侃侃諤諤

 この世界に来てからそれほど時間は経っていないが、比較的温暖な気候で、外出を億劫に思うほどの激しい雨に遭った事はなく、突然の雷雨に濡れそぼつ経験もない。町を出立してからもそれは変わりなく、馬上でほとんどの時間を過ごしながら、天候が崩れる瞬間に立ち会う事は未だにない。日中は、ヨーロッパの片田舎を眺めているかのような異国情緒に心はどこか穏やかで、これから先に待っているであろう人の死に生きから縁遠く感じた。しかし、日が沈み、景色が闇に塗れた途端、焦燥らしき心のざわつきを覚え、人の機微に目敏いリーラルの同情めいた語気が俺の足元に落とされる。


「わかるよ。スカベラは凶暴だし、刺し違えてでも目の前の一匹を殺す気概がなければ、瞬く間に全滅してしまうかもしれない」


 焚き火から吐き出されて闇中に飛ぶ火の粉を儚げな蛍のように追えば、苦い顔をしたマイヤーと鉢合わす。


「和平協定はもはや形骸化した一つのルールだね」


 昔に定められた仮初の平和の枠組みを、当事者として事に当たるマイヤーが切歯扼腕し、火種となったシュバルツの威力偵察を恨むかのように口鼻を覆う。


「徹底的に叩き潰すべきだったんだ。初めから」


 起こした火を取り囲み円を結ぶ俺達は、そぞろに今の気持ちを吐露して火に焚べた。中でも、トーマスの一言はよく燃えた。


「それを行った上での協定だろう?」


 好戦的なトーマスの姿勢をリーラルが窘める。だが、皮肉のこもった口端の歪みから、咎められた事による身の丈に合わせた発言を心掛けるなどといった、忸怩たるものは見られない。


「当時の国王は戦える者を徴兵し、全力で事に取り組んだ」


 焚き火を二つ設け、四人と三人で枝分かれして火を囲んでいた所、ウスラが割って入り、五人となった。ウスラは言葉だけには飽き足らず、土産の枝を焚き火に投げ入れる。それはまるで、スカベラとの争いで散っていった者達への鎮魂のようであった。そのまま物憂げに黙っていればいいものを、絵に描いたようなトーマスの朴念仁ぶりに俺は思わず頭を落とす。


「だが、結果はご覧の通り。結局、尻拭いはオレ達がしている」


「……」


 ウスラの手の甲に血管が屹立する。見るからに怒りという感情が流れているのを把捉でき、俺がそれに気付いてから間もなく、マイヤーが慌ただしく口述する。


「いつだって成否は後になって分かる事だし、何が最善だったか何て、誰にも分からないよ」


 責任の所在を追求しようとするトーマスを有耶無耶にし、マイヤーはどうにかこの話題の打ち止めを図ったが、脂が乗った舌は止まらない。


「ようは目先の平穏を追い求めた王様による浅薄な判断がもたらした、どうしようもない政策だったというわけだ」


 この主張は、イデオロギーに踏み込んだもので、禍根を生んで当然の言い回しは胸ぐらを掴み合う荒事へ発展してもおかしくない。恐らく、トーマスはひとえに相手を苛立たせる事に重きを置いており、この言い合いに生産性ないといっていいだろう。もはや寂び返るのが適当であり、いっそのこと草むらに潜む虫の音へ耳を貸してしえばいい。そうすれば、まともに向き合う必要がなくなる。しかし、ウスラは違った。


「そのお目溢しを啜るのがお前だ。感謝しろ」


 この上ない見下しがウスラの目付きに表れ、トーマスと正面切って唾を飛ばし合う覚悟があるようだった。それに受けて立つトーマスは、息を一つ吸って肩を厳しくそばだてる。


「ウスラさん、貴方」


 その言葉に続く侮蔑の尾鰭は、身の毛もよだつきらいに満ちていて、俺は直下に立ち上がった。


「明日に備えて寝よう。マイヤーもそう思うだろう?」


「そうだね。明日、今日と同じだけ移動すれば、もう目と鼻の先だ」


 夜通し、長物なる口論に付き合わせられる事を想像すると、欠伸ではとても追い付かない。焚き火から少し離れた先で、皆それぞれの寝床につくのが建設的な人付き合いになるはずだ。


「……そうだな」


 血気盛んな言葉の往復を構えていたであろうトーマスがしおらしく態度を翻す。それは、皮肉屋としての引っ込みがつかなくなった人間の変わり身の速さか。ただ俺達は、その厚顔を受け入れよう。名もなき道の古木を枕にして、微睡む方がよほど有意義な時間を過ごせるのだから。


「ウスラさん、厄介な事になりましたね」


 マイヤーの恨み節を散開の合図にして、皆は焚き火から離れて行った。

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