第六話 6月11日
6月11日
昼過ぎ、僕は私服に着替えていた。
変でもないと思うから無難な服ばかりだ。
コンコンコンと部屋のドアから音が鳴り、ドアが開けられ愛花が顔を覗かせる。
「もう行けるよー」
「うん、こっちも行ける」
財布とスマホ、ポケットサイズのウェットティッシュを白い斜めがけのバッグに入れ、バッグの紐に頭を通す。
1階へ降りると、愛花が玄関に座り込んで靴を履いていた。
愛花はベージュのキャップに、クマのようなキャラクターが描かれた白いTシャツを着ている。
僕が紐無しの白いスニーカーを履くと、愛花が微笑した。
「何か下だけおそろいみたい」
愛花はデニムのロングスカートと、白のスニーカーを履いていた。僕はデニムのズボンに白のスニーカーだ。
「いやか?」
無意識とはいえ、年頃の女の子だ。兄と服装が被るのは嫌だろう。
「ううん、兄妹らしい。電車の時間もあるし行こう」
良い妹を持ったなと感じた。
改札を抜け、ホームへ向かうエスカレーターを昇っていると愛花が少し申し訳なさそうな雰囲気で口を開いた。
「そういえば今日、私への物はおいくらまででしょうか?」
改まった言い方をしているが、喜びが大きいのだなと察した。
「そうだなぁ、今日の態度次第ですかね」
僕はイタズラな笑みを浮かべながら言った。
「ほ、本日はよろしくお願いします、兄上」
改まる愛花に僕は少しだけ笑ってしまった。
「よろしい、妹よ」
「こんな時ばっかり調子に乗って」
笑みが溢れる愛花に釣られて僕も笑ってしまった。
気がつくと目線がホームの床に到達していた。
愛花のスマホで友達へのプレゼントにしたいと参考にしていた写真を見ていると、電車が駅へと入り込んできた。
ボタンを押して乗車し、10分弱で電車は着いた。
終点の駅には日曜ということもあり、多くの人が下車した。
改札を出て南側の駅出口からショッピングモールへ向かう。
駅の階段を降り切ると、愛花がお腹をさすりながらお昼ご飯の話を始めた。
「先に食べちゃおうよ」
確かにお腹が空く時間だった。
うん、何を食べようか、と二つ返事でショッピングモールのお店を思い出す。
僕はうーんと唸った後、愛花に何を食べたいか訊ねた。
愛花は少し考えた後に、お好み焼きが食べたいと答えた。
少し高いけど、たまには良いかと僕も了承した。
ショッピングモールへ入ると、休日の昼間ということもあって人が多かった。
「やっぱり土曜日だと人多いね」
ショッピングモールに響くアナウンスの声に重ねるように愛花が話す。
「お店入れるかな?」
これだけ人がいるのなら、店もかなり待たされるのではないだろうか。僕もそんな心配をしていた。
僕らはやけにゆっくりと昇るエスカレーターで2階へと上がり、グルメストリートへと向かった。
11時半過ぎ、レストラン街に近づくと、より人が集っていた。
やっぱり人多いねと愛花がぽつりと呟いた。
「1階のフードコートにする? 僕は待っても良いけど」
愛花に目を向けると少し間を開けて答えた。
「お兄ちゃん決めて良いよ」
「え、こういうの決めるの苦手だからなぁ……」
選択を委ねられ、優柔不断な僕は正直に困ってしまった。
「こういうのは男子が決めるんだよ。じゃないとデートとか失敗しちゃうよ?」
少しずるいような理屈で僕に押し付け、僕はうーんと悩んだ結果、お好み焼きのお腹になったと言い、待つことにした。
グルメストリートに入ってすぐにお好み焼き屋が見えた。
店の前には家族連れが2組、背もたれのない椅子に座っていた。
僕も律儀に最後尾側の椅子に座ろうとすると愛花が僕を止める。
「名前書かないとだよ!」
座るために折りかけていた腰をスッと伸ばし、店の前の記入表に向かった。
ゴトウの文字を愛花が記入し、僕らは最後尾へと座る。
20分ほど愛花の学校生活について話をしていると、ますます人も増え、僕らの後ろに3組も待っていた。
前に並んでいた家族2組は、その後5分もせずに店員に呼ばれ、店の中へ入って行った。
「やっと次だね」
愛花が待ちくたびれたように上半身を伸ばしていた。
店の中からお好み焼きの匂いが溢れてくる。
「すごい良い匂いが溢れてくる」
「ほんと! 並んでよかった」
喜ぶ愛花を見て、正しい方を選んだなと実感した。
10分ほど待っていると、店員に名前を呼ばれ、僕らは立ち上がった。
中へ入ると、もくもくとどの席も煙を上げていた。
入り口から少し離れた席へ案内され、僕らが座ると店員が鉄板に火をつけ、コースの説明をしてくれた。
一通り説明を聞き終わったあと、愛花はキラキラと目を輝かせてメニューを指差した。
「私はキムチで!」
「僕は豚で」
「はい決まりね!」
去ったばかりの店員がすぐに戻ってきた。
僕らは注文し、店へ入る前にしていた会話を続けた。
少しして大きめのお椀のような入れ物に入った具材が運ばれてきた。
「そういえば、家族とお好み焼きなんていつぶりだろう」
二人で木製のスプーンでかき混ぜながら疑問に思った。
「んー、私が幼稚園くらいの時だったと思う」
「確かこっちに引っ越してきてからだったよな?」
僕は途切れ途切れの記憶を辿った。
「うん、確かそうだよ」
僕が幼稚園を卒園してまもなく、たしか小学校に入る直前で、この街へ越してきた。その前にどこに住んでいたかは、あまり覚えていない。
当時仲良かった友達とは手紙でやりとりをしていたらしいが、どうしても思い出せなかった。
母が言うには、近所の友達に手紙を書いては毎朝手渡しするのが日課だったらしい。
以前に証拠として渡された手紙には【また遊ぼうね】と書かれたものがほとんどだった。
短い手紙だったが、僕にとってはそれが意外と嬉しかった。
手紙をくれていたのは確か……次郎と、賢太と……。
「……ちゃん? ……お兄ちゃん!」
ハッと我に返ると愛花が僕をまっすぐ見ていた。
「そろそろいいんじゃない?」
鉄板の上に立ち昇る煙を見て僕は状況を理解した。
深く考えすぎていた。自分の世界に入っていたようだった。
「大丈夫?」
愛花が眉をひそめた顔で僕の目を覗く。
ごめん考え事してた、と言って僕はお好み焼きを裏返した。
「めっちゃ返すのうま」
愛花が笑いを零して呟いた。
なんかうまくできた、と僕自身も少し驚きながら言った。
私もやると言って具材をボロボロと溢しながら焦る愛花を見て僕は自然と笑ってしまった。
ソースとマヨネーズの焼けるにおいが食欲をそそった。
1時間ほどで僕らは店を出て近くのエスカレーターを探し、一階へ降りた。
「店は決まってるの?」
迷わずまっすぐ歩く愛花を見てどこに行くのか気になった。
「え? 全然?」
あっけらかんとする愛花に少しだけため息が漏れた。
「お兄ちゃん的には何かいいものとかないの?」
少しは自分で決めておいて欲しかったが、歩いている方向にちょうど店があり目に止まった。
「僕だったらハンプティーとかかな」
僕は店に指を差して言った。
愛花はうーんと唸った後に、とりあえず行ってみる、真っ直ぐ店に向かった。
店に入ると、やはり女性ものが多かった。
自分が欲しそうなものは無さそうだった。
気がつくと隣に愛花がいないことに気づき、見渡した。すると顎に手を添えながら何やら悩んでいる。
「何かあったか?」
横に行くと愛花の手には可愛らしいピンク色の入浴剤の詰め合わせを持っていた。
「これ……そんなに値段もしないし、自分だったら嬉しい……」
考えをそのまま口に出したように悩み続ける愛花の顔は真剣だった。
「僕もそれがいいと思う。女性に対して何をあげるのが正解かわからないけど、僕だったらそれをあげるな」
愛花は僕に顔を向け、また商品に目を戻した。
「じゃあこれにしようかな」
入浴剤を手に取って、レジへ向かう愛花の後ろ姿を見送り、店内を見回る。
視線を奪われるように、花の置物の前で足が止まった。ハーバリウム、という名で置かれている。
瓶の中に青、黄、ピンク、赤など、それぞれ綺麗な花が、透明な液体と共に入れられている。枯れない置物なのだろうとわかった。
あのカフェに似合いそうだ、最初にそう思った。
お代も渡さなかったし、お礼にでも買っていこうかと愛花に次いで僕も頭を抱えた。
値段に目を向けると、数字の小さいお札が2枚では若干足りないほどだ。
高校生の僕には十分に悩む額だった。しかしこの前美味しいものをいただいたし……、と星屑のゼリーの味が頭をよぎる。
僕は2分ほど悩んだ結果、もともと無かったお金だと自分に言い聞かせてレジへ向かった。
ラッピングが終わるのを待っている愛花が僕を見て少しだけ目を見開いた。
「あれ? それ買うの? 誰に??」
レジに商品を置くと愛花が隣に来た。
「うーんと、お世話になったところ」
僕がそう言うと愛花が黙って考え込んだ。
「え……どこ!? お兄ちゃんがお世話されるところの心当たりが多すぎて……」
眉間に皺を寄せて顔を上げた。
「なんか失礼だな」
僕はじわじわと笑いが込み上げた。
店員さんに愛花と同じくラッピングを頼み、僕はお金を支払った。
ラッピングが終わるのをレジの近くで待っている間、愛花に何が欲しいのかを訊ねた。
うーんと唸った後、閃いたかのように目を輝かせて顔を上げた。
「靴が欲しい!」
「靴かぁ……いいよ」
誕生日プレゼントとしては手を出せなくもないと思った。
「じゃあ次はABCに行かなきゃだね」
愛花が嬉しさを表情に浮かべてそう言う。
愛花に続いて僕の番号も呼ばれ、商品の入った紙袋を受け取った。
近くのエスカレーターから僕らは2階へ再び昇り、靴屋へ入った。大手チェーン店なだけあり、品揃えがとても豊富である。しかしその中でも愛花はスニーカーにしか興味を示さない。
ローカットの真っ赤なスニーカーを手に取り、ジロジロと見つめている。
「それがいいの?」
「うーん、けどこれは少し申し訳ないかな」
どういう意味だろうと思いつつ値札を見ると7000と書いてあった。
「た、か、いな……」
思わず言葉が詰まった。
「でしょ、他も見てみるね」
手に取ったスニーカーを戻し、店内を徘徊する愛花に対し、僕はそのスニーカーに気を引かれていた。
7000円か……、と腕を胸の前で組み、頭の中で悩んでいた。
ベージュのような色のスニーカーを手にしてみている愛花に、あの赤いのでもいいよとしぶしぶ言った。
「本当に!?」
大きな目をキラキラと子どものように輝かせる顔に、まだまだ妹らしく可愛げがあるなと思った。
「今回だけだぞ」
「ありがとう!」
店員に在庫を確認している愛花に隠れて財布の中を確認すると、おもわず小さくため息が漏れた。
「しばらく節約だなぁ……」
今日だけで1万円以上も飛ぶとは想定外だった。
二人でレジへ向かうも、僕と愛花は感情がまるで逆だった。
店を出てありがとうと笑顔で言う愛花に、まあいいか、とぽつりと呟いた。
「あ、そうだ、ごめん、もう1回下の降りていい?」
「いいけど、買い忘れ?」
首を傾げる愛花に、まあそんなところ、と言って雑貨屋に向かった。
用事も済み、そのまま僕らは電車で帰り、家に着く頃にはもう夕方近い時間だった。
空はまだ明るく、梅雨入りしてから、久しぶりに見る晴れた空だった。
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