第十一話 8月26日
8月26日
疲れ切って帰宅すると、お風呂上がりの愛花がちょうど脱衣所から出てきた。
「あ、おかえり。どこ行ってたの?」
石鹸の良い匂いを漂わせ、タオルで頭をわしゃわしゃと吹き上げる愛花を見て僕は膝から崩れるように廊下に座り込んだ。
「え!? 大丈夫!? てか顔赤!」
「大丈夫……ちょっと自転車で江ノ島に行っただけだから……」
頭の中で検索をかけているのか、ゆっくりと天井を見上げて愛花は思い出していた。
「え……の、島って遠くない!?」
愛花はじんわりと場所を思い出すと驚きの感情が表情に溢れていた。
「片道40kmくらいあったと思う……」
絞り出すように声を出す愛花は小走りで台所から水の入ったコップを持ってきてくれた。
「……ありがとう」
そう一言いい、水の温度など感じる間も無くコップを空にした。
ぷはーとき息を吐くと、愛花がコップを受け取ってくれた。
「まだいる?」
「ううん、大丈夫。蘇った。はい、これお土産」
紙袋を手渡すと、袋のデザインを見てすぐに中身を理解した。
「鳩サブレーだ! ありがとう!」
「みんなの分だから一人で食べるなよ」
わかってる! と言いながらリビングに向かっていった。
僕も風呂に入ろうと、思い足を引き摺りながら、シャワーを浴び、髪を拭きながらリビングに行くと母と美月、愛花が鳩サブレをサクサクと音を立てながら貪っている。
「えのひまいってひはの?」
鳩サブレを咥える美月と目があった。
「うん、大地に自転車で連れ出された……」
「チャリで!?」
母と美月が口を揃えて驚いた。
その後僕は片道3時間以上かかった話、生シラスを食べてきた話などをした。
「若いねぇー、元気だこと」
すっかりおばさん気分の美月がサブレを一口齧った。
足が攣りそうになり、冷蔵庫から麦茶の大きいペットボトルを取り出し、コップ3杯分を一気に飲み干した。
美月も愛花も部屋に戻り、母と二人だけになった時、母が僕を心配そうに話しかけた。
「お金足りてるの?」
「……大丈夫、何とかなってる。貯金もあるし」
「貯金って……そんなにないでしょ……」
「30万弱くらいかな……」
ぎょっとして驚く母の顔が、ひどくおかしかった。
「ふふ、何その顔」
「いや……意外と貯金してたのねと思って……」
幼い頃から溜めていたお小遣いや貯金は、気がつくとそれなりに溜まっていたのだ。
物欲も特になく、節約も自然と出来ていたためだ。
「しばらくはこのお金で何とかするよ。大学に入ったらちゃんとバイトもする」
母は何も言わずにどこかへ向かった。
テレビの奥で芸人が笑う声を耳にしていると、母が手に何かを持って戻ってきた。
「これ、今日の分」
千円札を二枚、テーブルの上を滑らせて差し出された。
キョトンとして僕が黙っていると、母はまたソファに座り込んだ。
「お金があるのは分かったけど、これも足しにしなさい。高校生のうちくらいは面倒見るから」
僕が受け取りを躊躇うと、母は立て続けに口を開く。
「遠慮しないで。高校生は親の脛をかじるもの。青春に時間はないんだから」
母親の存在を偉大に感じ、胸が熱くなった瞬間だった。
僕は二枚のお札を手に取り、ありがとう、今日はもう寝るねと伝えて部屋へ戻った。
階段を上がっている最中、僕は右手で掴んだお札を握りしめた。
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