第15話 暗い倉庫 -2
引きずられるように連れていかれた先は、やはり港の近くだった。薄暗い倉庫のようなところに向かい、まずいとは思うがもう逃げることもできない。願うように思うのは、ミネットのことばかりだった。
やはりあれは彼女だったのだ、と思うとこの愚行に後悔を抱くこともできない。ただ、先ほどのような興奮でこめかみが痛むような思いは落ち着いてきていて、かえって何重もの恐ろしさで、手がひどく冷たかった。
一つはこの薄暗さにどうしても暴力を起草してしまうこと。そうして二つ目は、ミネットに拒絶されること。
それでも今は、このチャンスを逃すことの恐ろしさの方が勝っていた。
「ここで待て」
特に施錠もされていないが大きく重そうな引き戸をずらすと、暗い部屋には乱雑に木箱や布が積まれていた。そこまで広くもなく、奥には一つまた灰色の扉がある。かび臭い埃臭い匂いが漂って、潮風も届かない。天井には部屋全体を照らす灯りがありはしたが、いくつかしか灯がともされていない。
待てと言われても椅子があるわけでもない。男は奥のもう一つの扉へ向かったが、リアは自分の片腕をぎゅっと抱いて立っているしかなかった。
ぎ、と開いて出てきたのは、待ったミネットではなく、リアのこめかみがキリキリと痛み始める。やはりこれは失敗だったのではないか。そうすると自分はどうやって逃げたらいいのか。
出てきたのが大柄なひげ面の男だったことも恐怖に拍車をかけた。大きな前掛けのようなものをかけているが、何にその服装が必要になるのか。自分に近いがそれよりも少し暗い赤毛は髭も同じで、もみあげから顎の下までぐるりと長めに生えていた。目つきは悪くなく、かえってつぶらなほど。それでもリアと並べばその体格差は歴然だった。
「なぜミネットのことを知ってる」
呼んできた男とこの大男の三人で会話が続く。どこまで話すか慎重にしなければ、と思いながら、少し話の矛先をそらす。
「この前店に行った時、見たんです。だから、今日もいるかと思っただけ」
あくまで知り合いと会いたいのに、なぜこんなことに、と思っているようなニュアンスをもたせる。心の中は警戒心でいっぱいだが、自分が色々と考えていることを態度に出すこともなかった。ただ、今必要なのは、怯えるただの女だ。
ミネットと知り合いということか、と大男はあえてだろうが続けなかった。じっと見下ろされて大変居心地が悪い。ぎゅうと縋るように、レオから贈られた服を掴んでいることにリアは気づいた。
薄い扉ではないので、偶然でしかないだろうが、奥の扉が開いてこちらを確認しにきた男は、以前ミネットと会ったときの店員に思えた。向こうも同じだったのか、薄い目でじろじろとこちらを見る。あの時の服装でもないからはっきりとは思わなかったろうが、赤毛を特に見ていた。扉の奥でだいたいの話は、大男と同じタイミングで聞いたのだろう。仲間二人に目配せされると、彼は答えを出すように頷いた。
「あァ来たなこの赤毛」
客と店員の心温まるやり取り、ではなかったので、男の顔が嫌なように歪んだところで、突進をするように背中を押されて扉から押し出されてきた。その背中を押したのは、リアに近いがより明るい、オレンジの髪の女性だった。
「リア!?」
待ってろと言っただろ、と大男が低い声で言うのが自分にも届いたが、目の前の人が自分の名前を呼んだことですべてがいっぱいになって、リアは一歩目が出せなかった。ミネットだ。疑いは確信になって、喉がひとつ詰まる。ミネットが生きて立っているということが信じられなかった。そうして自分がミネットだと確かにわかることも。
自分の表情が今どんなものなのかはわからない。でも、ミネットの顔も確認する前に、彼女がこちらの肩を両手で掴んだ。そうしてぎゅうと抱きしめられたとき、その変わらない身長と、拒絶されなかった身体の熱を理解して、さすがに鼻がつんと痛んだ。こちらも強く抱き返す。すっかり匂いなど変わっているはずなのに、抱きしめられて彼女の匂いを覚えているような気がした。
ミネットもきっと同じなのだろう。こちらをリアだとはっきり理解して、身体を離すと「ごめんね……」とぐしゃぐしゃの顔で言った。彼女の中に、これまで持っていた言葉なのだろうと思った。それに比べたら自分は子どもだ。全然言葉が出てこない。ただ黙って首を横に振った。涙が少し出ていたが、これ以上流すのを何とか止められていたのは、心の半分をまだ恐怖が占めていたからだった。
向かい合う二人を止めることはなく、それでも祝福もせずに見ていた男たちの前で何を聞けばいいのか。そう思いながらも、リアはミネットに尋ねるしかなかった。
「ミネット……ここは……」
何なのか。今は何をしているのか。その言葉はさすがに続けられず、ミネットも下を向く。そうして大男の方を見ると、そちらに向かって言葉を続けた。
「ねぇ、この子は帰して」
やはり返されない可能性があるのかと思えば、収まった動悸がまたやってきた。どきどきと胸打つ中、一人の味方がいることさえもかえって恐怖を増幅させる。ただ、その言葉にすぐに返せない男たちの表情を見るに、そこまでの悪党とも思えなかったが、安心するに至るほどではない。
暗い赤毛の大男は、むっつりと黙ったままで、リアにではなくミネットに言った。
「悪いが帰せない」
言葉がぎゅうと胸に刺さる。ミネットが困ったように口をつぐむが、リアは冷静になり始めていた。帰さないとはどういう意味か。もし危害を加えられるなら、こちらも逃げることを考えなくてはならない。
「違う、昔働いていた工場の子なの。その知り合いなだけ」そうミネットが続けるが、その間柄にそれほど興味はないようだった。大男はその無表情のまま、リアの方を見る。
「君がレオ・ヴィラージオに会っているということを知っているんだ」
その台詞に、場の全員が固まったように思えた。それでも一番驚いているのはリアだった。今、なぜ、レオの名前が出てくるのか。
考えても今、なぜレオの名前が出てくるのかわからなかった。それでも、胸を突き抜けるように思い起こされたのは、レオの「治安が悪い」という言葉。
「脅迫状が届く」。そしてこの剣呑な会話を、結びつけない方が難しかった。
男二人と、ミネットはすっかり何も話せなくなってしまった。彼女たちも大男が話すことをじっと聞いている。
彼は一人の仲間の男を見て、はっきりと言った。
「この馬鹿が素直にここへ連れてきてしまったから、君を帰すことはできない。ここに来ていなければまだ違ったろうが」
「だっておかしいだろ。急に来てミネットがいるかなんて」
そのまま帰したもんか迷ったんだよ。そう口を尖らせる男は、仲間に意見を聞きたかったようだ。
自分のやり方もまずかったようだ、とリアは思った。素直にミネットがあの場所まで現れるのを待って、彼女と直接会えばこんな面倒なことにはならなかった。彼らとしては、レオ・ヴィラージオの屋敷に出入りをしている人間に、この薄暗い倉庫を見られたのがどうもまずいということらしい。
「屋敷に出入りしているところを見ている」
そう言われたときに、なぜそんなことをしている、とは流石に問えなかった。
リアは焦ったように言葉を次ぐ。
「仕事で行っているだけです。別にレオ・ヴィラージオに関わりがあるわけじゃない」
関わりは浅いと告げたかったが、大男はゆっくりと首を振った。
「その服は簡素だが設えがいいようだ。こづかいはたいて買ったのか?」
言葉は、言外に男に贈ってもらったものかと問うていた。服を買っていたところを見られたのかはわからないが、もしそうならレオと私的にも話す関係だとわかられている。あの屋敷に他にも妙齢の男がいるのかは知らないが、それは稀代の女好きが一人いるのだ、そいつのやり方だと思った方が自然である。
思われているような仲ではないが、と思いながら口をつぐむ。見せられたのはレオとの関係うんぬんよりも、この男の頭の良さだ。直接は告げずにこちらに話してくる。
「ここに来て、ミネットに会って、はいありがとうございましたと帰るか? 君は現にミネットに聞いただろう。ここは何だと」
そりゃあ聞くだろう、と思いつつも、男が言いたいことは分かり始めていた。ここか「何」かの道筋は、レオに繋がるのだ。
先ほどの男が、ミネットなどいないと言えばよかった。リアが馬鹿正直に、ミネットの所在など聞かなければよかった。それでもこのピースが揃ってしまった以上、男は何らかの判断をしたようだった。
ミネットが「でも」と続けるのがわかった。リアをここに連れてきた男も、ばつが悪そうな顔をしている。帰さないと言っても酷いことをされるわけではなさそうだ、とリアは思い始めていた。そうして、思い切って相手に告げる。
「この後、彼と約束があるんです。私が行かなければそれこそ足跡を辿られる」
勝負の言葉だったが、場の空気を悪くはしなかったようだ。大男も声を荒げたりはせず、こちらを見ていた。賢い人のようだから、こちらが言わんとしたことはわかるのだろう。それでもリアは続けた。
「広場からここまで来ました。人目だってゼロというわけじゃない。そして彼もこの服のことは知っています」
別に着てくると言ったわけではないが、こちらの仲を勘違いしている彼らなら、リアがレオに「贈られた服を着てくる」と約束したかと思っても不自然ではない。そうしたら、もし現れないリアをレオが捜索するときには、「赤毛の女性」というだけではなく、「赤毛の緑のワンピースを着ている女性」となるわけだ。探し人をするにはヒントが多ければ多いほどいい。
やはり彼らにとって、この場所が明るみに出ることの方が困るようだ。
リアをここに連れてきた男は、もうすでに口をへの字になるほどひん曲げていた。言葉には出さないが、彼が一番自体をややこしくしたのだという空気も流れている。
レオが本当にリアを探すかなどリアにだって確証はないが、彼らは二人の関係性を知っているわけではない。恋愛関係にあるのなら、現れない女を捜索したっておかしくはなかった。
ミネットも表立って賛成はしないが、リアを助けるように頷き、大男をじっと見ている。その視線も受けて、彼は頷いた。
「そうだな」
リアとミネットの目が開く。大仰に喜ぶわけにはいかないが、ここに閉じ込められるのも困る。告げられるのは「ここのことは口外するな」という言葉かと思ったが、リアはまだ彼らとレオが何の関係にあるのか、皆目見当もついていない。
その中で、彼は言葉を続けた。
「そうなれば、悪いが、君にも共犯になってもらうしかない」
言われたことばの意味合いがわからず、リアがぐっと黙る。それでも他の三人は、リアよりは意味合いを理解しているようでぐっと黙った。
「言葉での約束よりも、悪意と悪意の繋がりの方が強い。屋敷の地図を作ってきてもらう」
またこの場所まで届けに来るんだ。そうでなければ、悪いが、ミネットにはもう会えない。
まだ彼女と再開して、言葉も満足に交わしていなかった。彼らが彼女に暴力を働くとも思えないが、彼女を人質にとるような言葉に、二の次が出ない。ミネットも困ったような態度だったが、男の言葉を否定することもできなかった。板挟みというほかない。
「あのお屋敷の? どうして」
理由が返ってくるとは思えなかったが、聞かずにもいられなかった。案の定男は一言だけ返した。
「言えない。続きは地図を持ってきたら話そう」
「待って。そこまでにする。リアは巻き込まない」
だから詳細は話さない、とミネットは続けた。大男は頷きも否定もしなかった。
意味が分からないながらも、リアは彼のことを見た。低い声で言葉を返す。
「あの家が何をしてきたかも知らないだろう、お嬢さん」
またここでもお嬢さんだ。
馬鹿にしたニュアンスに歯噛みしながらも、リアは頷くしかなかった。
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