第2話
むかしむかしのお話。
今からだいたい千年前。
後世で平安と呼ばれる時代に、あたしはそいつと出会った。
「あんた誰?」
「某は
「一方的に呼びつけといてその上さらに頼み事ってどゆことよ」
「どうか某に、子種を授けていただきたいッ!」
「人の話聞いてんの!?」
***
「つまり、其方は神は神でも死神であって、某に子種を授けることもできないと?」
「見りゃ分かるでしょ、背中にこんな真っ黒い羽生えてるんだし。てかできないというか、そもそもなんであたしがそんなことアンタにしてあげなくちゃいけないの」
「某にはそれが無い故」
「理由になってないっつーの」
当時としてはそれなりに贅の限りを尽くしている方だった風也の屋敷———そこの一室である広い座敷のど真ん中であたしはフワフワと宙に浮かんで、目の前で律儀に正座してこちらを見上げる男と延々押し問答を繰り広げていた。
後の桜庭家の祖先になる風也には、次の世代に血を残す力が無かった。幼い頃に流行り病にかかったのが原因らしいけど、現代ほど医学が発達してない当時はよくある話だったし、不老不死の死神であるあたしからすれば意に介すまでもない事情。そこらにいる蟻が一匹踏みつぶされようが家族仲良く踏みつぶされようがそれを見ている人間には関係ないのと同じ。
「医者にも回復の見込み無しって言われたんでしょ?なら大人しく運命を受け入れなよ。大人なんだし」
「いいや、某には諦められぬ理由がある」
「何それ」
興味はないがとりあえず聞いてみたんだけど。
「某の子がどんな人間に成るのか。それを見てみたい」
「んな軽い理由で家族を持とうとすんな!」
風也はよく言えばフットワークが軽い、悪く言えば軽率なヤツだった。当時の日本社会では官位を授けられて結構な地位にいたからそういう意味で責任能力はあったんだけど。
「というか、あたし死神だし。人の命を奪うのが仕事であって習慣であって習性であるわけだし。何が悲しくて命を創らなきゃならないの」
「では某の命を捧げれば、其方は子種を授けてくれるのか?」
「いやそれ矛盾してるでしょ順序的に。自分の子が見たいって言ってるのに自分が死んじゃ意味ないっしょ」
「後払いということで如何か?」
「無理。というか、仮にアンタが子孫を残せるようになったとして、あたしに何の得があんのよ」
「———無いな!」
「開き直るなっ!もう帰るわ、じゃあね」
「待て待て待て!」
「痛い痛い痛い痛い痛いっ!髪引っ張んな!!」
「?某は其方の髪を掴んでなどいないが?」
「はぁ?何言ってんの」
あくまでしらを切ろうとする風也に小言の百個でも言ってやろうと振り向いたが、確かに風也は手を伸ばしたくらいじゃとても届かないくらいのところにいた。
もしかして。思い当たることがあり試しに数歩後ずさってみた。
「っ、ひ、引っ張られる。これやっぱり………」
「?」
「あんた、まさか“隷従”の術を仕込んであたしを呼んだんじゃないよね?」
「いや、術式は知り合いの祈祷師に用意してもらった故、その内容までは某は与り知らぬところ。何か不都合があったか?」
「大アリだわ!これじゃあたしアンタから離れられないじゃん!!」
「なに、そうなのか?」
隷従の術は、ざっくり言えば召喚されたヤツを呼び出した術者の意思に逆らえなくする呪法。現代だとエロ本の題材にでも使われていそうなベタ中のベタな呪いだし、実際あたしもこの時まで存在自体眉唾なものだと思っていたんだけど。
「隷従と言うからには、もしや其方は某の思うがままということか?」
「はぁ?冗談じゃないんだけど。死神のあたしがたかが人間のアンタになんで従わなくちゃいけないのよ」
そう虚勢を張ってはいたけど、内心ではかなりビビってた。そもそも人間とこうやって面と向かって問答するのだって初めてだったのに。あまつさえ死神として捕食対象でしかない人間に一体何をされるんだって。
もしかしたら、そういうのがその時の風也にもバレてたのかもしれないけど。
「そうか、では一つ其方に願いたい」
「な、なによ」
あいつは、それまでの佇まいを崩すようにニッコリと笑って。
「姉ちゃん、名はなんて言うんだ?」
「———マリン、だけど」
***
風也は、あたしに何もしなかった。
ただ隷従の術で傍を離れることもできなかったから、なし崩し的にあたしは風也と一緒に生活するようになって。あたしの姿はあたしを呼んだ風也にしか見えてなかったし触れることも風也にしかできなかったからその辺りの問題はなかったんだけど、死神であるあたしをあいつが全く都合よく使おうとしないことにかえってあたしは不信感を抱いていた。
「フーヤさ」
「ん?なんでぇマリン?」
最初会ったときは堅物みたいな話し口調をしていたけど、素のあいつはこんな感じだった。仕事じゃそれなりの立場にいたからそういう振る舞いが自然と染みついちゃったんだろうけど。
「あんた、あたしをどうこうしようとか思わないの」
「どうこうってのは、何をどうしてこうしてそうするって話だ?」
「そうするとまでは言ってないし。可愛い女の子を好き勝手できるのに、何もしないのって話」
「可愛い女の子?どこにいるんだ?」
「は?可愛いだろ!?ここだよここ!!」
「んな怒んなって、冗談だから」
こんな具合で聞いてもはぐらかされるし、こいつが何を考えてるのか死神のあたしでもよく分からなくて。これじゃただの飼い殺しだ。
「簡単な話だ。女を手にかけるような男は屑ってだけよ。俺は屑にはなりたくねぇ。あぁでも星屑にはなってみてぇかもなぁ」
「星屑って、それあんた死んでんじゃん」
「だははっ、違いねぇ」
「じゃあ、子供が作れるようになりたいって話はどうなんのさ」
「それも同じ理由だ。二度は言わねぇよ」
つまり、あたしの自由意思を尊重してくれているということだった。
でも。
「———せに」
「あ?スマンよく聞こえなかった」
「人間のくせに、死神のあたしを上から見てんじゃねー!」
「あいたっ!!ちょ、お前殴ることないだろさすがに」
「五月蠅い、死ね」
「いてっ」
「死ね死ね死ね」
「いててっ」
「死ね死ね死ね死ね死ね………」
「痛ぇってのに!念仏みたいに毒吐くのやめろって」
あたしが風也のことを受け入れるのには、それなりに時間が必要だった。
仕方ない。人間とまともに過ごすのなんてこれが初めてだったんだから。
***
あたしは風也の願いを聞き届けた。
とはいえあたしは死神。天使なんかじゃない。人の命を、魂を奪うのが性。命を生み出すことなんて専門外だった。
だから、かなり歪な叶え方になっちゃった。
あたしの血と風也の血を混ぜて赤ん坊を作った。言葉通り、混ぜて作った。これは死神が死神を作るやり方だったから、代わりに人間の血を混ぜたらどうなるかなんて他の死神から教えてもらったこともないし、どんなものが出来上がるのかも予想できていなかったんだけど。だから出来上がったのが少なくとも外見は普通の人間と何ら変わりない赤ん坊だったのを確認した時、あたしと風也は子供みたいに飛び上がって喜んだ。
「紛れもない、これは俺の子だ」
出来上がったばかりの小さな子供を抱き上げて、風也は静かに涙を流していた。あいつが泣いたところなんてこの時しか見ていない。それだけ嬉しかったんだろう。
「よかったじゃん。夢が叶って」
「あぁ。マリン、本当にありがとう」
「人間の女が普通に子供産んだときみたいな感じでお礼言うのやめてくれない?」
「何言ってんだ。この子はお前が産んだんだろうに」
「は?」
「この子は俺の血とお前の血を分けて生まれてきたんだ。なら、お前はこの子の母親だろう?」
母親。あたしが、この子の。
死神も既にいる死神の血から作られるけど、そこに親子の情があるかと言われればそんなことはない。役割を果たすために必要だから作られる。ただそれだけ。
「あたしが、母親」
口にしてみても、とても現実感を伴わない空っぽな響きだった。
ふと、服の裾を引っ張られる感覚を覚えた。視線をやると、風也の腕の中にいた子供があたしを掴んで、生まれたばかりの虚ろな瞳で、しかししっかりとあたしの存在を捉えていた。
「ほら、この子もマリンのこと母親だと思ってるみたいだぜ」
「いや、ちょっと困るんだけど。というか、そっか。この子にあたしの血が入ってるってことは、あたしのことが見えてるんだやっぱり」
「なぁ、この子の名前はどうする?」
「そんなのアンタが決めたらいいじゃん。親なんだし」
「だからお前もこの子の親だろうに」
「はぁ」
あたしは一つ大きな溜息を吐いて、そのときなんとなく頭に浮かんだ言葉の羅列をそのまま口にする。
「ライト、とか?」
「死神の名付けは独特だな」
「文句あるならアンタが—――」
アンタが決めなさいよ。そう言ってやろうとしたとき、風也に抱かれていたその子が笑った。
「おっ、笑ったぞ。どうやらその名前が気に入ったらしいな」
「そうなの?」
「そうだろ。だから笑ったんだよなーライト?なんて字で書くんだろうなー?」
「字はフーヤが決めなよ、さすがに」
母親。あたしはその日母親になった。
風也とライトと、家族になった。
そのことに、どこか心が波打つような心地だった。
でも、あたしたちは普通の家族じゃなかった。
普通じゃいられなかった。
あたしは、普通じゃなかったんだから。
***
およそ二十年後。普通の人間と同じように成長した
あたしと同じ、真っ黒な羽。死神の証である翼。
もしかしたらとは思ってた。見た目は父親の風也によく似た普通の男の子だったから、どうかこれからもそのままで人生を過ごしてほしいと思っていたけど。
だってこの子は風也の子だけど、あたしの子でもある。
死神の子供なんだから。
「マリン、どうすればいいんだ?どうすれば来人は元に戻る?」
「元にというか、ある意味これが元の状態なんだろうけど」
風也は息子の来人をどうにか元に、普通の人間の姿に戻そうと躍起だった。あたしを呼びだした時みたいに術者や祈祷師なんかに頼ろうともしてたけど、来人がこうなってしまったことが外に漏れることも恐れていた。あの頃はまだ霊だの妖怪だの怨霊だのが信じられていた時代だ。今の来人の姿が世に広まればどんな目に遭うかはあたしでも予想できる。
「そもそも、この子はイレギュラーな方法で生まれたからね。どこまで通用するのか分からないけど」
「可能性があるならなんだっていい。頼む」
―――頼む、か。
あの日交わされた隷従の術はまだ生きているというのに、こんな状況でもあたしに無理強いしないところはさすがお人好しだと、我が“夫”ながら呆れる。
———そういうヤツだからこの子を作ったんだけど。
「この子に“貸したもの”を返してもらえれば、もしかしたらただの人間に戻せるかもしれない」
「貸したもの?」
「この子を生んだときに使った、あたしの血だね」
「そんなことが可能なのか?命の危険は?」
「ある。あたしもそんなのしたことないし、最悪死ぬかもね。それでも―――」
「分かった」
こちらの問いを待たずに風也は答えた。
「決断が早いね、随分」
「それ以外に方法は無いんだろう?なら頼む」
「死神に命を創らせるだけに飽き足らず人命救助までさせるとか、隷従の術があるとはいえ業突張りすぎ」
「死神である前にマリンはこの子の母親だろう?信じてるよ」
そう言って風也は笑う。
その笑顔は初めてこいつと出会ったとき、こいつに名前を尋ねられた時と全然変わってなくて。顔の皺は増えてたけど。
「はぁ」
何日もかけて、あたしは来人から血を少しずつ返してもらった。そうしてなんとか来人から死神の力を取り除くことはできたんだけど、もっと根深いところ―――魂に刻まれたものまではさすがに無理で。
桜庭家の人間には、代々あたしの血が、死神の血が脈々と受け継がれることになる。
世代を重ね、徐々に子孫に流れるあたしの血が薄くなっていくにつれ、あたしに死神の力を返すというその行いは、成人を迎える日に“身体の一部”をあたしに差し出すという形に変わっていった。“桜庭家繁栄のため”というもっともらしい、しかし事実無根の建前を添えて。
***
「なぁ、マリン」
「なに?」
屋敷の縁側で、すっかり足腰の衰えた風也と肩を並べて日向ぼっこをしていた時。風也が徐に口を開いた。
「某が死んでも、この家に居てくれるか?」
風也が自分を“某”って言うときは、マジなときだけ。
「さぁ。術者が死んだ後まで隷従の術が続くかどうかは知らないけどね」
本当は知ってた。術者が死ねばあたしは解放される。風也が死ねば、あたしはまた自由に死神として人間の命を刈る日々に戻れる。
言ってほしかった。風也に。“この先も来人たちと一緒にいろ”って。
「そうか」
「ああ、もう………!」
「?」
何年経ってもこいつの性分は変わらない。本当に腹が立った。
「最後くらい命令しなさいよあたしに!“これからもこの家に居ろ”って!一言そう言えば済む話でしょ!!」
そう強い言葉で風也をなじるけど、歳を重ねて老いたあいつは力なく笑って。
「某は、惚れた相手に本意でないことを無理強いするような真似はできない性分でな」
「アンタってヤツは、本当に………!」
「マリン。其方はどうしたいのだ?」
「あたしは………!」
———一緒に。
「これからも、ここにいるから!来人と一緒に、来人に子供ができても、孫ができても………。だから」
来人の子孫にも、あたしの血が流れている。きっと死神の力がある。それを取り除いて普通の人間にしてやれるのはあたしだけ。
あたしがこの家に居ないと、この先生まれる沢山の子供たちが不幸になる。
「そうか………」
あたしの言葉を聞いた風也は嬉しそうに笑って、そのままあたしの膝に頭を預けて横になった。
「それでこそ某の、俺の連れ添いだ。これで、思い残さずに逝ける」
「だから、死ぬなんて言わないでよ………っ、フーヤ………」
死神であるあたしが、人間に向かって“死ぬな”なんて言葉を口にしたのはそれが初めてだった。
涙を流したのも、初めてだった。
「泣いてるのか、マリン?」
「う、るさいっ………」
「………」
風也は皺だらけの手を伸ばして、弱々しくあたしの頭を撫でた。子供をあやすみたいに。
しばらくそうして、ようやく涙が止まった頃。
あたしは風也の左手の小指に自分の小指を絡めて言った。
「あたしはこれからもこの家に居る。フーヤが見たがってたフーヤの子孫たちの人生を血脈が続く限り見届ける。約束するから」
それは盟約。
ここから千年続く、桜庭家と死神マリンとの盟約になった。
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