第三章 ~『新しい弟』~


 二年が経過し、十歳になったリグゼは、さらに背が伸び、愛らしい顔に凛々しさも混じり始めていた。


 そんな彼も、今日ばかりは上機嫌を隠せそうにない。回廊を進む足取りは軽く、鼻歌まで奏でるほどだ。


(とうとう新型のスクロールが完成した。どれほど待ちわびたことか!)


 スクロールは魔術を保存しておけるが、込められる魔力には限界があった。魔力上限を増やしたスクロールの開発を進めていたのだが、それがとうとう完成したのである。


 回廊の先の扉を開く。待っていたのは。研究に明け暮れる魔術師たちの姿だ。ガラス瓶や書物を片手に、仲間たちと喧々諤々の議論を重ねている。


(これだけの人材を揃えられたのは、エルド領の力が増したおかげだな)


 スクロールビジネスのおかげで、エルド領は、数ある男爵領の中でも頭一つ抜きんでた存在となった。


 有望な家には優秀な人材が集まる。莫大な報酬と権威ある地位を目当てに、国中の魔術師たちが殺到したのである。


「お兄様♪」


 リグゼを見つけたアリアが駆け寄ってくる。二年の月日のおかげで彼女もまた背が伸び、愛らしい顔に磨きがかかっていた。もっともそれもすべて銀髪のせいで台無しになっていたのだが。


「早速、新型のスクロールを見せてくれ」

「ふふ、既に用意してありますよ♪」


 巻物のように巻かれた紙をアリアから受け取る。触れただけで感じ取れるほどの魔力に溢れていた。


「これほどの魔術を保存できるのなら、きっと人気商品になるな」

「お兄様に喜んでもらえたなら頑張った甲斐がありました♪」


 新型スクロールの研究には、アリアの尽力が大きかった。書物を読み漁り、夜通し勉学に明け暮れたからこそ、成果が出たのだ。


(アリアの成長が楽しみだな……)


 彼女が独り立ちしていくことに、嬉しさと共に寂しさも覚える。あと数年もすれば、彼女はリグゼの力を遥かに上回った存在となるだろう。


「おおっ、リグゼ! ここにいたのか⁉」

「グノム、どうしてここに……」


 扉を開けてやってきたのは父親のグノムだ。上機嫌に手をヒラヒラと振っている。


「子供の顔を見にくるのに理由なんてない。そうだろ?」

「本当にそれだけなら歓迎してやるが……絶対に裏があるだろ?」


 グノムは多忙を極める公爵だ。その彼がわざわざエルド領にまで顔を出したのである。別の目的があると邪推するのは当然だった。


「それにしても、エルド領は随分と発展したのだな。正直驚いたぞ」

「優秀な部下たちのおかげだな」

「ははは、私の貸したコンキスタは役に立ったか?」

「最高のプレゼントだったよ」

「それは何よりだ。そこで本題だ。エルド領は財を手に入れたが、だからこそ貧する者を救うべきだとは思わないか?」

「まさかとは思うが金の無心か?」

「助けを借りたいのは私ではない――彼らだ」


 グノムが合図をすると、一見して貴族と分かる身なりの男たちが、ぞろぞろと顔を出す。その内の一人――茶髪の子犬のように愛らしい少年と目が合う。


「紹介しよう。この人たちはタリー男爵家の関係者で、そこにいる少年が嫡男のレンくんだ」

「お久しぶりです、リグゼ様」

「久しぶり?」

「二年ほど前、街でリンゴ飴をご馳走になりました」

「あぁ……そういや、そんなこともあったな……」


 些細な出来事だったため、記憶は曖昧だが、少年と出会ったことだけは覚えていた。


「それで、そのタリー家の嫡男が俺にどんな助けを求めている?」

「うむ。実はな、リグゼやアリアの弟にしようと思ってな」

「なぜそうなる⁉」

「それについてはレンの叔父――ルーザーが説明してくれる」


 名を呼ばれて反応したのは、口髭を蓄えた男だ。背筋をピンと伸ばし、自信を滲ませた傲慢な顔は典型的な貴族そのものだ。


「ご紹介にあずかりました。ルーザーと申します。現在はタリー男爵家の領主代行を務めております」

「代行?」

「本来はレンが領主を継ぐべきなのですが、まだ若いので、私が代理を請け負っているのです」


 仕方なくだとルーザーは語るが、浮かんだ傲慢さがそれを否定していた。とはいえ、権力に固執する貴族は珍しくもない。


「まず我が領地の現状を……」

「治安が悪いんだよな?」

「お恥ずかしい話で、盗賊が暴れているのです。我が領地の討伐隊も壊滅し、手の付けられない有様でして……」

「なら国王に助けを求めればいい。すぐに王都から討伐隊を派遣してくれる」

「それは……やはり貴族としての面子がありますので……」

「くだらない話だな」


 恥さえ我慢すれば解決する問題だが、貴族はプライドが高い。盗賊を討伐できないと認めれば、貴族たちの間で笑い者になるため、それが絶えられないのだ。


「ですが、この問題も解決の糸口があるのです……私の兄であり、レンの父親でもある前領主タリー・ランパート。行方不明の彼さえ見つかればすべて解決します」

「それほど頼れる男なのか?」

「領主であると同時に領内最強の武術家でしたから……ですが彼が戻ってくるまで、頼れる者がおらず、領地に帰ることもできない。しかしレンには次期領主としての教育が必要です」

「それでグノムの養子になりたいということか」


 貴族が一人前になるには、社交術や算術、教養などを学ばなければならない。だが教育には金がかかる。領地が荒れて、金のないルーザーの出した答えが、裕福な公爵家に養子として預けることだった。


「話は分かった。だが弟にするだけなら俺の許可はいらないはずだ。グノムは俺に何を求めている?」


 養子にしたことを知らせるだけなら手紙でいいし、わざわざ顔を出してまで頼みにくる理由がない。


「タリー家の面倒だがな、エルド領で見てやって欲しいのだ」

「断る。父親の貧乏くじを引き受けてやるほど、俺はお人好しじゃない」

「そう言うな。人の育成は情緒教育にもなる」

「父親面されても騙されないぞ」

「何を言う。私は正真正銘、リグゼの父親だ」

「息子を辺境の領地に送ったくせに……」

「うぐっ……そこを突かれると辛いな……だがこの話は断れないのだ。なにせアーノルド王子からも頼まれているからな」

「あいつからの頼み事だと……」


 陰謀でもあるのかと訝しむが、グノムが事情を知るはずもない。


(まぁ、悪い子ではなさそうだからな……)


 《鑑定》の魔術は人の心を知ることにも利用できる。レンの心根を調べてみると、子供にありがちな清らかさと、臆病さが交じり合っていた。典型的な善人の反応だ。


 一方、ルーザーも念のため《鑑定》してみるが、傲慢さと利己心でドス黒く染まっていた。傲慢な貴族にありがちな反応だが、リグゼの嫌いなタイプの人間だった。


(叔父の方は信頼できないな)


 《鑑定》の結果はあくまで人間性を知れるだけ。もしアーノルドと手を組み、悪事に手を染めていたとしても見抜くことはできない。だが友好を深めるべき相手かどうかの判断には十分役に立つ。


「今までエルド領とタリー領は交友がなかったはずだ。だからこそ、これは二つの領地が親密になるチャンスでもある。この話を受け入れてはくれないか?」

「それは――」

「嫌です!」


 リグゼが答える前に口を挟んだのはアリアだった。ぷくっと頬を膨らませて、不満を口にする。


「私の兄妹はお兄様だけです。別の家の子なんていりません」

「アリア……」

「失礼します!」


 アリアはそれだけ言い放つと、その場を離れる。残されたリグゼは、困り顔を浮かべながら、頬を掻く。


「まぁ、いますぐ決める話でもない。まずは客人には休んでもらおう。グノムは物置でいいよな?」

「父親を虐めるのは止めろ!」

「ははは、冗談だ」

「眼が笑ってないぞ……」


 客人の案内を使用人たちに頼み、リグゼはアリアを追いかける。妹のため屋敷を駆けまわる彼は、妹に甘いなと自らの行動を自嘲するのだった。

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