変異者(ミュータント)

 町の中心にある噴水の周りには酒場が軒を並べている。その内の1つ『竜牙亭りゅうげてい』はシーカーに情報を提供するために設けられた特別な店である。店主はサブクエストと呼ばれる御用聞き情報をいくつも抱えている。


「お待たせ、リンネ」

 リンネはカウンター席に腰掛け、頬杖を付いて店主の様子を目で追っていたが、フラップの声でくるりと向き直った。その途端、膨れっ面になる。

「フラップ、おっそいよ」

 本来ならば子供が立ち寄るような店ではないが、リンネがこの店に入り浸っていることは町で知らない者はいない。確かに彼女の好奇心を満たすには、これ以上ないほど打ってつけの場所だろう。

「悪かった。ちょっと仕事が立て込んでてね」フラップは後ろ頭を掻いた。

「それでね、計画っていうのは――」

「ちょ、ちょっと待て。喉がカラカラなんだ」

 フラップは店主にエール酒を注文した。しばらくして運ばれてきたジョッキを煽る。

「プハァ、生き返る」

「また、食事もせずにずっと釣りしてたんでしょ?」

「まぁ、そんなとこだ」

「シーカーの癖に怠け者なんだから」

 当然のことだが、NPCにはデバッカーの存在は伏せられているので、リンネはフラップがシーカーだと認識している。


「さて計画の話だが――」

 リンネは待ってましたとばかりに足元に置いてあった大きな皮袋をカウンターの上にドスンと置いた。

「8000ミスルある。これ全部フラップにあげる。だからね――」

「ちょ、ちょっと待て、こんな大金どうやって……」

「凄いでしょ?」リンネは自慢げに鼻をこすった。

「んっ?」フラップが首を捻ねる。「よく考えたらお前が魔法の鍵を持っているのもおかしいよな?……まさか、俺にまだ言ってないとやらがあるのか?」

「うんっ」リンネがいたずらっぽく笑みを浮かべた。


 フラップが密かに抱いていた疑いは確信へと変わった。リンネは『変異者ミュータント』に違いない。グラン・トピアでは、NPC本来の役割から逸脱する行動が目立つ個体をミュータントと呼んでいる。ここ最近、リンネのようなミュータントが急増していることが問題になっていた。これまでNPCの思考レベルはかなり抑えられていたが、没入感への期待がエスカレートしている昨今では、プレイヤーと区別がつかないほどの思考レベルが求められている。そこで試験的に高度な思考レベルのAIをNPCに実装したが、これが原因でミュータントが急増する事態となった。


「私ね、この町を抜け出したいの……そして、世界中の綻びを見つけ出したい。」

 しかし、十戒によってリンネの行動範囲は自治区のウーノス、アルケーの森、チチェン川の上流に限られている。つまり、リンネが旅に出ることは不可能なはずであった。

「まさか、魔法の鍵を持ったまま自治区外に出たのか?」フラップは神妙な面持ちで訊ねた。

リンネが頷く。「でも、いつもはおとなしいフレアウルフとかレインバードに襲われちゃって……だからフラップについて来て欲しいなって」

 魔獣はシーカーに経験値を与えるために生み出された存在なので、本来ならNPCに敵意を持つことは決してない。これで魔法の鍵を持ったリンネがシーカーと誤認識されているとフラップは確信した。

 フラップはリンネと旅をすることで大きなメリットがあることは分かっていた。リンネが行く先々で不具合を見つけ出す度に、特別ボーナスが入る可能性があるからだ。しかし、もっと心を揺さぶったのは、フラップが抱いているにリンネが深く関わっているように思えてならなかったからだ。


 フラップは暫く考え込んでから、意を決したように口を開いた。

「リンネ、出発はいつがいいんだ?」

「一緒に行ってくれるの?」リンネは目を輝かせてフラップに詰め寄る。

「あぁ。そろそろ釣りにも飽きてきたし、いい退屈しのぎになりそうだと思ってな」

「やったー」リンネはフラップに抱き着いた。


 リンネの声が竜牙亭に響き渡ったちょうどその時、入口の扉から1人の女が入ってきた。透き通るような白い肌、交じりっ気のない輝く銀髪、薄紫のプレートメイルからスラっと伸びる手足。大きく切れ長な目と宝石のように光る蒼い瞳。そして、鼻筋の通った美しい顔の左右からツンと伸びた長い耳。不老不死と言われている種族『エルフ』である。

 エルフは、知る人ぞ知る『時空転生』という超高難度の裏クエストを突破した者だけが生まれ変われることを許された、プレイヤー限定の種族である。

「フラップ、あの人誰?」リンネが訊ねる。

「エレオニールか、厄介だな」

 フラップはエルフに視線を向けたままエール酒を勢いよく飲み干した。

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