8
「あの日も私たちはこの部屋に入った」
十メートル四方もない、狭い部屋だ。良樹だけでなく、友作も加奈も桐生も、それぞれが持っているライトを点ける。
明かりに照らし出された部屋は物が沢山置かれていたが、他の部屋のようにそれが何者かに荒らされている、といったことがない。戸棚の引き出しは全て閉まり、積まれた木箱も開けられたりはしていない。
ただ一つ気になったのは小型の冷蔵庫が置かれていたことだ。ここには電気は来ているのだろうか。そういえばコンセントを見た覚えがない。
扉を開けてみたが当然中は空っぽで、埃が
「この部屋でね」
だが美雪は良樹の行動を気にする様子はなく、そのまま話を続ける。
「彼はその本棚を見て、違和感に気づいた。その裏側に、隠された入口があると」
「本当か?」
友作が動かしてみようというので、良樹と桐生がそれを手伝う。両側を掴み、揺らしてみる。確かに妙な感覚だ。少し後ろ側に押すと、僅かに持ち上がるのが分かった。
「これ、動くな」
どうやら隠された車輪か何かで左右にスライドさせることができるらしい。殆ど本が入れられていない本棚をゆっくりと部屋の隅から中央側へとスライドさせていくと、そこにちょうど人間一人分の空間がぽっかりと口を開けた。
ライトで照らしてみると、どうやら少し進んだ後で地下に階段が下りている。
「ここ、警察も調べたんだろうか?」
ぽつりと友作が
「流石に調べたんじゃないか? ただ何も言ってなかったよな、当時」
「ああ」
階段を見てから口を噤んでしまった美雪の、ライトを持つ右手が微かに震えていた。あの日のことを思い出しているのだろうか。
「僕、先に行くよ」
「でも」
「いいから深川さんは後を付いてきてくれればいい」
笑顔を見せ、友作を伴って二人で先にその入口に入った。
身長が二メートルほどあれば少し屈んで歩かないと頭がぶつかってしまう。見ると桐生はやや
「この先、何があったの?」
加奈は階段を下り始めてから明らかにテンションの落ちた美雪を気遣い、声を掛けていた。ただ当の美雪は「うん」と頷くだけだ。
五分くらい階段を下っただろうか。行き当たりに扉らしきものが見えた。良樹はその何かに手を掛け、押し開ける。
「ここは……」
取っ手のないドアかと思ったら、良樹が押したものはこれまた本棚だった。
ちょうど入ったところと同じような部屋の間取りで、窓はなく、棚や木箱などが置かれていない。殺風景な部屋だ。
一つ大きな違いといえば、
「ねえ。なんでここ、明るいの?」
その部屋の天井の中央からぶら下がる電球に、明かりが灯っていた。
「ほんとだな」
加奈の疑問の声に対して友作が頷くが、どこからか電気が来ているのだろう。良樹はひとまず手にしていたライトを消し、コンセントがあるか、壁を調べた。
「ここに、来たの。あの日も」
そう言って美雪は何故か足元を見る。そこには薄いカーペットが敷かれていたが、何だろう。埃の残り方、いや、床板の色の違いだ。位置がずれているのだ。
美雪は「こんなの前はなかった」と言って、そのカーペットを捲った。
「おかしい……」
けれどそこには何もない。ただ木の床板があるだけだ。
「ない! ないの!」
「どうしたの、美雪」
「ねえ加奈。あの日はここに大きな鉄の扉があったの! それが今はないのよ!」
あまりの豹変ぶりに声を掛けた加奈も慌てていた。
取り乱した美雪は突如、床を殴り始める。
「この下なのよ! 安斉君が呑み込まれていったのは!」
「下?」
その美雪の声に誰もが自分の足元を見た。
桐生は片膝を突いて屈み、床を軽く叩いている。
「鉄の扉が、あったの」
半分放心したような様子でぺたりと座り込んだ美雪は、加奈に支えられながらこう語った。
「あの日、この部屋に入った安斉君はその床にあった大きな鉄の扉を見つけて『やはり黒猫の尻尾はあったんだ』と言ったの。その意味は私には分からなかったけれど、彼はとにかくその足元の鉄の板を持ち上げようとしていて、けど一人じゃ全然持ち上がらなくて、私に誰か手伝いを呼んでくるように言ったわ。だから私は階段を慌てて上って外に黒井君たちを呼びに行こうと思っていたの。けど」
そこで美雪だけでなく、全員が何かの声を聞いた。
「え? 今の何?」
「何か、聞こえたよな?」
「ああ」
声を出さなかったのは桐生と足立里沙の二人だけだ。特に足立里沙はずっと緊張した面持ちで、何かを探すように周囲を観察している。
「それで外に呼びに行こうとした時に、聞いたのね。彼の声を」
その足立里沙だった。彼女が美雪に尋ねたのだ。
「う、うん」
「声を聞いて、あなたはこの部屋に戻ってきた。そうね?」
「ええ」
「それで、何を見たというの?」
足立里沙の険しい目が美雪に向けられた。
彼女は一体何を知っているのだろう。そもそも何故、ここに来たのだろうか。良樹は最初、足立里沙も来ると聞いた時に意外だとしか思わなかった。あまりこういうイベントに進んで参加するタイプとは、学生時代の彼女を多少知る身としては考えられなかった。
今、目の前に立つ足立里沙は容姿こそ確かに大人びて三十前後の女性の色香を漂わせているけれど、黒のパンツに
ただその地味で目立たないことを好むと思える彼女が、一体何の目的でこの集まりに参加したのか。それが何より気になっていた。
「ねえ、里沙」
怯えた目の美雪を気にしたのだろう。加奈が間に入る。
「何も無理やり思い出させなくてもいいじゃない。そもそも今更十年前のこと掘り返してどうなるっていうの? もう安斉君はいないし、戻ってこないし、あたしたちだって学生じゃない。懐かしい顔が見られると思って参加したけどさ、傷を抉りたいだけなら、あたしはごめん」
「太田さん……今は藤森さんか。私はまだここに、彼がいると思っているわ」
――え?
誰もが足立里沙の言葉に耳を疑っただろう。
「安斉君が、いるの?」
最初に声を上げたのは深川美雪だった。
「本当に、まだここに、いるの!?」
その問いかけに足立里沙はゆっくりと頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます