5

 良樹と桐生が目の見えない怪物と、一体何分程度やり合っていただろうか。

 不意に鼻先を油特有の臭いが掠めていく。


「桐生さん」

「ああ」


 声を掛けただけで了解したようで、背後をちらりと確認し、二人揃って後退を始めた。


「何が入ってたんでしょうか」

「ガソリンじゃないことを祈る」


 仮にガソリンだった場合、これだけ臭ってくるということ既に気化して空気と混ざり合っているので、桐生がライターの着火装置を押した段階で爆発する可能性が非常に高い。

 それを心得ている彼は良樹を見て、何度も苦笑している。

 穴の入口のところまで戻ってくると、やはり足元にはオレンジ色をしたポリタンクが転がっていて、そこからどくどくと液体が地面に流れ出していた。数はざっと十ほどある。


「これ、大丈夫なの?」


 加奈の声だ。


「早く上がってきて」


 続いて足立里沙が急かすように言う。彼女もその危険性は理解しているのだろう。


「黒井、先に上がれ」

「ですが」

「お前、右腕使えるのか?」


 流石にずっと左手だけでスコップを持っていたら気づかれたようだ。

 良樹は「すみません」と頭を下げ、スコップを足元に投げると、縄梯子に左手を掛ける。足でしっかりバランスを取れば、何とか片腕でも登っていける。

 ただ見上げた先はまだ遠い。穴は何メートル掘られているのだろうか。

 桐生の呻き声が響くが、振り返っている余裕はない。

 ただひたすらに上を目指して登っていく。顎を引っ掛け、体重を支えながら左腕を伸ばす。


「黒井君! あと少しよ!」


 里沙の声が聞こえた。

 息も体力も切れそうだ。

 それでも懸命に登る。

 と、不意に伸ばした左手が掴まれた。


「足立さん」

「よく、がんばったわね」


 里沙と加奈、二人によって左腕を引っ張られながら、最後のところを登り切り、それから穴の下を見た。


「桐生さん!?」


 見れば桐生は縄梯子を登ろうとしていた。

 怪物の右足は血まみれになってつぶれている。それで地面を這いながら梯子へと近づいていたが、その後ろから頭を持った少女が駆けてきた。

 西雲寺英李だ。


「早く!」


 良樹も足立里沙も藤森加奈も、みんな一斉に桐生に声を掛ける。


「分かってるが、レスキュー隊員じゃないんだぞ。そんな簡単にだな」


 必死に登っているのは分かった。

 ただ西雲寺英李はそこに向かい、自分の頭を投げつける。放物線を描いた頭部は伸びていた桐生の左足の脹脛ふくらはぎ裏に到達して歯を立てる。

 桐生の顔が歪んだが、傷になっただけで彼女の頭部は敢え無く落下していく。

 何とか登り切ると、桐生からライターを受け取り、良樹はそれに火を灯した。


「みんな、早く行って」

「けど」

「大丈夫。僕もすぐ行く」


 足を負傷した桐生に肩を貸しながら、足立里沙は不安そうな顔を向けつつ、階段を上っていった。

 三人を見送ると、良樹は腕だけでこちらに上がってこようとしている怪物を見下ろし、炎の点いたライターを投げ入れた。

 それと同時に駆け出す。

 爆発音を背中で聞いたのは二秒ほど後だった。

 良樹は自分の体が自分以外の力で前に動くのを感じながら、気を失った。

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