紫垣製菓 5
「へい、いらっしゃい。」
どこにでもあるような定食屋だ。
昼頃にはかなり混むが今は開店したばかりの午前10時過ぎだ。
まだ人はいない。
「おや
定食屋のおかみが店に入って来た紫垣を見て言った。
「ああ。
……
「いや、紫は11時からだからまだ来てないね。」
「そうか。」
紫垣はふうと息を吐く。
「なんか食べるかい。」
「いや、いい。また来る。」
と彼はまた出て行った。
主人とおかみが複雑な顔をして彼が出て行った引き戸を見た。
「あんた見たかい、紫垣さんの顔色。」
「良くないな、病気か?」
「人相も悪くなったねぇ。何があったんだろうかねぇ。」
その時だ、店の裏口から声がした。
「お早うございます。」
「ああ、紫ちゃん。」
おかみが振り向く。
「たった今だけど紫垣さんが来たんだよ。
あんたはいるかって。」
「えっ。」
紫と呼ばれた女性が慌てて裏から店内に入って来た。
そして店の引き戸を開けて外に行ったがすぐに戻って来た。
「いなかったかい。」
「ええ。」
紫は少しばかりがっかりした様子だ。
「ずいぶん顔色が悪かったよ。
それに何と言うかまるで裏稼業みたいな……。」
「あまりお客さんの事を言うんじゃねぇ。」
親父がおかみをたしなめる。
紫がため息をついた。
「前はあんなじゃなかったのに。
お店にもよく来てくれて……。」
紫が紫垣と初めて会ったのは5年程前だ。
彼女がここで働き出してすぐだ。
紫垣はここの常連で親父とおかみとも仲が良かった。
「あの人、紫垣製菓の常務さんだよ。」
とおかみが教えてくれた。
だが、どことなくいつもおどおどして
とても常務と言う感じではなかった。
だが、ここで働いている紫にも優しく、
誰に対しても気遣いの出来る親切な人だった。
しかし、いつ頃からだろうか、
言葉遣いが荒くなり態度が変わっていった。
そして店にも来なくなった。
紫はその頃の紫垣を思い出す。
体の中に赤い光があったのを。
あれが何なのか今でも分からない。
しかし、あの赤は禍々しかった。
彼が来なくなってからの様子も知りたかったが、
近場にある紫垣製菓にも彼女は近寄れなかった。
そちらに向かうだけで肌が粟立った。
それがなぜなのかは分からない。
今の彼と会っても自分がどう反応するかも分からない。
まだ会ったばかりの頃に、
「紫ちゃんが俺と結婚したら
と言ってみんなで笑った事があった。
あの時を思い出すと紫は胸が痛くなった。
あの場所は怖い。
でもあの人も心配だ。
紫は決心する。
一度紫垣製菓に行こうと。
そしてあの人に会うのだ。
それからどうなるかは分からない。
ただただ紫垣が心配だった。
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