復讐とは

「はぁはぁ」


 日々の訓練を蔑ろにする乱れた息を恥じる事はない。危機に瀕した、或いは絶好の恵みを享受する人間が、何食わぬ顔で平然とする態度など、凡そ生物らしからぬ反応である。


 尽く人の気配を絶った民家の数々から、一人でに動く扉の名残りを見た。古来から確立された建築方法は現代の文明を支える基盤となっていて、三角形不変の理に基づく斜め材が石の壁に幾何学的に配されている。類型的な西洋の建築学に倣ったその建物へ、カイトウは命を繋ぎ止める為に飛び込んだはずだ。スカベラに殺される事を想像こそすれ、人の手によって窮地に追いやられるとは夢にも思わないだろう。


 気取られる事を心配し、遅々とした忍足で近付く事はしない。まるでスカベラから逃げてきたかのような息遣いを装い、偶合的な邂逅を演出する。扉の取っ手に手を掛けて、肩で押し開く忙しなさと、発汗を伴った身体的特徴をカイトウに示す。


「カイル!」


 生き残りを賭けて枝分かれしたはずの団員が、のこのこと目の前に現れる。本来ならば、意図に反する俺の行動を咎めるなどして、まとめ役の立ち場を真っ当するべきなのだろう。しかし、この危機的状況に際した人間が生理的な安堵感を湛えるのは、決して可笑しな事ではない。俺は、カイトウの綻んだ顔に共感を呼ぶ。


「おお! さっきぶりですね」


 スカベラに後を追われて余儀なく追い込まれたと、驚嘆を顔に貼り付けて言葉による擦り合わせも行った。たった一度の「復讐」の為に、ここまで命を張ったのだ。カイトウに俺の事情を看破されて、興を削がれる事は何としても避けたい。あくまでも、直前まで身内による凶行だと思わせておく方が、感情の起伏を楽しめる。


「折を見て、前線基地に戻る事も視野に入れよう」


 カイトウは身を屈めながら、窓の外へ目をやった。外敵への警戒を怠らない背中は、絵に描いたような無防備さをあけすけにし、望んで止まなかった復讐の手軽さが浮き彫りになる。


「どうした。カイル」


 俺のそんな機微を知ってか知らずか、カイトウは曖昧模糊に聞き耳を立てて、返答をまんじりと待っている。気の置けない関係であるかのような弛緩した横顔がひたすら気色悪く、期せずして奥に隠していた本音を引き出される。


「もう、いい。その目障りな隠れ蓑は俺には必要はない」


 他人の目を気にして本来の人格を蔑ろにする猿芝居は、今の俺達の間に介在させるべきではない。


「カイル、君は何を……」


「俺の名前は田中誠一だよ。カイルなんて名前じゃない」

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