導火線〜Tinder〜

桑鶴七緒

第1話

表裏一体、逆もまた真なり。


人間はどんな生き物でも化ける事ができる唯一の存在だ。

その刃を露わにした時に、逃げられるが勝ちとなる事もあれば、突き刺されて負ける場合だってあり得る。

欲望さえも出せないままこの道を歩き続けて行かなければならない現実。

何処かに自分の事を分かってくれる「男」はいないだろうか。


好きでもない男とセックスするのはある意味危険だ。賭けに出る事もあるだろうが、正直その道には一歩も踏み入れたくない。


ただ彼だけは違った。運命を信じてみるのも悪くはないと思った。


22時。蘇芳すおう色の夜のとばりの中に、常に入り組む様に車が行き交うメイン通りに沿って立ち並ぶ高層街。


ある地下に潜む様に佇むレストランとバーの店。顔の知れた仲間達と酒を飲み交わし騒いでいた。


「マジ?会う事にしたのか?やるじゃねぇかよ、真翔まなと

「いや、どうなるか分かんないけど…お試しってことでさ。」

「試すも何もやるだけやれよ。俺の言った通りだろ?堕とせばいくらでも惜しみなく金を使うんだって。よし、今日は俺奢るわ、お前らとことん飲め!」

「いぇーい!真翔に乾杯!」

「大袈裟だってば、全く」


筧真翔。28歳。肩書きは執筆家。仕事の依頼は来るものの、それ程忙しくしているという事はあまり無い。


時間を見つけてはこうして仲間と会って気晴らしをしている。ある人物と付き合う事になった…というものの、まだ相手とは直接会った事がない。


最近教えてもらった、スマートフォンのアプリから見つけた、マッチングサイトの"ティンダー"。


会員登録するにあたって、男性は月額5千円からでマッチング率をアップさせたいなら、課金としてそれ以上支払うという仕組みらしい。


男側が何故女より払わないといけないのか、はっきり言ってぼったくりの様なものだ。恋人が欲しいなら登録しろと渋々付き合わされて、試しに入会してはみた。通常のマッチングサイトというものは、異性側しか相手の情報が開示していないのだが、ティンダーに関しては、男女共に開示している。


どんな仕組みかわからないが、とりあえず使っていこう。


「それで、いつ会う事にしたんだ?」

「明後日だよ」

「早いな。相手ってさ、学校の教員だって言ってたよな。生徒に隠れて使っているなんてさ、どんな奴なんだろな?」

「まぁ会って確かめてくる。真面目な人だと言うのは間違いない」

「ねぇ。アプリ見せて。…これさもしかしたら加工してるかもね。横顔じゃ分かんないし。しれっとしたこの顔。マジウケるんだけど」

「俺だって多少加工したよ。」

「お前のその端正な顔立ちなら別に何もしなくても、良いだろう?」

「まだ使い方よくわかんないんだよ。とりあえず会ってきたら皆んなに知らせるから」

「相性良さげだからって、その日にヤッたっつったら、面目丸潰れだよな。SNSでもって先生何してるんだって拡散される始末になるだろうなぁ。あはは…」


馬鹿騒ぎも良いところだ。こう見えて僕は本気で相手を探していた。


深夜3時。自宅のマンションに着くと、キッチンに向かいウォーターサーバーから冷水をグラスに注いで飲んだ。10階から眺めるこの景色。未だ鬱陶うっとうしいくらいに街の明かりが眩い。


カーテンを閉めて、仕事場である机の椅子に座った。照明を点け、パソコンを開くと原稿として使っているアプリケーションの中身は真っ白の画面。構想はあるものの、まだ手に付かない状態だ。


手帳を開き今後数ヶ月先のスケジュールの間隔の欄を見ては溜め息がつく。


不規則な生活を続けてきた罰でも与えられたのか、ここ数年、不眠症に悩まされてる。処方箋としてもらっている入眠剤を飲み、隣の寝室に向かい、ベッドに倒れ込む様に横になった。

次第に睡魔が来て、やがて眠りについた。


翌日。リビングに掛けてある時計を見ると10時を回っていた。スマートフォンに一通のメールが来ていた。ティンダーの新着通知だった。明日に会う予定の人物からメッセージが届いていた。


「おはようございます。明日の件ですが、大手町のカフェレストランで13時に変更してもよろしいでしょうか?」


場所はどこでも良かった。こだわりがないから、相手に任せても良いだろう。


「こんにちは。了解しました。当日よろしくお願いします。…これで良い」


適当にあしらった。相手はメッセージでやりとりしているなかは、受け答えの良い印象が伝わっていた。


教員というだけに律儀な人なんだろうと、想像を膨らませいた。


翌日。待ち合わせ場所のレストランに到着すると、店員に名前を伝えて店内へと入った。窓側の席に見たことのある横顔のシルエットが目に入った。


「坂井…和馬さんですか?」

「はい。はじめまして、坂井です。筧さんで宜しいでしょうか?」

「はい、こんにちは。」

「どうぞ、お掛けください」


サイトに登録してある写真と雰囲気どころか、顔も若干違った様に見えた。


坂井和馬38歳。改めて見た印象は、実年齢よりやや上で、すっきりとした髪型に身なりは灰色に近いブラウン系の色合いで、きめ細かいストライプ模様が入ったスリーピースのスーツをまとっていた。


「先にコーヒーをいただいてました。何か頼みますか?」

「じゃあ、自分もコーヒーを」


店員を呼び注文をして、向かい合ったまま、暫く無言が続いた。


「なんか、不思議な感じがしますね。」

「僕も。ああいうサイト使ったの、今回が初めてなんです。」

「そう。僕は何度かある。実際に会って話したこともあるよ」

「どういう人がいましたか?」

「ほとんどが女性だった。教員だって言ったら、相談される事も多かったな」

「家庭環境とか?もしくは子供の付き合い方とか?」

「両方だった。皆意見が違うから、それぞれの悩みや思いがあった」

「出会いを求めるどころか、御意見番的な立場になるのも、辛いっすよね」

「まぁ、良い経験にはなったよ」

「付き合った事はあるんですか?」

「それなりに。ただ長くは続かなかったな」

「自分の身分で?」

「僕はバイだから、両方は付き合える。君は?」

「僕はゲイです」

「サラッとカミングアウトしたね」

「あのサイトで、異性どちらでも会うのか可能だって知って、友達を増やしたいなって思ったんです。」

「へぇ。僕は友達はいらない。率直に恋人が欲しい」

「真剣なんですね」

「年齢的に焦りがあるからな。今後一人だと何かと不便も感じることもあるだろうし」


注文したコーヒーが来た。砂糖とミルクを入れ混ぜ合わせ口に含んだ。


「甘党?」

「いえ。昼間はブラック飲めなくて」

「変わっているな」


今日初めて会ったばかりの人間に、変わっているなどとよくも平気で言えるな。ただ年上だから大目に見てあげよう。


ここから見える高層の景色がガスかかっていて、街中が霞んで見える。身体をガラスの前に屈むと足がすくむ様な感覚だ。


そして妙に緊張する。相手の視線があまりにも真っ直ぐなのだ。

ちらりと顔を見ては目を逸らし、俯いたり、窓の外を見て再び相手を目線が合うと、両手を組んでテーブルに置いている姿勢が気になって仕方ない。


「あの、僕、何か顔に付いてますか?」

「何故?」

「坂井さんって人を見る時は視線をそれだけ見つめてくる癖があるんですか?凄く気になるんですよ」

「よく言われる。自分ではただ眺めているだけなのに、何故何秒もかけて見てくるんだって言われるよ」

「貴方もある意味お変わりの様な感じですね」


すると、彼は立ち上がった。怒らせてしまっただろうか。どう返答しようと目を泳がしていると、床に手をつけた。


「ハンカチを落とした。すみません」

「あ…いえいえ。お構いなく」


なんだ、物を落としただけか。それに怯える僕もどうかと思った。


「筧さん」

「はい?」


ひっくり返る様な変な声が出てしまった。


「そこまで、緊張しなくても良いですよ」

「こちらこそすみません。嫌な事言う様で申し訳ないが、坂井さんの声を聞いていると…なんか緊張というか、動悸?胸が高鳴るというか。素敵な感じが伝わってくるんです。」


「初めてだ」

「え?」


「初めて言われたな。僕はどちらかと言うと、印象に残らない声をしていると言われる方が多い」

「そんな事ないですよ。勿体無いな。良い所をお持ちなのに…」

「そう。それはありがたい。」


彼が微笑んだ。緊張の糸が少しだけだが、解けた感じだった。


「この後どうしましょうか?」

「次の予定が入っています。なので、次回会う日を決めませんか?」

「それでは、来週の土曜日にしましょう。僕、美味い店知っているで、夜にお会いしませんか?」

「分かった。時間と場所はメッセージに入れておいてください」

「あの、サイトのメッセージじゃなくて、アドレス交換しませんか?」

「まだ初回だ。来週話しをしてから、考えたい。」

「分かりました。メッセージ、入れておきます。」

「今日は僕が奢ります。では時間がないので、またお会いしましょう」


颯爽と店から出て行ってしまった。深い溜め息が出た。数十分後、僕も店を出て、地下街の歩道を歩いていた。


真面目な人だったな。やはり教員なだけに、姿勢が良かった。僕とは正反対な感じも見受けられた。


今日は随分とラフなスタイルでコーディネートしてきたからな。店内の近くにいた客も異様な雰囲気を感じていただろうな。


自宅に着いて、仕事場の机に座り、パソコンを開いた。同時にスマートフォンからもメールが何通か届いていた。

今契約している出版社の編集部の担当者からだった。


「今月末締め切りの原稿の再校正が入りました。後日ご自宅にお伺いしますので、よろしくお願いします。…マジかよ、また来るのか。」


再来月雑誌に掲載するエッセイの直しが入った。別のメールには、年内に発行する短編小説の最終確認。まあまあだが、それなりに依頼はある。やれるだけやっておこう。


3日後、いつもの仲間と行きつけのバーで酒を飲み交わしていた。


「あれからどうだった?」

「それが、お茶して終わった」

「なんだよ、つまんねぇなぁ。お前、もっと押せよ。」

「あんな感じじゃ初回で誘っても殴られるだけだよ」

「サイトの写真と張本人はどんな感じだった?」

「なんか、いかにも先生って感じだった。スーツ着てビシッとした姿勢でさ。サイトを使う様な雰囲気の人じゃないっていうか。」

「ふーん。真翔的にはどう?相性良さげ?」

「まだ分からない。アドレス交換したかったけど、この次にしてくれって返された」

「うわっ、クソ真面目。ガード堅そう。次っていつ会うの?」

「今週末。夜に飯食いに行こうって誘ったらOKしてくれた。」

「良かったじゃん。次の機会でホテルにでも誘えよ」

「ホテルなんて早すぎるだろう?相手が相手だ。順序は守ったほうが良いかも」

「もっと気軽に付き合える奴にしておけば良かったな。まぁ、先生の出方次第だな。」

「お前らはなんであのアプリ使わないの?」

「興味はあるけど、他のサイト使ってるから、面倒臭い。」

「彼氏はあれからどうなった?」

「うん。付き合う事にした。真翔の先生よりは感じが柔らかいし」

「良かったじゃん。今度ここに連れてこいよ」

「どうしようかな…?」


皆は適当に付き合っている雰囲気に見えるが、僕より生活には困った様子はない。

親が起業家や資産家という所謂いわゆる富裕層に近い存在なのだ。


僕の父親はリクルート系の会社経営、母親も翻訳家の仕事をしている。今のところ金には助けられている。


ただこの歳で甘やかされている事は承知の上だ。いつまでも両親の脛をかじっている訳にもいかない。


表向きは面構えが良くても、正直人間としては真っ当な方ではないと実感している。


なんせゲイだ。素性が暴かれて独身を貫くなどと言ったら、泡を吹くに違いない。


それでも僕は僕のままに生きたい。


それを受け入れてくれる誰かはいないか、ずっと探してきているのだった。

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