第17話 暗い倉庫 -4

「こんな地図じゃ話にならねぇよ」




薄暗い倉庫の中で、長身の男、ロックは机に広げた紙を見ながら鼻を鳴らした。リアは黙りこくって、自分の書いたお粗末な屋敷の地図を見ていた。家の展開図すら見たことはないから、子どもが書いた家の間取りとそう大差ないように思えた。縮尺もなにもかも合っているとは思えず、想像が多分に含まれていて空欄が多い。




赤毛の男も、何も言わなかった。それでもただ、リアがこの場に戻ったことが一つの答えだった。リアはミネットを見捨てて逃げなかった。




リアはかまをかけるような言葉を慎重に選ぶ。




「レオに何の恨みがあるの? あのお屋敷に忍び込んでも、彼が女の人を連れ込んでいるだけな気がするけど」




リアの台詞に、男二人が唾棄するように「フン」と言ったが、赤毛の男は何も言わなかった。めちゃくちゃな地図をまだ黙って見ている。ミネットはこの場に呼ばれていなかった。それがリアを焦らせる。


その苛立ちが、リアを下手な演技に走らせた。




「ねえ。彼を傷つけないでほしい」




そう言えば、リアがレオに惚れていて、遊ばれている導線は保てるだろう。ここはミネットとレオの間で迷う女として、馬鹿に見られてみようと思った。それでも赤毛の大男は、馬鹿にしたような態度も示さなかった。




「レオ・ヴィラージオに直接恨みがあるわけじゃない」




レオから聞いた話と繋がって、どきりとする。それでも態度に出さないように我慢する。




「それでも、あいつも同罪だ」




キン、と耳が鳴るような思いだった。レオは叔父への恨みだと言っていた。彼も何か片棒を担いでいる?


その不安は隠せず目に出たのか、赤毛の男はリアへ視線を移した。




「お前の思うような『罪』じゃない。それでも俺たちにとっては同じなんだ」




そう言った時点で、奥の扉からミネットが出てきた。脇にいた男二人は聞いていなかったのか、その動きに動揺する。それでもミネットは赤毛の男の隣に立った。


彼が地図の一点をその太い指で示す。空白の多い拙い地図だが、一階の奥に書いてあった部分だった。




「このキッチンに繋がる狭い搬入口は、俺たちも屋敷へ行ったときに確かめている。容易に見れる場所じゃないが、客人でも中座すればたどり着けるだろう。ただ、迷ったという言い訳も付きづらい場所だ」




男はリアに目線をやったまま続けた。




「多少のリスクは背負ってきたということだな」




リアがでたらめなものを、危険も踏まずに出していないかという意味だったのだと、やっと気づく。なるほど悪意で繋がりたければ、相手がリスクを積まずにいないかというのは確認するということか。




「レオ・ヴィラージオの罪は、語りを独占しているということだ。もっと身分に囚われず、新しいことに取り組める素地がある芸術だ」




隣に立ったミネットは黙ったままだった。リアの方も見ない。おい、と止めようとする男たちを制するでもないが、男はそのまま言葉を続けた。






「潰されたんだ。俺たちの劇場の計画を」






リアが目を丸くする。劇場、という言葉があまりに生活に接していない身としては、一瞬言われた言葉がわからなかった。男が自嘲するように顔をゆがめる。久々に出した感情らしい動きだった。




「職人さんは、劇場なんてものにここまですることを馬鹿にするか? それでも俺たちにとっては、生活に、生きることに直結することなんだ」




彼は机の傍にあった椅子に乱雑に腰かけた。リアも許されたように、周りにあった小さい椅子に腰をおろす。だんだんと、彼らに抱いていた恐怖がなくなっていくのを感じていた。








「俺たちは新しい『語り』を作りたかったんだ」




太い指で机をとん、と叩いた後、彼は自分を「アル」と名乗り、語り始めた。リアは工場でもよく見る、技術者の傷ついた太い指だと思った。




現在、語りの劇場はほぼ首都にしかない。近くの大きい街や、大学のあるような地方には移動劇場として語り部たちがやってくる。軍の慰問と同じようなやり方で、これもヴィラージオ家を筆頭とした語りの家が取り仕切っている。




街にとっては、何年かに一度の語りの訪れは、ある人間にとっては夢のような日だ。


高額なチケットもいらない、首都まで行かなくてもいい。見世物小屋とは違う体験に、目を輝かせ夢を見る人間はいる。


それでも、実際は首都まで出てこられる人間は少なく、また出てこられてもほぼ門戸は開かれていない。弟子にしてもらっても、主役を張るような役には出られない。




そうしても、光に惹かれるのは人間だ。見よう見まねで、語りの技術を求め旅をして、少しずつ技術を集めてきた者たちはいた。




「それでも見世物っていうのは、誰かに見てもらわなきゃ意味がねえんだ」




だから彼は、小さな移動劇場として、街を巡って日銭を稼いでいた。人に見てもらえるように、語りの技術や、踊りの特化なども調整をした。




「そうしていくうちに、人の受けもあって、現代劇をやる派閥が出てきたんだ。それが俺たちだった」




『語り』は伝統的に神話を語るが、それほど前ではない戦争のことなど、派生した作品を着く出してやるようになった。伝統とは違う軽い語り口もあり、賛否はあったが人気も出てきて、巡業と呼べるようになってきた。




「小さいが新聞なんかにも載り始めた。知らないだろう?」




実際に知らなかったので、リアは口をつぐむしかなかったが、男はそれを責めるような態度はとらなかった。リアはあの日震えた、レオの舞台を思い出していた。




「そうして、ようやく、拠点を作ろうと思えるまでになった。首都からそう遠くないが、規模は小さい。そもそも劇場を新しく作るなんてとんでもないことだ。芝居小屋がいいところだな。それでも、この活動が続いてきた資金をつぎ込んで、また大きな借金もした。とうてい稼げるとは思っていなかったが、俺たちの夢だった」




劇場を作ったことのある業者など、この国には数えられないほど少ないところしかない。どうにか話を取り付けて、彼らにも熱量をもってもらって、取り掛かり始めた。半分くらいを過ぎたときか。




「急に工事はできないと言うんだ」




それでも、業者も苦しそうで、詰め寄りきれなかった。もらった金は返すと言われても、彼らに使っている金だけじゃない。投資がすべて返ってくるわけじゃないから、引き返せない。そうして劇場がつくれる者たちはあと少ししかいない。問合せても、返事も返ってこなかった。




「俺たちは混乱した。嫌な予感がしたが、信じられなかった。小さな小屋だ」




最初の業者を泣き落として、何とか教えてもらった。嫌な予感は的中した、ヴィラージオ家のものだというんだ。屋号をたたまなきゃいけない、言えない、という相手になんとかなんとか名前まで開示してもらった。相手はペル・ヴィラージオ。ヴィラージオ家の直系で、今は劇場は引退しているが、その息子はレオと共に舞台に立っている。




「それがあの坊ちゃんの叔父さんってわけだ」




直接叔父本人に乗り込んでいったって、なんの意味もない。俺たちは野良だ。証拠もない。だからあいつらに何か動いてもらうか、そうでなければ家の奴らから証拠、そんなものがもしあるのなら、もらうしかない。




「あいつらに潰されたのに、あいつらに協力してもらうしかないってことだ」




新聞社に言ったって、対した話題にはならない。今後一切レオ・ヴィラージオの写真は撮らせないと言われたら、俺たちに協力する新聞なんてないだろう。




「まさかとは思ったがね。新興が許せないんだろう」




語りの技術を独占したいんだ。リアの耳がわんわんと鳴るようだった。いわれのない仕事を押し付けられて、工場を去ったミネットの方が見れない。




その内情までを理解したのかわからないが、アルの態度はだいぶほどけてきていた。




「ミネットはお前たちのところを出た後、この劇団に参加したんだそうだ。衣装や道具をつくるのかとびきり上手い」




親指で背後にいる彼ら、仲間のことを指す。




「俺も後で入った口だ。それまでもデカい物を作っていたが、街で見た語りに将来を感じた。劇場のことも多少は知っていたから、それからはのめりこんだ」




首都にいたことがあるのだとアルは続けた。神話に魅了され、芸術家を目指した。そこでもちろん語りの舞台も何度も観に行った。アルは何の感情も乗せず、淡々と事実として続けた。




「あの広場の彫刻の中、二つが俺の作品だよ」


「他に複数の作品が設置されている奴はいないんだ」




たまらずと言ったように、これまで黙っていた長身の男が口をはさんだ。アルは何も言わなかったが、彼らがアルを尊敬し、リーダーとしているのだろうことが伝わってくる。




「あと少しだけ猶予はあるが、もう間に合わない。資金が完全に底をついて、多少できている小屋を取り壊さなきゃならない。そうしたらこの動きがあった跡は一切なくなってしまう。ここには俺たちくらいしかいないが、皆日雇いで少しでもその期間を伸ばそうとしている。


そして、どれだけのことかもきっとわからない。興味がないだろうからね。でもそこから未来は潰されていく」




目の前の男はまた顔を歪めた。先ほどの自嘲の表情だった。




「無理な話だと思うだろう? 今時点でほぼ味方はいないんだ」




でもこのまま終わらせられない、と男は言った。泥の中で足踏みをしているだけだよ。




「未来はないよ。せめて知ってほしいんだ。そして背負うなら、あの坊ちゃんにやってほしい。それだけだ」

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