継の治療に力を使い、少しずつ疲れてきた頭の中で柊也はわめき散らす。


 しかし、柊也にとって悔しいことこのうえないが、妖魔に関しては継にまったく敵わない。


 幼い頃から妖魔についての知識や実技を叩き込まれてきた継と、まだ半年しか訓練を受けていない柊也では、そもそもキャリアが違いすぎるのだ。


 もちろん、柊也もそれは仕方のないことだとわかっている。

 今回は言うことを聞かないといけないということも、わかってはいる。


 それでもなかなか納得はできなかった。


(家事なら余裕で勝てるのに……っ!)


 さらにそんな少々間の抜けたことを考えるが、今は家事で勝てたところでどうにもならない。


 柊也には継の言ったことの根拠が理解できなかったうえに、継を説得するための材料も持ち合わせていなかった。


 結果、柊也は不機嫌な顔でただ頷くことしかできなかったのである。



  ※※※



 その後、怪我が治った継は、柊也に「今日はもう家に帰るように」と命じた。


「俺も一緒に警護するから! 俺だって警護くらいはできる!」


 柊也は継だけに任せるわけにはいかないと散々粘ったが、継は頑として首を縦に振らなかった。


 まだ未成年である自分にバイトで徹夜をさせるわけにいかない、と考えただろうことは柊也にもわかる。

 それは経営者として当たり前の判断である。いつもならさっさと帰ることができて、ありがたいと思うところだ。


 だが、今日の柊也はやはりここでも納得することができなかった。


(俺は何も悪いことしてねーだろーが!)


 妖魔を相手に、足を引っ張ったわけではない。むしろ、掠り傷程度ではあるが怪我をした継の治療をしたのだから、役に立っていないはずがない。

 明日は土曜日で学校も休みだから、徹夜だって平気だ。


 そう考えたのだが、あまりにも頑固な継を前に、柊也の方が折れざるを得なかった。


「俺が戻ってくるまで死ぬんじゃねーぞ!」


 せめてもの嫌味にと、柊也はそう吐き捨てながら、継と優海に背を向けたのだ。



  ※※※



 翌日の朝早く。


「やあ、柊也。おはよう!」


 地図を片手に優海の家の前までやって来た柊也は、昨日とは対照的に満面の笑みをたたえた継に迎えられ、すっかり拍子抜けしてしまった。


 一晩かけて考えた大量の罵詈雑言ばりぞうごんも、継の爽やかな顔の前にほとんどが洗い流されてしまったのである。


「何でそんなに元気なんだよ。とりあえずまだ死んでなくて安心したよ。先月分のバイト代まだもらってなかったからな」


 心の中にほんのわずかだが残っていた悪態をつきながら、柊也が途中のコンビニで買ってきた缶コーヒーを手渡すと、これまで明るかった継の顔がみるみるうちに曇っていく。


「これ、ブラックって書いてあるんだけど」


 もちろん、缶コーヒーは昨日の仕返しのつもりで、わざと買ってきたものだ。間違って買ったのではない。


「あ? 何か文句でもあんのか? 買ってきてもらえただけありがたいと思えよ。で、妖魔は?」


 柊也が下からきつく睨みつけると、さすがに今回は分が悪いと悟ったのか、継は仕方なさそうに小さく頷いた。


「あれからは予想通りずっと平和だったよ。だから君に『帰れ』って言ったんだ」

「予想通り? 最初っからもう妖魔は出ないってわかってたってことか?」


 コンクリートの塀にもたれた柊也が、自分用に買ってきた緑茶のペットボトルを開けながら、首を傾げる。


「まあ、ね。妖魔だって怪我はすぐに治らないはずだから。『しばらくは潜伏すると思う』って言ったじゃない」

「じゃあちゃんと昨日のうちに説明しとけよ」

「潜伏するって話はちゃんとしたはずなんだけど?」

「うっ……」


 柊也は思わず言葉を飲み込んだ。


 確かに言われたような気はする。が、あまり記憶には残っていない。あくまでも『ような気がする』だけだ。


 そんな柊也の鼻先に、継が真剣な眼差しで人差し指を突きつけた。


「ほらね。君は頭に血が上っていたから逆に危険だったんだよ。君にとっても、優海さんにとっても。もちろん僕にとってもね」

「けど……」


 反論しようとする柊也から視線を外し、それを手元の缶コーヒーに移した継は、ゆっくり缶を開けながら、さらに続ける。


「それに、柊也は僕を治療するために力を使ったから、ちょっとでも回復させておかないと、って思って」


 まあそういうこと、と言い切って微笑むと、今度は少し逡巡しゅんじゅんする様子を見せた。


 柊也がいぶかしげに眺めていると、何やら意を決したらしい継は、両手で握るようにして持っていた缶コーヒーを一気にあおる。

 直後、盛大にむせた。


 柊也は大げさに溜息をつくと、まるで子供にするかのように、背中をさすってやる。


「アンタは馬鹿か。苦いもんダメなくせに、一気飲みなんてするからだよ。ざまーみろ」

「馬鹿、は言い過ぎ、じゃないかな、ごほ、ごほっ!」


 両目に涙をにじませながらむせている継に、柊也は呆れを隠せない。やれやれ、と肩をすくめているとそばの玄関ドアが開いた。


 顔を出したのは優海だ。


「あ、継さんに柊也さんも。おはようございます」


 まだ懸命にむせている継と、その背中をさすっている柊也を不思議そうな表情で交互に見やりながら、優海は昨日よりも幾分明るい笑みを浮かべた。


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