#017
調子にのりましたすみませんと、思わず謝りたくなるのはどうしてだろうか。――とは言いつつも、原因ははっきりしているのだが。汗を流したあとにベッドに沈められたからである。
まあ、そういう気持ちになるだけで、謝ることはないんだけどね。オレとしては調子にのった覚えはないんで。ついでに言えば、沈められたはいいけど、なにをされたわけでもない。……キス以上のことは。
それもそのはずで、「腹へった」コールをしたわけですよ。犬井はちゃんと食べているのかもしれないが、オレの方は走る前にチョコを二粒ほど食べながら野菜ジュースを飲むだけだからな。つまるところ、朝の訓練のあとは腹ペコなわけだ。
「ユウキ~、ユウキ~、ご飯なにかな~?」
「狐ちゃんはなにが食べたいんだ?」
「狐はねえ~、揚げ出し豆腐があれば嬉しいな~!」
「ユウキとおいしい揚げ出し豆腐があれば、狐は幸せなの~」
「揚げ出し豆腐うまいもんなー」
特に犬井が作ってくれたものは絶品だった。母さんや父さんが作ってくれたものもうまいけれど、犬井には勝てない。オレは完全に胃袋を掴まれてしまっているのだが、認めてしまえば厄介だから気のせいにしておく。
両膝枕状態で口元を緩ませる狐ちゃんたちの頭を撫でてやれば、さらに口元が緩んだ。だらしなくともかわいいのだから、狐ちゃんは最強である。ピコピコ揺れるキツネミミが止まったかと思えば、鼻をひくつかせて「ご飯だっ」と勢いよく起き上がった。
「どんな匂いなんだ?」
「お味噌汁の匂い!」
「お魚の匂いもするっ!」
「和食か!」
狐ちゃんの言葉に待ちきれなくなったあとは話が早い。三人でドアに走り寄り、いまかいまかと待っていれば、ようやくドアが開いた。「和食きたああああ~!」とワゴン越しの犬井に飛びつけば、「っ!?」と息を飲んだ気配がする。興奮しずきだと理解してはいるけれども、一度上がったテンションはなかなか戻らないわけだ。
「悠希、驚かせるなよ」
「いやあ、だって久しぶりだし!」
「すまん、すまん」と言葉だけの謝罪をしつつも脇を掴んで引き剥がされたオレであるが、顔にしまりがないことだろう。くすぐったさだっていまはなんともない。この世界に来てから何ヵ月ぶりかの和食なのだから、気にしていられるものですか! と言っても、和食『もどき』という言葉がつくけれど。そう。完璧な和食ではないのだ。
調味料や食材は揃っているといっても、現代日本にあるものが異世界にあるとは限らない。瓜二つというものや似ているものもあれば、ちょっと違う形のものまで様々だ。そして、好む、というか、舌に馴染んだ味はオレたちとはまた違っている。家庭科の授業で習った五つの味覚――甘味、塩味、酸味、苦味、
なにが不思議かって、甘味はちょうどいいというのに、なんでほかはダメなんだろうか。犬井が頑張っていい塩梅にしてくれているから、オレにも合う味になっているのだ。犬井なくして和食もどきはあり得ない。
「ありがとな」
軽く唇を重ねてやれば、犬井は「ユウの安全と健康を守るのが俺の役目だからな」と笑みを浮かべた。爽やかーに。
「ならオレは、狐ちゃんの安全と健康を守ることにするよ」
「狐もユウキの安全を守るー!」
「狐もっ、狐もユウキの健康を守る!」
元気よくそう言った狐ちゃんたちに背後から抱きしめられれば、犬井は「ふぅん」と素っ気なく返しながらも目を細めた。オレの頬を片手で挟みながら。少しばかり機嫌が悪くなったようだが、むにむにされたあとに手を離され、「冷めないうちに食うぞ」と抱えられる。残されたワゴンは「狐運ぶ~」と狐ちゃんたちが運んでくれるから問題ない。楽しい楽しい食事の時間はこうして始まるのだ。
いつもはふたつ分だったので四つのお膳をテーブルに置けるかと心配していたが、魔法でテーブルを大きくしたのでその問題は解消した。足りないイスも魔法で増やし、それぞれ対面形式で腰を下ろす。ひとつひとつお膳を持って。全部同じだからケンカにはならないんですよー。
「いただきまーす!」
『では、さっそくいただくとしますか』という心意気のオレと狐ちゃんの声が重なると、目の前に座る犬井はふっと笑みを浮かべた。「親子かよ」と。「そうだぞ。オレと狐ちゃんは親子みたいに仲がいいんだー」と返してやれば、「へぇ」と今度は口端を上げる。
「――悠希と管狐がなんだって?」
目が笑っていない犬井から慌てて視線を逸らそうとしたが、時すでに遅し。身を乗り出した犬井の右手が頬を掴んでいたのだから。いまや無理矢理に上向かせられたあとである。指先に力を込められて頬を潰されると同時に尖る唇。おそらくそうとう間抜けな顔になっていることだろう。ひょっとこだし。普段なら吹き出すところだが、犬井は笑わないままだ。いや、笑っているんだけども、目が、ですね……。
「なんだって?」
「い、いにゅいとも仲よしでふー!」
「当たり前だろ」
手を離して頭を撫でてくるが、その手を払い落としてやった。オレは犬井の言葉に乗っただけだからね。自分の言葉に機嫌を損ねるぐらいの重症者は知らないんで! ――と思いつつもやはり気にはなるので、そろそろと犬井に視線を遣れば微笑んでいた。ええ、ええ、毒気なんて吹き飛んでしまいましたよ。なんて顔をするのですか。オレの心臓を壊す気だろ。その証拠だというように、胸元を握りしめる手にも速い心音が伝わってきていた。
「犬井はめんどくさい男だ」
「それはどうも」
心臓は気にするものかと吐き捨てた言葉に返ってきたのは思わぬ言葉で、「誉めてないから!」との声が大きくなってしまう。なんでそうなるのか解りませんよ、もう。
呆れつつも今度こそ顔を逸らせば、座る犬井が視界の端に映る。とともに、狐ちゃんが黙ったままだった理由が解った。ご飯を口に運ぶ姿は真剣そのものなのだ。これでは会話に入ることなど不可能と言えよう。周りの音など消えているのだから。
オレの視線に気がついた狐ちゃん――こっちは空ちゃんか――は、「主様のお料理おいしい!」と満面の笑みを浮かべた。そこからは狐ちゃんたちのオンパレードである。狐ちゃんたちが箸を使いこなせるようになったのは、犬井と特訓をしたからだと言う。
「箸を使いこなせるようになれば、ユウキに誉めてもらえるの~」
「だから狐たちは、頑張ったんだ~」
「すごいなー」と感心するオレに対し、狐ちゃんは「へへへ~」と頬を緩めながらしっぽを振りまくっていた。誇らしげが見てとれる。あとでいっぱい誉めてあげよう。もちろん、犬井も忘れずに。
『サケリャン』という名の鮭にしか見えない切り身をほぐしながら、わいわい話す三人――犬井は相槌を打っているだけだが――を眺めて改めて思ってしまったのだ。この温かさを大切にしたいと。かわいい狐ちゃんと重症者な犬井を眺めるのは他でもないオレなんだと。いったい誰に対抗心を燃やしているのかは解らないけれど。
□
「猫さん! 猫さん! 寝顔を見せると大変なことになりますよ」
「いや……、オレはまだ寝ていないので、大丈夫、です、よ……」
「猫さーん!」
中庭側から入った洗濯室でリリネルさんに揺すられて目を開けるが、開けた瞬間から下がりつつある。洗濯室の名のとおり、ここは洗濯関連をするために作られた場所だ。異世界洗濯機を回したり、洗濯物を畳む場所。部屋の入り口とは別に、中庭に通じるもうひとつのドアがついているのが他の部屋とは違うところだろうか。
「ユウキが寝るなら狐も寝る~」
「ユウキと寝るの~」
「猫さんといたいので」という理由でリリネルさんは狐ちゃんと連れ立つオレについてきた。職権乱用の上に私情混じりだと思われるが、大丈夫だろうか……。いやまあ、オレが心配しなくとも問題ないんだろうけどね。しかし、腹がいっぱいになったあとの洗濯の選択は間違えたとしか言いようがない。眠るなと自分に言い聞かせようが、眠気防止用に鼻唄を口ずさもうが、今回ばかりはぽかぽか陽気に勝てませんので。
「猫さん、猫さんっ」との声が遠くなる。オレは完全に微睡みのなかなのだ。躯が浮くような感覚のあと、とある匂いが鼻をくすぐる。いつしかそれは、家族の次に安心する匂いとなっていた。
「いぬ、い……」
「おやすみ、ユウ」
薄目を開けた先、逆光なのかなんなのか犬井の顔はぼやけているらしい。それでも、オレには解るんだ。微笑んでいることが。気配で解るの。いつ来たのかまでは解らないけれど。
「犬井、その顔――」
――その顔は、心臓に悪いって解ってるのか?
なあ、犬井。オレを壊してどうしたいの。
微睡む思考のなかでもその言葉だけが印象深い。
オレは――いけないのに。
夢うつつの呟きはなんだったのか。眠気に負けそうな頭ではもう解らない。犬井が苦笑した気がするが、どうなんだろう。
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