No.3

帰路に着きかけた僕は、不意に空腹を覚えて足を止める。一瞬の間を経て、僕は駅前のビルにあるカフェに向かった。二階に着くと、「Strange fruit」と書かれたアンティーク調の看板と扉が目に入る。扉を開ければ、そこには看板や扉と同じようなアンティーク調の店内が広がった。中に入ると、僕は迷わず窓際の隅の席に座る。ここが僕の定位置だ。この店は上京して暫く経った頃、駅前を散策していて偶然見つけた場所だ。落ち着いた照明とレトロな店内は、どこか安心出来る空間を作り出していた。駅前でありながらもひっそりとした佇まいの外装のせいか、客もそこまで多くはなく、常にどこかに空席があった。僕の定位置も、今まで誰かが座っていた事が無い。そんな店の雰囲気を僕はすぐに気に入り、気が向けばよく通うようになった。

注文待ちの間、僕は窓の外に目を向けた。ここからは駅前が一望出来る。先程の桜の木が目に入った。桜は既に満開を迎え、ここ二、三日が見頃だろう。それが過ぎれば後は散りゆくだけだ。この一瞬の時の為だけに桜は咲く。その儚さがフジと重なった。



中学に入学した日、全てのスケジュールが終了した後、僕は何となく屋上に向かった。屋上に向かう階段には、他に人影は無い。だいたいの生徒は帰宅するか、部活動に励んでいるはずだ。こんな所に来る生徒も教師もまずは居ない。ドアノブに手をかけると、あっさり回った。てっきり鍵がかけられているだろうと思っていた僕は、拍子抜けと驚きが入り交じった顔をしていただろう。扉を開けると、良く晴れた春の空が広がっていた。風が吹き抜け、どこからか運ばれてきた桜の花びらが数枚宙を舞った。

不意に僕はその場に固まった。視線を向けた先には、フェンスに凭れて空を見上げる一人の男子生徒が座っていた。想定外の先客の存在に、僕はすっかり混乱してしまった。相手も僕に気付いたのか、視線を空から僕に移した。遠巻きに、男子生徒の驚いた表情を確認出来た。数秒の間の後、男子生徒が立ち上がるとこっちに歩いてくる。混乱して動けない僕の前で男子生徒が立ち止まる。長めの前髪の間から見える目と僕の目が合う。

「同じ一年か。」

僕の胸元の名札を見て男子生徒が呟いた。

「こっち来てみろよ。意外と眺め良いぜ。」

まだ動揺を残しつつも、僕は男子生徒の後に続いた。校庭から運動部のかけ声が聞こえてくる。その声に釣られるように視線を向ければ、眼下に地元の町並みが広がっていた。高い建物が無いお陰で、だいぶ遠くの家の連なりまで見えた。

「結構良いよな、ここ。気に入ったわ。」

フェンス越しに町を見下ろしながら男子生徒が言う。その時の横顔は、今でも僕の脳裏に焼き付いている。

「俺、フジって言うんだ。」

男子生徒が僕を見ながら名乗る。前髪の下から優しい笑顔が覗いていた。

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