ボーイズ・ベッファルド

古森きり@『不遇王子が冷酷復讐者』配信中

第1話 沈黙


「ただいまー」


 と、いつもと変わらない時間に帰宅した。

 どうせこの時間は母もパートでいない。

 靴をポイポイと玄関に投げ、ダイニングの扉を開けた。

 その瞬間、異様な——そう、本当に言い知れぬ感覚が背筋を駆け抜ける。

“それ”が虫の知らせというものなのかもしれないが、全身から冷たい汗が吹き出す。

 鼓動がばくばくと鳴り響き、幼い胸は張り裂けそう。

 一呼吸。それから、生唾を飲み込む。

 ダイニングの隣は寝室として使っている和室だ。

 襖に手をかける。

 どうか、と祈るような気持ちになった。

 どうしてそんな気持ちになるのか、さっぱりわからない。

 でも、祈らずにはいられなかった。

 なにを、誰に祈っているのか。

 自分でもわからない。

 ただ——どうか——と、祈りながら襖を開ける。


 ——どうか、この予感がただの杞憂でありますように。


 ぷらん、と天井から首を吊った母の姿を見た時に、自分がなにを祈っていたのかを理解した。

 その祈りは届かなかった、ということも。


「……なんで…………」





 ***




「早いもんだなぁ」


 と、祖父が飼い犬の頭を撫でながら制服姿の孫を見上げる。

 があって八年。

 祖父に引き取られ、ついに高校に受かった。今日から高校生だ。

 とはいえ、唯一の誤算は受験学科を間違えたことだろうか。

 途中で気づけばよかったのだが、バイト先の先輩に誘導されるまま記入したのが運の尽き。

 普通科を受験したつもりが、合格通知には堂々『芸能科』と記載があった。

 深々と「ハァーーー」という溜息を吐いてから、襖を開ける。


「昼飯は冷蔵庫に作ってあるから、好きなやつあっためて食べて。あ、マヨには人間の食べ物あげないでよね」

「わかっとるわ。気ぃつけて行ってこいよ」

「うん。マヨも行ってきます。じいちゃんのことよろしくな」

「ワン!」


 ブルテリアのマヨ。

 闘犬として有名な犬だが、飼いきれなくなった何者かにコンビニのリードポールに繋がれたまま放置されていたのを引き取った。

 どうせ朝夕とランニングするので、散歩は難しくない。

 祖父が最初にマヨネーズをあげてしまい、気に入ったのを見て名づけたが——犬にマヨネーズ、よくない。二度とあげないでほしい。


(桜の木……蕾だいぶ大きくなってる)


 入学式だというのに憂鬱だ。

 また深く溜息が出てしまう。

 バイトを始めた時に厳しくも優しく……いや、やっぱり九割厳しく接してくれた先輩の言う通りにさえしなければ、今頃普通科の制服を着ていたのに。


「え、見て、芸能科の制服」

「校舎違うけど登下校の道は一緒なんだね」

「えー、誰だろ。名前知ってる?」

「わかんない。アイドル志望かな? カッコいいね〜」

「声かけちゃう?」

「やめなよー」


 また、深く溜息が出る。

 勘弁してほしい。


「あ、あの子も芸能科の制服だ!」

「あの子は知ってる! テレビで見たことあるよね」

「でも最近見かけないよね。名前なんだっけ〜」


 普通科の女生徒たちの声に釣られて、少し斜め後ろを振り返る。

 黒い髪に紺の輝きが差す、いかにも日本人らしい顔立ち——しかし非常に整っている——の少年が、サクサク歩いてきた。

 目が合うと、にこりと微笑み会釈される。

 それだけならよかったが、同じ制服なことが災いしたのか、近づいてきた。


「私は鶴城つるぎ一晴いっせいと申します。役者です。あなたは?」

「……神野こうの栄治えいじ。モデル」

「ほーーー!」


 謎のキラキラとした瞳。

 早速変なやつに絡まれてしまった。


「モデルって言ってもバイトだからプロじゃないよ……」

「そうなのですか? ですが同じ制服ですよね?」

「先輩に騙されて来たの。適当にやり過ごして卒業するつもりだから、俺に絡んでもいいことないよ」

「そう、なのですか? ですが、せっかくなのですから友達になりましょう」

「いやいやいや」


 話聞いていただろうかこの俳優。

 俳優、というか栄治もテレビで見たことがある。

 彼は子役だ。

 時代劇によく出ていたのを、祖父と一緒に観ていた。

 それでどことなく古めかしい雰囲気なのだろう。

 だから友達になるのが嫌、というわけではなく、理由は今正直に言ったばかりだ。

 やる気がない。これに尽きる。

 そもそも栄治は普通科を受験したつもりだったし、普通科に通いながら読者モデルの仕事を続けるつもりだった。

 芸能科なんてガチ勢が行くところではないか。

 しかも、栄治を嵌めた先輩が今年三年生のはず。

 一年だけとはいえ、職場だけでなく学校でも先輩と一緒なのはしんどすぎる。

 考えただけで今から落ち込んでしまう。

 それなのに、そんな“ガチ勢”と友達だなんて。

 ますます逃げ道が塞がれてしまう。


「では、同じクラスになれるといいですね!」

「…………」


 爽やかに言って去っていく。

 空気は読めるようだが、変なやつと知り合ってしまったかもしれない。

 また深々溜息を吐く。

 芸能科校舎にそのまま進み、掲示板に張り出されたクラスを見上げる。

 一年A組。


(A組とB組しかないんだ)


 少し意外だったが、芸能科の人数がそもそもそれほど多くない。

 教室に行くと、すでに隣の席や前後の席で会話をしている者がちらほら。


(あ、ラッキー。一番後ろ……)


 窓際の一番後ろ。

 下手をすると一番前の席になることもあるので、助かる。

 なんで思っていたが。


「同じクラスになれましたな」

「……そうね」


 隣の席が先程の鶴城一晴ではないか。

 何度目かの深い深い溜息。


(勘弁してほしい……)


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