第29話 その日の前に -3
宴もたけなわ、盛り上がった父は珍しく職人たちとも話し込んでいたようだ。周りを職人に囲まれて盛り上がっている父を見て、リアは先に帰ることにした。ミネットと抱き合い、礼を言い合う。ミネットは今日はエセルの家に泊まり、明日また語りの仲間のもとに帰るという。芝居小屋があるから、また会える、と思いながらも一瞬の別れも寂しかった。
酒でにじむ脳で、リアは自室のベッドに倒れこむと、ぽかんとしたエセルの顔を思い出した。
あの後も、明確に自分の気持ちは言葉にしなかった。それを二人も許してくれた。ここで話してしまえば、この気持ちが事実として固定されてしまうように思ったから。
彼の特別になりたいと、思ってしまっている自分に気づいていた。
あんなにきれいな人に。あんなに誇り高い人に、と思うと、この恋心が情けなくすらある。
リアも気づき始めていた。あの忙しい彼が、自分とは話をする時間をとってくれていたこと。
それが何を意味するのかと考えれば、まさかと思いつつも期待してしまう。
縞模様の話の始まりは、自分を軽んじていたが、いつしかきちんと仕事仲間として認めてくれた。それがあまりにも嬉しかった。軽口を叩く間柄になってから、こうしてずっと話していられたらと思う日はたくさんあった。
じんじんとする思考で、いつかのお茶の日を思い出す。この始まりとなった彼の縞模様嫌いについて話題が触れたときだ。
*
「別にこのことについて吹聴してるわけじゃないんだが、知っている人もいて。でもだいたい理解されないから、そのままにしているけど」
べろ、とお行儀悪く舌を出す。
「叔父夫婦には、馬鹿な冗談を言うなと言って、小さい頃に全身縞柄の服を贈られたことがあって。怖いんだけど、着たよ。別に死ぬわけじゃないから。それでも嫌だったな」
リアの頭の中で、震える小さなレオがいるようだった。なるべく皮膚に服がつかないように、じっと我慢している彼が、知らないくせに脳裏によぎる。
「誰にでもね、誰かに何かを押し付けることはできない。嫌だったらちゃんと嫌なことを認めてもらわなきゃならないんだけど、なぜか言えない。面倒だからだ。
だから今回のことは、半ば意地だったんだよね。俺にとってはチャバネムシなんだったら、話くらい聞いてくれてもよくないか?」
その意地に君を付き合わせた。
そう続けるレオが珍しく、リアが何と返してくるか伺うような目だったので、リアはふっと吹き出して言った。
「私も昆虫があまり好きではなくて。虫のかたちのブローチを贈られたら、きっと付けないと思います。それで送り主に『付けろ』と言われたら怒ります」
あまりにレオがこちらを真っすぐ見ているので、恥ずかしくなって卑下するようなことを言ってしまった。「いつもズボンで、仕事で走り回っているような女に贈り物をする人なんて全然いないですけど」その言葉にあえて返さないことで、レオは品よくそれを否定した。そうしてリアのことをじっと見た。
「君がしっかりと自分の足で立っていることが、ずっと俺の支えだった。ありがとう、リア」
その後レオはふざけたように「アクセサリーを贈るときは、虫のかたちじゃないものにする」と続けたので、その場は過ぎていったが、リアは今でもその時の言葉を思い返していた。
嬉しかった。自分が自分として大切にしていることを肯定してもらえて。あの暗い倉庫で、怯えずに選択したことを。
思い出すのは彼と過ごしてきた日々。それでも、レオはきっと誰にでも甘い言葉を言っているのだろうと思えば、赤毛の頭をベッドに打ち付けるしかなかった。
庶民の女が、美しい王子様を好きになる。例えるならそんなところだが、なんてありふれた話だろう。
何よりも、彼を困らせたくなかった。もし彼の向けてくれる目が、今ある信頼が崩れたらと思うと怖い。
レオが心底気遣ったように、自分に丁寧に断りの言葉を向けるところを見たくなかった。
でもどうせ、もう会えなくなる。そう思うと喉の奥からうめき声が出た。自分は村で暮らし、レオのことを折に触れ思い出しながら、でも、もう会うことはできない。その日々が想像できるからこそ、リアは受勲式が来るのが楽しみだけれど怖かった。
その日はすでに数日に迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます