ダイナー・ポスト

宵之祈雨

ダイナー店員と新聞記者、死神パワーで悪霊退治はじめました

【ゆる募】何でも取材する新聞記者だけど、いいネタある?

 濃紺のインクが万年筆に乗せられて、がりがりとメモ帳の上を走る。


 黒い炎に染め上げられてニューヨークは漆黒の街になる。

 彼の封印が解けて間もなく死神の刃が人間に牙を剥く。


 怪文書のようなそれは、ただ一つの事実へと変貌した。


 ◆


■脱走ゴリラと警察官の激しい攻防に救世主現る!


 ニューヨークの翠生い茂る平穏は突如として破られた。

 一九六四年二月二八日、早朝ブロンクス動物園にて、獰猛なゴリラが脱走した。

 ゴリラは興奮状態であり、周辺を荒らし暴れまわっており警察も苦戦していた。

 しかし、救世主は現れた。暗いモスグリーンのモッズコートをなびかせて、茶髪を束ねた端正な顔立ちの男が野次馬と警察をかき分けゴリラと対峙する。

 その男は、俊敏な動きで、暴れるゴリラを制止した。男はそのまま「当然のことですよ。ですから」と言い拍手喝さいの現場を後にした。


 ヴィンテージ調のフォントで書かれたスクウェア・タイムズのロゴが刻まれた本社ビルの入り口をくぐる。エントランスへと抜けて社員証を受付で確認してもらう。


「……い!」

 取材を終わらせたらすぐさまオフィスで記事を書く。

「せんぱい!」

 それが、俺――ヒューバート・サーシェスの仕事だ。


「ヒューバート先輩!」

 後輩記者のデックが俺を頭上から見下ろすと「げっ」と苦い声を漏らして表情を歪めた。彼はこの秋から共に働いている気が利く新人だ。俺は顔を上げた。

「え、何?」

「もう、何回も呼びましたよ。どうせ頭の中で記事書いていたんでしょ?」

「げ、バレてる」

「ていうか顔に絆創膏って……また取材ですか?」

「もちろん! とっておきのスクープ掴んで来たんだ。ほら」


 俺はコートのポケットから数枚の写真を取り出した。デックは難しい顔でその写真とにらめっこをしていた。


「なんですか? これ」

「動物園を脱走したゴリラ」

「なんでそんなの撮っているんですか!」

「え? 次の記事に使うに決まっているだろ?」


 野次馬とテレビやラジオ、他の新聞社の取材班をかき分けて、俺は果敢にゴリラと戦った。そして見事捕獲成功。その時負ったこの頬の傷は勲章のようなものだ。

 俺がふふんと胸を張ると、デックは顔を引き攣らせて困惑しているようだった。

 すると、一人の男が背後に立ち「ヒューバート」と俺の名前を呼ぶ。


「エスター編集長」


 休憩中だろうか、俺たちの直属の上司であるエスター編集長がコーヒーカップ片手に会話へと加わった。


 アルマーニのスーツを着こなした細身の長身に、黒ぶち眼鏡をくいっと上げる様子は彼の無精ひげですら洒落て魅せる。これだけを聞くと、いかにもできる男という雰囲気だが、フレンドリーで俺たちも慕っている編集部のリーダーだ。


「おまえ、少し前にギャングの麻薬取引の現場に突入したよな」

「あんなの朝飯前ですよ」

「その前は暴走タクシーの後を追ってカーチェイスでしたっけ」

「二百キロは出ていたかな。絶叫マシーンいける口でよかった」

「この間なんか巨大竜巻が発生してその現場へ行ったとか」

「あれは正直死ぬかと思いました」


 と、まあこの通り、俺の取材はどれも命がけのものばかり。それを不審に思ったのか、デックが恐る恐る手を挙げた。


「あのお……一応確認なんですけど、先輩は新聞記者ですよね?」

「当たり前だろ? 取材してるんだから」

「じゃあ、どうして先輩だけこんな危険な取材をしているんですか?」


 核心を突くような質問に、コーヒーを啜っていたエスター編集長の口角が悪戯っぽくにいっと上がった。


「あー。それ聞く? 聞いちゃう?」

「え、聞いたらまずい事でしたか?」


 デックは地雷を踏んでしまったのではないかとたじろいでおそるおそる俺に目を向ける。

 深刻そうな彼に対して、俺はくすりと息を漏らすように笑った。


「いや、別にいいよ。そうだな……俺ってさ、おまえらみたいに頭良くないんだよ」

「それは分かっています」

「おい」


 そこは「そんなことないですよ」の一言くらい言って欲しかった。


「まあ、恥ずかしい話、この会社に見合う学歴も職歴もなくてさ。でも夢があった」

「顔が良いからモデルとか?」

「なんでそうなるんだ。……高いところから見下ろしてよく言うよ」


 十センチ以上頭上から考察された俺の夢は身長制限に引っかかってしまうものだ。


「そうじゃなくて……新聞記者が夢だったんだよ。俺はどうしても記者になりたかった」

「それで、うちに押し掛けて来たんだよな。あれからもう二年か……」

「三年です」

「どっちでもいいだろ? 当然、門前払いだろうと思っていたけどな。おまえは言った『記者になるためならなんでもします』と」

「よく覚えてますね」

「忘れるもんかよ。あんなに必死に頼み込んできた奴、うちで初めてだよ」


 たしかに、今どき『なんでもする』なんて、ある意味無責任な事を口にする者は少ないのかもしれない。


「まさか……それで本当に何でもしているって事ですか?」


 デックが確認する。俺は「そうだよ」と呆気からんと肯定した。


「俺は学がないかもしれないけど、身体能力には自信があるからな」

「あと、しぶとい生命力もな」


 編集長が余計な一言を付け加えたそのとき、デスクの向こうから「おーい」とやまびこのような呼び声がした。


「エスターちょっと来てくれ」


 編集部の社員だ。編集長に用があるらしい。

 当の彼は「はーい、今いくよ」といい、手をハンカチのようにひらひらとさせる。


「さて、おしゃべりも程々にして仕事するか」


 エスター編集長は珈琲の香りと共に俺達の元を立ち去り、編集部のデスクへと足を運んだ。


「まさか先輩にそんな過去が……」

「まあな」

「でも、そこまでしてどうして記者に……」

「ん? それはな、俺が十歳の時に――」


 俺が自らの過去を語ろうとしたそのとき、ずもっ、と頭上に大きな影が浮かんだ。


「おい、おまえ達。業務中におしゃべりとはいい度胸だな」

「げ……局長」


 振り向くと、そこには仁王立ちで腕組をした局長が居た。スーツのボタンが今にも飛びそうな腹と絶対にまがい物の髪型――すなわちヅラの容姿から暑苦しさを感じる。


「おまえら、たるんでいるんじゃないか」


「たるんでいるのは局長の体型のほうでしょう?」と言いそうになり、慌てて口を紡ぐ。


 彼は厳しいことでも有名だ。仕事中に雑談していたところなんて見られてしまったからには、これから嫌味まみれのお説教が降りかかるだろう。頭を抱えたくなった。


「特にデック。おまえ最近記事になるようなネタ掴んでいるのか?」


 嫌味の矛先はデックへと向けられた。唐突な指摘に彼はあたふたとしながら、書きかけの新聞記事をデスクから手に取り、局長に差し出した。


「えっと、この間の迷子犬が救出された記事を――」

「そんなぬるいネタは要らない」


 デックが差し出した記事は局長の手によって紙吹雪の如く無惨にも破り捨てられた。


「あっ!」

「局長! いくらなんでもやりすぎでしょ!」


 俺が抗議しても局長は「おまえには関係ない!」と一蹴した。


「いいか。今やメディアはラジオやテレビが台頭する時代になりつつある。それらに勝てる新聞記事を書け!」


 局長は破り捨てた記事を煙草の吸殻に灯る火を消すように踏みにじる。


「民衆が見たい物は人の不幸だったり、復讐劇だったり、もっと刺激的な内容だ! わかったな!」


 酷い。こんな事が許されるのか?

 デックは「……はい」と背中を丸めて俯いた。涙を堪えているのか、声は震えている。


「たく……口を動かさないで、もっと頭を動かしてもらいたいものだ。せっかく高学歴のエリートを採用したと思ったら――」

「局長」


 我慢ならなくて俺は局長の言葉を遮る。局長は鬱陶しそうに顎をしゃくって俺を睨みつけた。


「おまえには関係ないと言っただろ」

「いいえ。デックはまだ新人です。彼の力不足は先輩である俺の責任です」


 明瞭に言い放つ。するとあれ程に饒舌だった局長は口を噤んでこちらを睨みつけた。


「文句を言うなら、俺にお願いします」


 局長を射るように見つめて俺は釘と、とどめを刺す。

 すると彼は鼻を鳴らして「覚えてろ」と悪党のような捨て台詞を吐いてその場を立ち去った。


「先輩……」


 怖い上司はいなくなった。それでもなお、おどおどとした様子でデックは俺を呼ぶ。

 俺は先ほどまでの真剣な表情を緩めて彼の肩を叩いた。


「さっ! 行くぞ」

「え? どこに?」

「取材に決まってるだろ」


 そう言い切ってカメラを手に取り、椅子に掛けていたモッズコートを再び羽織って俺達は街へと繰り出した。

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